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仰ぎ見るゆるやかな稜線は、冬と春の間のまだら模様になっている。
枯れ色にぽつぽつと湧く早緑を背景に建つ古い二階家に私は来ていた。
古民家、といえば聞こえはいいが、実際は塀に囲まれた敷地に母屋と蔵と作業小屋がある、広さだけが取り柄の農家でしかない。
母屋の玄関は十字模様のすりガラスがはめ込まれた大きな引戸で、その鍵穴に私は鈍くくすんだ鍵を挿しこむ。鍵も戸も錆びてはいない。使われなくなってずいぶん経つというのに抵抗なく開いたそれに、私は安堵よりも躊躇した。
すでにそこは他人の顔をしていた。
とはいえそれは悲しむようなことではない。拍子抜けしたきらいはあるけれど、半ば予想はしていたし、帰らないと決めたのは私自身だ。
黒っぽい石が敷かれた玄関も、古い杉張りの廊下も記憶にあるままだ。廊下の突き当りは台所で、その奥に風呂場があることだって覚えてはいる。しかし、それだけだ。四十年も離れていたとはいえ、いざ来てみれば何らかの感慨もあるかと思っていたが。私がそうであるように、家の方もまた、ぽっかり現れた私をわずらわしく感じているのかもしれない。
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