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◆ ◆ ◆
堅牢な、洋館を模した店舗には、『牛鍋屋』という看板が掲げられていた。
「芦屋様、毎度ご来店ありがとうございます」
「あぁ。いつものを、二人分頼む」
「かしこまりました」
ふたりが案内されたのは二階の個室だった。
目の前の机に埋め込まれた火鉢、その上に載せられた平鍋。
見事なまでに赤くて薄い肉が敷かれ、さらには、切られたねぎが添えられている。
給仕係が、砂糖を肉にまぶして焼き始める。
じゅう、という小気味いい音と、肉の焼ける芳ばしい香り。
すぐに小夜の腹は空腹を訴えた。
「牛の肉は、初めてか?」
「は、はい」
小夜にとって食事とは栄養を摂取するだけの行為だった。
実家では麦飯と野菜中心の食生活。
今まさに目の前で繰り広げられている光景に、小夜はよだれを垂らしそうになり、慌てて唾を飲み込む。
砂糖の次は、醤油。
ぐつぐつと煮えたぎったところで、給仕係が丁寧に小皿へとよそってくれた。
「食べてごらん」
促されて、小夜は恐る恐る牛肉を口へと運んだ。
噛めば噛むほど広がる甘みに瞳を閉じる。
「~~~っ!」
「お気に召したようで何より」
今度は、茂彬はしっかりと口角が上がっていた。
小夜は頬を染めてうつむく。
「……あの、旦那様」
小皿と箸を置き、小夜は姿勢を正した。
「何故、わたしにここまでしてくださるのでしょうか。わたしは貴方様の命を狙った女です。もしかしたら今だって、機会を窺っている可能性もあるというのに」
「君には」
ひと呼吸置いて、茂彬は目を細めた。
「借りがある。覚えていないだろうが、それでいい」
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