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〝気温の上昇に伴い桜はどんどん咲き始め、今週末には見頃を迎えることでしょう!〟
朝の天気予報で言っていた通り、窓の外から見える大きな桜の木には薄ピンク色の花が誇らしげに咲いていた。あと二、三日で満開と言った所だろうか。今週末が見頃なら、公園や河川敷の桜並木は花見客でさぞ賑わうことだろう。ちょうど桜祭りも予定されてるし。インスタ映えを狙って自撮りしまくる若者や、酒を飲んでどんちゃん騒ぎしたいだけの、まさに花より団子を体現するような大人たちの姿を想像して溜息をついた。あれの何が一体楽しいのやら。……桜なんて早く散ればいいのに。俺の眉間には自然とシワが寄る。
「ちょ、ヤバ! 顔怖すぎじゃない?」
声のした方に視線を向けると、一人の女子生徒が立っていた。山本さくら。何の因果か中学からずっと同じクラスの、もはや腐れ縁と呼べる女友達である。
「何してんの?」
「週番。日誌書いてた」
「マジか。怖い顔だったからてっきり補習でも受けてるのかと思った。数学か何かの課題で難問にぶつかったのかなぁって」
「お前と一緒にすんな」
「ひど! ちなみにあたしは補習じゃなくて自主勉強だからね! 図書室で宿題やってたの。えらくない?」
「ハイハイそうですね」
「ツッコミ雑! 冷たい!」
山本は文句を言いながらこちらに歩いて来ると、俺の前の席にちょこんと座った。放課後の教室は俺たち以外誰もいない。
「てか日誌でそんな悩むとこある? 感想とか? 適当で良くない?」
山本は確認するように日誌に書かれた文字を覗き込む。まだ半分しか埋まっていない学級日誌は、当たり前だが白い部分が多かった。
「……別に日誌の内容考えてたわけじゃねーよ」
「じゃあ何考えたらあんな凶悪犯みたいな顔になるわけ? 眉間のシワすごかったよ?」
「……たいした事じゃない」
俺はカチカチとシャーペンの上部を二回押して芯を出す。……つーか俺、そんなに怖い顔してたのか? 元々目付きも悪いし愛想も良い方じゃないから気を付けないと……と常々思ってはいるが、無意識に出るもんはしょうがない。
「え〜、気になるんだけど。たいしたことじゃないなら教えてよ!」
山本が俺に詰め寄る。花のような甘い香りがして、なんだか居心地が悪くなった。だからだろうか。いつもなら無視するはずなのに、気付けば口を開いていた。
「……もうすぐ桜が満開になるって聞いたから。そしたら花見に人が集まってうるさくなるなって考えてた」
「うん。それで?」
「いや、そんだけ」
「えっ、それだけ!?」
俺の答えに山本は目を丸くして驚く。
「……だからたいした事ないって言っただろ」
言い訳のようにぽつりと続けると、山本は「あっははは!」と大声で笑い出した。
「それだけであんな険しい顔になってたの!? どんだけ人混み嫌いなのよウケる!」
「……うっせ」
「あはははははは!」
俺には何が面白いのかさっぱりわからんが、どうやらツボに入ったらしい。いまだに笑い続ける山本を軽く睨む。
「言えって言ったのお前のくせに」
「ぶふっ、ごめんごめん! まさかそんな理由だとは思ってなかったからさぁ」
山本は目尻に溜まった涙を拭きながら謝ってきた。泣くほど面白いかよ、と内心引いてるのは内緒だ。
「長岡はお花見行かないの?」
「行かない」
「即答!? まぁ、確かにあんたインドア派だもんねぇ」
「こうやって遠くから眺めてるくらいが丁度いいんだよ。静かだし」
「でもさぁ、たまには外に出た方がいいと思うよ? 桜綺麗なのに、近くで見なきゃもったいないじゃん」
窓の外。夕暮れ時の桜は哀愁が漂っていて、なんだか儚さが増していた。
「あ!」
山本が名案とばかりにパンと手を叩く。
「じゃあさ、今度の桜祭りあたしと行こうよ!」
その言葉に、俺はヒュ、と息を呑んだ。しかし、平静を装っていつも通りに答える。
「行かない」
「なんで!?」
「お前は一緒に行く奴ちゃんといるだろ。ソイツと行けよ」
「え〜みんなで行こうよ! 楽しいよ!」
「人混みは嫌いだ。それに、」
「さくら」
彼女の名を呼ぶ低い声が、俺の言葉を遮るように響いた。どうやらタイムリミットのようだ。
「優斗!」
山本はその声の主を見つけると、パッと笑顔になる。
「部活お疲れさま! ミーティングもう終わったの?」
「うん。いっつも待たせて悪いな」
「大丈夫! 長岡で暇潰ししてたから!」
暇潰しとは失礼な。俺の心を読んだように、優斗は苦笑いを浮かべながらこっちを見た。
「ごめんな、コイツが色々邪魔して」
「まったくだ。おかげで日誌がまったく進まなかった。早く回収してってくれ」
「はぁ!? あたしが来る前から全然進んでなかったじゃん!」
「うっせ。いいから早く帰れ」
「言われなくても帰りますー! 長岡のバーカバーカ!」
「……小学生かよ」
呆れたように呟くと、山本はカバンを持って立ち上がった。
「さっきの話、今週末だからね! ちゃんと予定空けておいてよ! 優斗にはあたしから言っとくから!」
それだけ言い残すと、山本は返事も聞かずに彼氏の元に走って行った。……桜祭りなら行かないって言ったのに。ったく。勝手な奴だ。
俺は溜息をついて日誌を書き始めた。山本のいなくなった教室はやけに静かだ。窓からは夕日が射してきて、室内をオレンジ色に染め上げる。外からは楽しそうな男女の声が聞こえてきて、思わずそちらに視線を移した。
二人並んで歩くその姿を窓から見下ろす。山本は優斗の隣で楽しそうに笑っていた。優斗もそんな彼女を見て優しげに笑う。俺の眉間には深くシワが寄った。山本の赤くなった頬も、熱のこもった眼差しも、幸せそうな笑顔も、見てて全部イライラする。俺にはそんな顔、見せてくれないくせに。それなのに……あんな簡単にどこかに行こうだなんて誘いやがって。無神経にも程がある。
だって、親友の彼女である君は絶対俺に振り向かない。細い枝に咲く桜の花は、儚くて綺麗で……手が届きそうで届かない。
だから俺は、
「……さくらが嫌いだ」
呟くと同時に、冷たい風に乗って桜の花びらが静かに散った。
了
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