終章 塔、あるいは物語の姫

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 目覚めた時、側に彼女の姿はなかった。  見回せば、本棚の向こうに見える小窓に彼女が身を寄せていた。そっと近づくと気配に気づいた彼女が顔を上げる。 「もう起きたのかい?」 「そちらこそ。まだ夜明け前じゃないですか」  ややひやりとした風が彼女の白い巻き毛を揺らす。見れば小窓が薄く開けられていた。  彼女の隣に腰を下ろした彼は、その手元にあるものを見て不思議そうに首を傾げた。 「なんですか、それ?」 「君は何に見える?」 「そうですね。半透明の、……卵でしょうか?」  正解、と笑って彼女は両手に包みこんだものを見下ろした。 「これは君とわたしの卵。優れた物語の語り手と、物語を熱望する者の間から生まれてきたものだよ」  彼女が軽く息を吹きかけると卵の上部がきらきらと崩れた。そこから砂金ように揺れる金の小鳥の影が飛び出すと、羽ばたきながら宙を舞う。  金の小鳥に目を奪われる彼に、彼女は歌うように言った。 「この子は、物語を創りたくなる情熱。あまねく世界を渡って物語の種を宿した書き手の心を刺激する。そうして彼らが紡いだ物語がまた、この塔へと帰って来るんだよ」  小窓の向こうの空が白み始めた。  金色の小鳥は小窓のすき間を抜けると振り返ることなく空の向こうへと飛んでいった。彼女はそっと小窓を閉めると、彼に向き直りながら言った。 「君は元の世界に帰るといい。そしてよかったら、物語を書いてほしいな。君の書いた物語はきっとこの塔に届くはずだよ」  彼女の言葉に彼は渋い顔をした。 「俺は読み手ですよ、書くことなんてできません」 「本心は違うだろう」  反論の言葉を遮って彼女は笑う。 「君は今、あの子を見てしまったんだから。(ここ)で出会った話を糧に、君だけの物語が創りたくなって仕方ないはずだよ」  彼は眉間にしわを寄せて窓の向こうを眺めると、盛大なため息を吐いて顔を背けた。 「俺、本当に帰りたくなかったんですよ」 「うん」 「叶うなら、ずっとここにいたかった」 「そうだろうね」 「もしかして、あの卵を俺に見せたのはわざとですか?」  くすくすと笑った彼女が白い羽毛に覆われた腕を広げた。手探りで彼の背中へ腕を回すと、そっと体を寄せながら囁いた。 「君の創る話を楽しみにしているよ。……朝日が見えたら、お別れだ」 『改訂・姫十夜』 ─了─
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