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三年前の四月十日。悪さばかりしていた俺にまともな道に進もうと説得してくれていた唯一の人間が叔父だった。両親に縁を切られてからは、実の父親のように接してくれていた。
『うちで働かんか? お前ももう、二十一やろう?』
月に一度、居酒屋の座敷で酒を注ぎながら自分が経営している印刷会社に俺を雇おうとする叔父は、真面目を絵に描いたような人間で、従業員からの信頼も厚かった。
『こんな腕やら首やらに刺青入ったヤツ雇ったら、会社の評判ガタ落ちになるやろ』
『そんなんで評判落ちたりはせん。お前をこのまま腐らす訳にはいかん』
『ハハ、もう手遅れやって。まぁでも、おじさんが三年後も俺を誘ってくれるなら入社を考えてもええかな』
『なんやと? 上から目線で偉そうなこと言いやがって』
それから一年後、叔父が自己破産をして首を吊ったという電話が叔母から掛かってくる。その瞬間、真面目に生きていても報われない事に気づいた。この世に、神様なんて存在しない。
バイクのキーをポケットに入れて黒いマスクを付ける。
殴り合いの喧嘩や詐欺まがいの事をこれまで数多くやってきた。そんな俺でも、金を手に入れる為だけに空き巣に入るのは今日が初めてだ。
周りから見ると随分前から犯罪者だと言われるだろうが、俺の中にある悪のボーダーラインは今日をもって超える事になる。今更、準備を進めてきた悪友を裏切る事は出来ない。
靴を履いて照明を落とした瞬間、ポケットに入れていたスマートフォンが震え始めた。取り出して液晶を見ると、叔母の名前が表示されている。
叔父が亡くなった報告をしてきた以来だと考えている内に通話ボタンを押していた。
「翔君? 久しぶりやね」
「お久しぶりです。何の用ですか?」
他人行儀で冷たい言い方をしていると思いながらも、今から犯罪を犯す人間が気にする事では無いと思い直す。
「風邪とか、引いたりしてないかい?」
「はい。あの、俺ちょっとこれから用事があるんで、要件が無いならコレで」
そう言って耳からスマートフォンを離そうとした時、「待ちなさい」という声が耳に届く。
「お父さん、真面目に生きた事、一度たりとも後悔してへんからね」
焦ったような声でそう続けた叔母は大きく洟を啜り、どんどん涙声になっていく。
「翔君、一ヵ月前におっきい家の前で何をしてたん? おばちゃん、あの時、近くを歩いていて……」
「何もしてませんよ。俺もちょうどその時そこを歩いていただけで……」
「嘘はあかん。翔君、嘘をつく時、昔から少し声が震えるやろ?」
そう言われた瞬間、カッと頭の奥が熱くなる。
「俺が何をしようが、おばさんには何も関係ないやろ! 真面目に生きていても、いくら自分の生き方に誇りを持っていても、その誇りのせいで、おばさんを一人残してあの世に逝ったら、意味が無い!」
怒鳴ってから少し言い過ぎたかもしれないと口を噤む。そんな俺の心を見透かすような優しい口調で叔母は語り掛けてきた。
「亡くなる少し前までね、お父さんがよく私に言っていた台詞があるの。いつ死ぬかじゃなく……どう生きたかが重要なんやって。おばちゃんだってね、自殺を肯定するつもりなんて一ミリも無いし、その選択をしたお父さんを私は死ぬまで赦したりはせん。けど……生き方を否定することも、死ぬまで出来ん」
その言葉を聞いた瞬間、脳裡に叔父の笑顔が浮かんだ。少年のように澄んだ瞳で俺に話しかけてくる。
『お前を、このまま腐らす訳にはいかん』
「もう……腐りきってるし」
俺がそう言って一筋の涙を流した時、叔母は再び優しい口調で呟く。
「いつでも、夕ご飯食べにおいで」
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