バスジャック!

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バスジャック!

 拡声器でひび割れるほど拡大された黒川刑事の声が、サービスエリアの一角に響き渡った。 「お前は完全に包囲されている! 諦めて出て来い!」  だだっ広い駐車場に停められたバスを、盾を持った警官隊が一定の距離を置いて取り囲んでいる。その様子は、きっと空の上から見るとバスに見えない結界でも張ってあるように見えただろう。  高速道路でジャックされたツアーバスが、このサービスエリアに停まってからもう二時間も経っていた。  警察が旅行会社に問い合わせたところ、ツアーに参加していた客、つまり現在の人質は十人。犯人の数は不明。  窓にはカーテンがかけられていて、車中は確認できない。だから警官隊は、犯人をとらえるどころか踏み込むこともできなかった。 「今ならまだ間に合う! すぐに出てこい!」  叫んでいる黒川は、白い物の混ざった短い髪の中年男だ。怒鳴っていても、どこか優しそうな雰囲気があり、若いころは明るくて人懐っこい兄ちゃんだっただろうとわかる。 「うるせえ!」  犯人の声が返ってくる。どうやら素直に投降する気はないようだ。  怒鳴り疲れたのか、警官が拡声器を口から離して呟く。 「もし人質に何かあったら、ただじゃおかないぞ」  そして苦々(にがにが)しい顔でバスをにらみつける.。 (バス会社によると、幸い、客の中に幼い子供や老人はいないようだ。だから人質の体力的には問題ないだろうが……)  黒川の耳につけられた通信機に、小さなノイズが走った。 『そろそろ、ケイさんの準備ができるようです』  その連絡にどこか安心した表情で、警官は離れた場所に停められたバンに向かっていった。窓にはのぞき見を防ぐフィルムが貼られていて、中は見えない。  一見白色の、どこにでもある車両だが、その実体は警官隊と本部を繋ぐ簡易的な拠点となっている。  黒川は、戸を開けてバンの中に入った。  フィルムが貼られているせいで、中は少し暗い。車の横にはモニターと捜査パネルが取り付けられていて、そこにジャックされているバスの映像が映し出されていた。二人の警官がそこに貼りついている。  黒川は、車の後部座席に目をやった。  そこには、どう見ても警察関係者ではない青年が座っている。ピンクのパーカーに、だぶだぶの灰色のズボン。髪はシルバーに染められていて、前髪は両目を覆い隠すほど長い。 「すまないな、ケイ」  黒川が申し訳なさそうに声をかける。 「お前は警察ではないのに、危ないことを頼んじまって」  ケイと呼ばれた青年は、ひらひらと手を振った。 「いいって、いいって。どうせ暇なんだ。ボクの力を使わないのはもったいないでしょ」  そして何か考えこむように親指を噛む。それはケイの癖だった。 「あとは差し入れが到着したら作戦開始できるよん」  話し合う黒川とケイをよそに、モニターを見つめていた警官の一人が、隣の警官にそっと耳打ちした。 「しかし、あの青年は誰なんだ? どうみても一般人じゃないか」  話しかけられた方も小声で応える。 「なんだか、ヘンテコな力を持っているみたいだぞ。それで時々警察に力を貸しているらしい」 「ヘンテコな力? なんだそりゃ」  本人達は声をひそめているつもりらしいが、黒川にはしっかりと聞こえていた。  わざとらしく咳払いする。当のケイは、別になんとも気にしていないようだ。  なんとなく気まずくなった空気を消し飛ばすように、勢い良くバンのドアが開いた。  若い警官が、両手にサービスエリアの印の入ったビニール袋を下げて入ってくる。 「買ってきました! お茶人数分!」  どさっと座席に置かれた袋の中には、ペットボトルが何本も入っていた。 「それにしても、赤いラベルのウーロン茶を指定するなんて。差し入れなんて何でもいいじゃないですか」 「個人的に、ボクが好きなお茶なの」  なんとなく、といった感じでケイはペットボトルを手に取った。確かめるようにラベルを指でさすると、袋に戻す。  黒川は、差し入れを持ってきた若い警官に拡声器を渡す。 「よし、打合せ通りお前が交渉をするんだ」 「は、はい」  若い警官は、少し緊張した顔でうなずき、袋を持ってバンの外へ出て行った。  しばらくして、拡声器でひび割れた声がドアのすぐ近くから響いてくる。 「とにかく飲まず食わずじゃ体に悪い。せめて飲み物だけでも人質に飲ませてやってくれ!」  少しの時間を後、バスの中から「良いだろう」と返事があった。  そのやりとりを聞いていた黒川とケイは、目を見交わしてうなずいた。  バンに取り付けられた画面に、規制線を超えバスに近づいて行く警官が映し出されている。警官はバスの近くに袋を置いた。そのまま両手を上げ、バックで規制線の中へと戻って行った。  バスの扉が開き、その場にいた警官隊に緊張が走る。  目鼻と口をあけ顔全体を覆う帽子をかぶっている男が出てきた。黒いタンクトップにカーゴパンツ姿だ。 目の前に展開している警官隊を視線で威嚇(いかく)をしながら、荷物の前に歩み寄る。  もちろん、この男の身に何かあったら人質に命はない。姿が見えても手出し出来ない状況に、警官達は悔しい思いをしているだろう。  犯人の太い手が伸ばされ、袋が回収される。  その様子を見ていたケイは、めんどくさそうに立ち上がった。 「んじゃまあ、そろそろ行ってきますか」  もう黒川と計画は立ててある。 「んじゃ、これを」  黒川は、座席のそばに置かれたバッグを開いて、ガスマスクを取り出した。 「おお、実物は初めてみた。ドラマなんかじゃよく見るけどな~」  ケイはガスマスクを裏表にしておもしろそうに観察する。  満足するまで観察すると、ガスマスクを顔に当てた。そんな物日常生活でそうそう使う事もないので、つけ方に手こずっていると、黒川が手伝ってくれた。 「んで、あれは手に入れてくれたの?」  マスクでくぐもった声でそう言われ、黒川がバッグから取り出したのは、拳大の黒い球二つ。銀色のピンがついている。一見すると、手りゅう弾のように見える。  ケイは、いぶかしげにそれをつまんで顔をしかめる。 「大丈夫? 急にドカンといかない?」 「安心しろ。ピンを抜かない限り大丈夫だよ。それに、ただの催涙弾(さいるいだん)だ。一定時間咳き込んで動けなくなるけど、人体に影響は無い」 「オーケー」  ケイは、催涙弾を手のひらで転がして重みを確かめる。 「え、ちょっと!」  声を上げたのはモニターの前に座っていた警官の一人だった。 「まさか、一人でこの人を行かせるつもりですか? 警官ですらない、一般の青年を? 凶悪な犯人の相手に?」  黒川は、少しバツの悪そうな顔をした。 「ああ、まあ、そう言われるとそうなんだが」 「大丈夫だって」  当のケイはへらへらと笑い、手を振った。 「んじゃ、行ってきま~す!」  まるでテレビが消されたように、ケイの姿がかき消えた。今まで彼が座っていたシートは、灰色の背もたれと座面を見せている。 「え? え?」  モニターの前の警官は、顔を青ざめさせ、口をぱくぱくさせた。 「あいつには、不思議な力があるんだ。さっき、ケイもそんなこと言ってただろ?」  どこか同情するような口調で、黒川は言った。 「彼には、好きな所に入り込める力があるんだ」  モニター係は目を見開いた。 「好きな所に? すぐには信じられませんが……いや、でも現に目の前で……」 「本当だよ。たとえば、違法カジノややばい所の事務所に入り込んで軽く探ったりな。ついたあだ名が『吸血鬼』だよ」 「き、吸血鬼?」  警官が、気味悪そうに言う。 「ああ。と言っても、人の生き血なんか吸わないから大丈夫だ。ほら、吸血鬼って霧とかコウモリとかに化けて、美女のいる家に入り込めるだろ」 「なるほど……」  そこで、ほんの少し黒川は眼光を険しくした。 「お前、くれぐれも他人に余計なことをいうなよ。守秘義務のうちだと思え。ケイを守るためだ」 「は、はい。それはもちろん」  重々しくモニター担当の警官はうなずいた。
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