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1-3 氷の都
動きますね~という香紆の緩い声が車内に届けば、馬車は再び動き始めた。
隣でそわそわとしている偃月は、ちらちらとわたしの様子を窺いながら、これから向かう『氷都』について簡単に説明をしてくれた。
けれど、再出発をしたあたりから体の気怠さが抜けなかったこともあり、わたしは申し訳なく思いつつ眠ろうと目を伏せた。
これから会う『氷都』の王に、体調が悪くて迷惑を掛けるわけにはいかない。万が一にでもそんなことがあったなら、きっとただでは済まされないだろう。
そんなわたしを気遣ってか、偃月はそれ以上話すことを止めてくれた。
カタコトと揺れる馬車の中で、ただ静かな空間が広がってる。それは元居た場所に似ていて、それを認識した途端に心の奥底に沈んでいたはずの心傷が沸々と蘇ってきた。
~❀~
暗くて、狭くて、寒い場所。深淵にも似たわたしの世界は、わたしの心を恐怖の色に染め上げて侵食していく。
声が聞こえて、視線を前へと向ける。
『逃げることは許さぬ』
蟒蛇が、いる。
わたしの中にいる蟒蛇が、下卑た笑みを浮かべて、わたしの恐怖に染まった顔を愉快そうに見ている。
蟒蛇はわたしにとって世界の全てだった。蟒蛇があの場所にいたから、わたしは存在することができていた。
だから逃げることを許さないと蟒蛇が口にするのは、普通のこと。
けれどわたしは逃げたいと思って外の世界に出たわけじゃない。こうなったのは全て国の為なのだから。
わたしはその意思を伝えようと必死になる。けれど声は一切出ず、出すことを許されず、憐れにも蟒蛇に首を絞められる。抵抗する力も無い。こうされても仕方がないことをわたしはしてしまったのだ。
助けて、と泣き叫びたかった。助けてほしかった。
けれど、泣き叫んだとして、実際に助けなど来るのだろうか?
……あるはずもないのだ。今だって、そうなのだから。
~❀~
「――……お姫さま? 大丈夫?」
ふと、目元に温かいものが触れた感覚に、微睡みの底からわたしの意識が少しずつ浮上していく。眠りから覚めれば偃月が心配そうな目をこちらに向けて、わたしの目尻を優しく拭っていた。その優しさに、ほんの少しの恐怖を感じた。
わたしは「いやっ……」と反射的に偃月の優しい手を払ってしまった。わたしからの分かり易い拒絶に偃月は少々驚いた顔をして固まったけれど、それは一瞬のことですぐに彼は「ごめんね」と笑った。
「急に触られたら、怖いよね」
「あ、えと……。驚いた、だけ……だから……」
夢と現実の境にあった意識が徐々に覚醒してくる。わたし、偃月に酷いことをしてしまったんだ。
会ってまだ間もない人だけど、偃月はわたしのことをずっと気に掛けてくれていた。そんな彼の優しさに、甘え縋りたいと思ってしまい、わたしは酷く胸が痛んだ。
(それはあまりにも都合がよすぎるでしょ……っ)
自分から拒絶をしておいて、よく言う。
自分勝手な心に嫌気が差した。
「もうすぐ『氷都城』の敷地に入りますからね」
香紆の声が聞こえた。俯けていた顔を上げて、そろりと外の様子を窺う。
瞬間目の前に広がった光景に、わたしは思わず息を呑んだ。
『花都』とは違う、一面が澄んだ白を基調として覆われた、氷のような国。
ここが、こんなにも美しい場所だとは思ってもいなかった。『花都』も綺麗な国であるとは思っていたけれど、それとは違う美しさがわたしの心を静かに奪う。
全てが澄んでいた。
甘ったるく眩むあの国とは違う、とても清い世界だった。
これが、これからわたしが暮らす硝子国と謳われる『氷都』……。
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