あなたに会いたくて

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あなたに会いたくて

「なんかさ。最近、夜のサービスカウンターに変な男の人が来るんだよね」     時刻は日曜日の19時。夕方の来客ピークを終え、落ち着きを取り戻した食品スーパー『アノモリ』堂本店のバックヤード。    会議室のような長机とパイプ椅子、小さなテレビに簡素なキッチンを兼ね備えた休憩室で、レジ担当の大根(おおね)は俯きがちに打ち明けた。 「それ、結構ヤバめのクレーマーです?」  滅多に疲れている様子を出さない大根の元気のなさに、向かい合わせに座っていた同じくレジ担当の後輩、山野(やまの)は店で購入したプライベートブランドのしゃけおにぎりを開封するなり頬張った。   「うーん、クレーマーではないんだけど……」  大根は言い淀む。あからさまに酷い目にあっている訳ではないのだろうか。  それでも山野は貴重な休憩時間を無駄にしまいとおにぎりを食べる手を止めない。寛容な大根は気に留めず話を続けた。 「『店員さん――大根さんって言うんだね。かわいいね、彼氏いるの?』とか『今日仕事終わるの何時? その後時間ある?』とか言われて……」 「うーわ、スーパーでナンパとか! どんな勘違い野郎ですか?」 「たぶん30代くらい。いつも白の二本線が入った黒ジャージを着ていて、遅番の時に必ず来るんだ……」 「そんな大根サンがどうして遅番に? 店長に報告は?」 「したけど、人手が足りないから仕方ないよね。アルバイトが出られない分、社員がカバーしなきゃだし。まあ、確かに暴言も手も出されてないけど……」 「はい、クソ〜。アルバイト1人いるんなら、サビカン夜間店長にカバーしてもらって外回りうちできますよ。大根サンは危ないんで帰りましょ」 「んー、大丈夫! 気持ちは嬉しいけど、今日の夜間店長佐々木さんだから……」 「げ。じゃあサビカン業務……お客様対応はうちらでやらなきゃですね。佐々木さん面白い人だけど気分屋だし、自分の作業邪魔されるの大嫌いだから仕事絡みだとめんどくさいんだよな〜。それはうちらもそうなんで、怒るのもどうかと思いますけど」 「まあまあ」  山野は文句とともにおにぎりを飲み込み、食前にお湯を注いでおいたインスタント味噌汁に手をかける。    レジ担当はレジ業務だけではなく、サービスカウンター・お客様対応、また来客が少ない合間を縫ってゴミ回収やダンボールの補充もしなければならない。夜間となると来客数も減るが、人時生産性のため人員も減らす必要がある。したがって、よりレジ以外の人員を割くことが難しくなってくるのだ。  レジ以外に人手を割けない時には、日中は店長や副店長、夜間は夜間店長にお客様対応をお願いすることがある。だが二人いる夜間店長の一人である佐々木は、接客が苦手なのか裏作業中心でサービスに呼ばれることを嫌い、放送で呼んでも来ないことが多かった。 「うちらがまだ20代の若ぞーだからってナメてるんですよ、あのおっさん。奥さんとケンカしたのか今日挨拶無視されてますからね! くっそー、自分の機嫌ぐらい自分でとれってーの!」 「あは、おっさんって言っちゃった。でも仕事に私情を持ち込むのはやめてほしいよね〜」  失礼な山野に便乗することなく、ほどよい塩梅で合いの手を入れ、女神のような微笑みを浮かべる大根。  大根は誰に対しても人当たりがよく、色白で直毛の黒髪を一括りにした清楚感のある女性だった。黒目がちの大きな瞳は、アイドルにいてもおかしくないレベルだ。悪影響だと思って大根には言っていないが、男子の同期やアルバイトからも密かなファンが多かった。  年齢は山野より一歳年上の24歳で、先輩だが物腰の柔らかい性格と同年代ということもあり、度々話をする仲だった。 「あ、もうこんな時間。私、先にレジ戻るね」 「おつかれです。私も30分後には戻りまーす」  山野より先に休憩に入っていた大根が、休憩室を出ていく。  大根を見送るタイミングで山野の食事も終わった。休憩室は山野のみが残される。残り時間はスマホでも見よ――山野が制服のポケットからスマホを取り出した時、大根と入れ替わるように別の女性が入って来た。 「山野さん、お疲れ様です」 「お、清水(しみず)ちゃんおつかれ〜。そっか、今からかー」 「はい。遅くなっちゃってすいません」  山野が清水と呼んだ女性は入室後ぺこりと軽く頭を下げる。  茶髪のポニーテールが特徴的な彼女は、1ヶ月程前に入った新米アルバイターだった。 「何を言う!? 清水ちゃんは救世主だよ〜! 今日みたいな日に出てくれて、ほんっと感謝しかない!」  山野は仰々しく手を合わせ首を垂れる。  アノモリ堂本店は学生街にあり、夜間のアルバイトは大学生が大多数を占めていた。  そのため、定期的にレポートをはじめとした課題や実習、卒業生ともなると卒論や就職活動によって多忙を極め、バイトに出られる人員が非常に限られる時期が発生する。  今日は特に皆都合が悪く、大学一年生である清水だけが今日のシフトを引き受けてくれたのだ。  夜間どんなに少ない来客でもレジ役、サービス役、外回り役と最低三人はいると安定して現場を回せる。堂本店のレジ部門の正社員はレジ担当の大根と山野、レジチーフで構成されているのだが、アルバイトが一人でもいなければ社員総出かレジ役とサービス・外回り役と二人体制で力技で乗り切らねばならないところだった。できないことはないが、夜間店長の佐々木の例を考えると状況によっては苦しくなる。 「他の正社員の方はアルバイトを下に見ている感じがあって嫌いですけど、大根さんと山野さんは優しくて好きです」 「かわいいかよ〜! うちもそんな正直な清水ちゃんがしゅき!」  バッサリと言い捨てる清水を、山野は嬉しそうに小突く。  この時山野の頭からは、大根からされた怪しい男の話はすっかり消え去っていた……。 * 「いらっしゃいませ〜」  20時を迎えた頃、山野は休憩から戻り、レジに戻って業務を再開する。  日曜の夜、休日での外食や仕事終わりに立ち寄る人間が平日に比べ少なくなるため、スーパーへ出向く人間は減少する傾向にある。見込み通り店内の客数はまばらだ。  これからの作業割当にはレジに清水、サービスカウンターには大根、外回りは山野になっていた。  閉店時間は22時。閉店まであと2時間だ。  山野はレジ周りのゴミ回収を完了させると、外に出て大量のゴミ袋をカゴ車で運ぶ。  手早く外回りを終えて店内に戻って来ると、時間は21時を回っていた。 「外おけです。大根サン、大丈夫でした?」 「ありがとう山野さん。一瞬混んで清水さんの隣で手伝ったぐらい。大丈夫〜。……!」  サービスカウンターで大根に声を掛けると、明朗な返事が戻って来る。が、大根は何かを見つけるなり顔をこわばらせ、その場でカウンターに隠れるように屈んだ。 「? どうしました?」 『きた! あの人が!』  口元を抑え山野に上目遣いで囁く大根の目は怯えていた。  山野はハッとして視線を周りに走らせる。  大根が語っていた男の特徴を思い出し、血眼になって彼を探した。  すると、山野はサービスカウンター付近の商品棚をうろうろと歩き回る、挙動不審の男を見つけた。服装は黒ジャージで、白い二本線が入っている。  ――あいつか。山野は目標を発見すると大根に合わせて屈み、小声で伝えた。 『まだあの人ウロウロしてます。外回りも終わってるし、閉店までもうすぐなんでレジ締めとサービスはうちがします。先輩はしばらくここに隠れててください』 『……いや、大丈夫。急に見つけて、動揺しちゃっただけだから。今まで私一人じゃないと話しかけてこなかったし、山野さんと一緒なら大丈夫だと思う』 『でも……』 「平気! ほら行こ!」  山野に気を使わせないためか、大根は気丈に立ち上がる。山野は釈然としなかったが、先輩である彼女に従い閉店に向けレジ締め作業を開始したのだった。  その後、男は二人に声を掛けてくることもなく、気がつけば姿を消していた。 * 「みんなお疲れ様〜!」  無事レジ締めが終わりお金を回収すると、大根は山野と清水にアルファー波を発しているであろう究極の癒しボイスで労った。 「お疲れ様です。なんとかなってよかったですね」 「清水さんも3時間ぶっ通しレジ疲れたでしょ。助かったよ〜」 「おーい! レジ終わったかー? 裏いくぞー!」  サービスカウンターにて3人で談笑していると、夜間店長の佐々木がやってきた。裏での作業が終わり、正常にレジが締められたか確認に来たのだろう。大根は片手を上げて応答した。 「終わりました! 今行きます!」  レジから回収した大金を乗せたカートを、大根が引いていく。  大きな問題もなく閉店し、プレッシャーから解放され上機嫌になった佐々木は大袈裟に腰をさすった。 「あー腰がいてえ」 「お疲れ様です。大丈夫ですか?」 「明日休みやし、一日寝るわ。お前らは若くていいなぁ、この年になったら何かしらどこかがいてえんだぞ。病院ばっか行ってる」 「大変ですねー」 「山野さん棒読み……」  他愛のないことを話しながら、4人はバックヤードにある事務室に辿り着く。  事務室には放送用のマイクや店内に複数設置されている監視カメラ映像を確認できる機器がある。店がバタついていない時には店長はここで店内の客の出入りをリアルタイムで確認したり、チラシ内容を放送している。    奥には別に鍵付きの扉のついた金庫室があり、ここに売上を保管し、早番の事務に精算してもらう手筈になっていた。 「佐々木さん、お願いします」 「おう」  レジのお金を事務室の金庫に保管するのは、夜間責任者である夜間店長の役目だ。  カートを持っていた大根と佐々木は金庫室に入り、規則通り互いに売上を不備なく保管しているかどうかチェックし合っている。山野と清水は金庫室の外で二人を待っていた。 「ふあーあ……ねむ」 「山野さん……」 「んー?」  上司らの目をかいくぐりあくびをした山野は、清水に目を移す。清水の言葉はそれ以上続くことはなく、言葉を失ったまま一点を凝視していた。  清水が何を伝えたいのか把握できない山野は、彼女の視線を追う。清水の視点は監視カメラ映像にあった。  ――目を凝らして、ようやく気づく。売り場、レジ前など様々な場所を映し出している無人の店内の中に、いるはずのない人影がカメラに映りこんでいた。    映像の場所は店舗に一つだけ存在する従業員入口の前。  お客様駐車場からもわかりやすく見える位置にあるそこに、()はいた。    闇夜に同化する上下黒のジャージに、わずかに浮かび上がる白い二本線。落ち着きなく体を小刻みに揺らしている様子が、ひどく不気味だった。  それは、今日山野が確認した男――大根が怖がっていた男性客に違いなかった。  男は純粋な幼子のようにワクワクしながら、何かがくるのを今か今かと待っているように映った。  気のせいだろうが、不意にカメラ越しに男と目があった気がして、山野はゾッと肌が粟立ち防衛本能から叫んでいた。 「大根さん! 佐々木さん! ……来てくださいっ!」  ――その日、夜間店長佐々木が外で待ち受ける男の元へと向かったが、男は素早い身のこなしで逃走。店舗側はようやく事態を重く受け止め、警察にも相談した後、大根はしばらく遅番出勤を控えることとなった。  後日性懲りも無く現れた男に店長が厳重注意をしたところ、男は深く反省した様子で「ただ、可愛いからどうしても会って話したかった。怖がらせていたとは思いませんでした」と話したそうだ。    それから大根へのストーカーめいた男もこのような事件も二度と起こることはなかったが、あの日の恐怖は3人の中で未だに生きている。    山野は事務室の監視カメラを見かける度、男の悪意のない固執したまなざしを思い出しては、悪寒が止まらなかった……。  
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