1-2 『氷都』の使者

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1-2 『氷都』の使者

 外からなにやら人の話し声が聞こえてきたことで、わたしの意識が段々と浮上する。わたしはいつの間にか転寝(うたたね)をしていたらしく、気づけば馬車はその場に停車していた。  気になって窓の外の様子を覗くと、そこには見知らぬ人が二人、『花都』の馬車乗りと前方で会話しているのが見えた。  会話しているのだろうか。どちらかといえば、あれは言い合いをしているようにも見える。  耳を澄ましてみれば、聞こえてきたのはここから先へ進むための護送についてだった。  ~❀~ 「だーかーらー! ここはもう『氷都』の領地なんだから、ここから先の護送はおれたちでするって言ってるの!」 「ですが国から氷都城まで、姫を安全に送り届けよと命を受けておりますから、」 「こっちがいいって言ってるんだから別にいいじゃん! ――イテッ」 「こらこら偃月(えんげつ)、お客人を困らせたらダメでしょ。スミマセンねぇ、うちのこれがあれなもので」 「おい香紆(こうう)、仮にもおれはお前の主だぞ、むぐっ」 「ハイハイ。分かったから、あなたが話すと話が逸れるので少し黙っててくれますか? 」 「むぐー‼」  ~❀~  香紆という付き人に小突かれたのち口を塞がれジタバタと暴れる人物は、名を偃月というらしい。 『氷都』の民なのだろう。その証に、銀に(なび)く髪と水晶のように透き通った美しき氷のような双眸は、見る者を魅了して離さない。声色や体格からして一見少年のようにも見えるが、女性のようにも思えた。それほど偃月という人物は華奢で小柄な印象だった。  対して香紆という付き人は、どちらかと言えば「質素」という言葉が似合いそうな青年だった。サラサラとした茶髪に細身の体躯、そして糸目が特徴的な彼の笑みは、どことなく余裕を感じて背筋に一つ汗を掻く。  ふと、そんな香紆と目が合ったような気がした。気がしたのは、わたしがほんの少しだけ窓のカーテンを開けた隙間から眺めていたからだろうが、それにしたって距離があるし、開いてるのかも分からないほどの隙間だったから、実際に目が合ったかまでは把握ができなかった。けれど、確かに香紆はわたしの目を見て「へえ」という顔をしたのだ。  好奇の目を向けられて、急いでカーテンを閉めた。あれは、絶対にこちらの存在に気づいている者の目だった。  あの夢の扉の先にいたのは、あの人たちだったのかもしれない。このままでは正夢になる。  そう思ったわたしは、馬車の扉の鍵を掛けようと手を伸ばした。その瞬間、 「あ、ほんとだ、いた!」  無情にも、ガチャリと馬車の扉が音を立てて開いたのだった。  わたしは緊張と恐怖と驚きでその場から動けずに口をはくはくとさせながら、目の前で満面の笑みを浮かべているその人を見た。 「こんにちは!」 「……っ」 「えと、どうしたの?」 「ダメじゃないの偃月。仮にも、これから『氷都』にいらっしゃるお姫様の乗っている馬車に急に攻め入ったら。見てみなよ。お姫様驚いて固まっちゃってるじゃない」 「え! ご、ごめんね! 怖かった、よね……?」  先ほどまでの勢いはどこかへと消え失せたらしく、打って変わってオロオロとし始めた偃月は、わたしに上目遣いで悲しそうに謝った。彼は何も悪くないのに、謝られたことにわたしは純粋に驚いた。 「……ぁ、だいじょうぶ、です……」  久しく言葉を発してこなかった所為か、わたしの声は羽虫が羽を擦る音よりも小さかった。それでもわたしが反応したことが嬉しかったのか、偃月がこちらを見て安心した表情を見せた。 「そっか、よかった」  微笑んだその顔は、とても温かいものだった。 「えっと、君が『花都』の花檻姫さま、で合ってますか?」 「はい」 「香紆」 「はいよ」  わたしの名前を確認すると、二人は顔を見合わせて頷きあった。その表情は真剣そのもので、わたしの周りの空気がほんのりと緊張に色づいていく。 「遠路はるばるようこそ『氷都』へお越しくださいました、花檻姫。私は香紆と申します。ここより先は我々があなた様を、我が主『氷月』の(もと)へとお送りいたします」 「おれね、偃月って言います!」  偃月は、ぱあっと花のような笑顔でわたしの手を自然と握った。わたしよりも少し年齢は下だろうか? 馬車の中から思っていた通りの、可愛らしい人だった。 「……大変でしたよね……こんな山道を、女性であるあなたがわたしなんかの出迎えに……」  わたしが謝れば偃月はポカンとした顔をして、次の瞬間には大声で笑い始めた。何か変な事でも言っただろうか、と首を傾げていると、 「ああ! あははっ、違うよ! おれは! 顔が可愛いだけの、今年二十二になる立派な成人男性だよ~」 「え……」  わたしは思わず声を出して驚いてしまった。だって、どこからどう見ても幼くて可愛らしい目の前の人が、男性だなんて思えなくて。それに六つも年上だなんて。とんでもなく失礼な勘違いをしてしまったことに自分を恥じた。 「大丈夫ですよ、この人、よく間違われるんで。彼、慣れてますし。あまり気になさらないでください」 「そうそう。町娘と間違われることもしばしば~っておい!」  偃月は本当に気にしていないような素振りをしていた。これ以上わたしが気にしてしまってはその方が迷惑だろうということを悟り、わたしは偃月の容姿の話題から話を逸らすことにした。 「……ありがとう、ございます。……あの、先ほどまでいた『花都』の馬車乗りは……?」 「ああ、馬車乗りにはお帰り頂きました。ここからは我々の馬でこの馬車をお引きします」 「大丈夫だよ、怖くないよ! 香紆の運転は上手だから!」 「伊達に人生の大半を馬に乗ってませんからねぇ」  では立ち話もなんですし、と香紆が話を良きタイミングで切り上げる。目的地である『氷都』まではあと少しの距離らしい。  あと少しで、わたしは敵国へとこの身を捧げることになる。恐怖は……無いと言えば嘘になる。けれど身を捧げることを怖れていては、務めを果たすことなど毛頭できない。  息を吸い、息を吐く。この行為をすると、ざわついた気持ちが静かに凪いでいく気配を見せた。 「――じゃあよろしくお願いしまぁす!」 「え」 「ん?」  でもそれは一瞬のことで、すぐにわたしの心は荒波を起こした。香紆と共に馬を引くと思っていた偃月が、わたしの横に座ったのだ。  え、なんで? わたしは混乱してまだそこに立っていた香紆に視線を送るも、香紆は偃月の味方のようで「暴れずちゃんと座ってろよ」と彼の頭を軽く小突いて馬の方へと行ってしまった。  人が横にいること自体、わたしには記憶に無いほど初めてのことで、心臓が爆発してしまいそうなくらいに暴れていた。隣の彼に聞こえてしまうのではないかという焦りと恥ずかしさがわたしの中で渦巻く。  当の本人は、さもなんでもないでしょ? みたいな顔をしてわたしを見ている。どうしてそんな純粋な眼差しをわたしに向けるの? わたしはもっと困惑した。 「あのねあのね、馬は香紆の一頭しかいないから、おれはお姫さまの隣でお話する係りなんだよ~」  それから、あとおれの運転は荒いみたい~なんて笑っていた。  そういうことか、と思う反面、じゃあここまでどうやって来たのだろうという疑問が浮かんだ。香紆の馬の背に二人で乗ってきたのなら分からなくもないけれど……。もう考えることも面倒になってきたので、わたしは「そうなんですね」と答えるだけに留めたのだった。
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