特別と言うには大袈裟な日

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長方形の黒色な皿に乗った、同じく長方形のだし巻き卵は綺麗な黄色をしていて、星々が輝くような煌めきを放っていた。 私は優しく丁寧に、壊れ物を扱うようにして黄色いそれに箸を伸ばす。箸の先で小さな切れ込みを入れて分離させれば、ぶわっと白色な湯気が宙を舞った。同時に食欲をそそる芳しくも甘い匂いが私の鼻腔を刺激する。甘さの中に、誰もが親しみあるだろう出汁の香りに、私のお腹は情けない音を上げた。 膨らんでいた胃が縮こまるような感覚に、無駄な胃酸が分泌されている気がする奇妙な感覚。それに加え、私の体は速く目の前にあるそれが食べたくて堪らないのだろう。口の中に涎が溜まっていく。もちろんこのまま我慢を知らない家畜のように、与えられた食べ物にがっつくのも悪くない選択肢のひとつだ。しかし、だ。私には今、吟味する資格があるのだ。 箸で摘まれただし巻き卵を私は掲げ、観察するようにその外観を見詰める。焦げひとつ無い、どこからどう見ても美しい黄色──いや、黄金のそれだ。申し分ない外観を見た後は、箸で割った断面を見た。断面はと言うと同じく黄金色であるものの、更に美しさを足すように白い渦模様が描かれている。胸がトキメクような感覚に酔いしれながら、私は黄金色に輝くそれを舌の上に乗せた。 内から貫くような芳醇な香りに、私の胸は鼓動を速める。そして柔い肌に甘噛みするように、私は口の中に放り出されたそれを優しく噛んだ。ふんわりとした感触がしたと思えば、私を襲うは母の愛情に包まれたような、心地よく温もりある優しい味だった。私はゆっくりと噛み締めながらそれを飲み込み、感嘆とした息を吐く。 「毎回思うけど、だし巻きちゃんのそれ。ちょっと大袈裟だと俺は思うんだけど」 一連の流れを見ていた琉星くんは、どこか呆れたような声音で私にへと問いかける。私はそんな琉星くんを尻目に、飲み込んだ余韻に浸っていた。 「なんだろう……こう、家庭の味……みたいな?」 「いや、普通の白出汁だけど。業務用の」 否定的な琉星くんの言葉に、私はむっと眉間に皺を寄せて拗ねた子供のように唇を尖らせた。自分でも大袈裟な反応をしているという自覚があるせいか、否定された事が気に入らなかった。 私は琉星くんを一瞥した後、相も変わらず情けない音を上げる腹を満たす為、だし巻き卵にへと箸を伸ばした。 琉星くんに夢を壊された後では、先程のような母の愛情や、心地よい温もりは一切感じられなかった。私の舌の上に残る味は卵の旨味と、鰹節の風味が感じられる出汁の香り。もちろん、凄く美味しいことに変わりはない。こんなにもふんわりとしただし巻き卵を私は他に知らないし、じゅんわりと溢れ出る出汁の旨味も知らない。この味を堪能できるのは居酒屋金魚だけだと私は理解している。だからこそ私はこの場所に通っているのだ。 「……というか、琉星くんまだ勤務中なんじゃないの?」 体に穴が空いてしまいそうな程に見詰めてくる琉星くんに耐えかねて、私は口火を切った。 案内された個室は外の音をほとんど遮断する。その為、こんな風に琉星くんと二人きりになるのは私にとって気まずいものがあった。なんせ……駅で琉星くんに助けてもらったというのに、琉星くんだと気づけず、挙句には失礼な態度を取ってしまった。ストーカー疑惑があるとか、気持ち悪く思ったこととか。色々と申し訳ない気持ちがあるせいか、私は琉星くんを直視することができない。 「だいぶ店も落ち着いたから。店長がだし巻きちゃんと一緒にいてもいいって。それに、ほら。捻挫しちゃったんでしょ? その手当もしなきゃ」 琉星くんは立ち上がって、見下ろすように崩していた私の足に視線を落とした。用意がいい事にテーブル越しで隠れていた琉星くんの手には救急箱が握られている。 「えっ……いや、でも。これは私の不注意だから、手当てとか」 「──ヒールが折れたんでしょ? そういうのって不注意もクソも無いでしょ。さすがにヒールなんて履いたこともないから、よく分かんないけど」 首を振って遠慮する私をお構い無しに、琉星くんは私の隣に腰を下ろす。そのまま赤く腫れた足首を見て、心底呆れたため息を彼は零した。 「だし巻きちゃんは気にせず食べてていいよ。なんなら、それだけじゃ足りないでしょ? 試作も兼ねて新しいのも作ってくるし」 テーブル上に置いてある未使用のおしぼりで、琉星くんは私の足首に触れる。触れられた瞬間、ズキンっ──と強い痛みを走らせたが琉星くんはそれを知ってか、それこそ私がだし巻き卵を丁寧に扱うように、骨ばった手で私の足首を拭いた。 「琉星くん……ごめんね、駅でのこと。ヒールが折れたのもそうだけど、ちょっと嫌なこと続いてて余裕なかったみたい。琉星くんが言うように冷静だったら、琉星くんにも気づけたかもしれないのに」 胸の内に溜まっていた申し訳なさを吐き出すように、私は食べていた手を止め箸を置いて、彼に謝罪をした。 琉星くんは顔を上げることはせず、うん、と。一言置いて足首に湿布を貼る。唐突に訪れた冷たい刺激に私は驚いて、びくりと足が揺れた。しかし、容赦なく湿布の上から包帯が巻かれていく。だし巻き卵と掛けるわけではないが、包帯を巻くのも上手いものだなと思いながら、私は彼の返事を待つように包帯が巻かれ終わるのを待った。 「なんで、だし巻き卵好きなの? って訊いても、いつも教えてくれないじゃん。だから、その答え。教えてくれたら、駅でのことも許してあげる」 琉星くんはそう言って、優しく私の捻挫した足首を撫でた。
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