特別と言うには大袈裟な日

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私の一週間は月曜日の朝五時から始まる。慣れなかったメイクに掛ける時間も、数年が経てば一時間も要することは無くなった。しかし、ハイヒールには未だ慣れない。慣れない足で慣れない窮屈な満員電車。出社するのすらストレスな現実に残業は当たり前と言わんばかりのブラックよりのホワイト企業。 なんの為に働いているのか、なんの為に私は生きているのか。そんなくだらない事に頭を使ってしまうくらいには、私の心は死んでいた。けれど、琉星くんのだし巻き卵に出会って、私は生きる理由ができた気がしたのだ。 生まれて初めて、心が感動するような食べ物に出会った。疲弊しきった体に、一切の感情が欠如したような死んだ心。それら全てが、たったひとつのだし巻き卵で潤いを取り戻した。そんな気がした。 食事をする理由も生きるには必要。ただそれだけの価値しか見い出せず、飲食店のような場所に私が通うのもそうそうある事ではなかった。だから本当に、居酒屋金魚に訪れたのも、そこでだし巻き卵を食べたのも。ほんの偶然に過ぎなかった。なにが私をそうさせたのか分からない。けれど確かなことは、私にとって一週間の終わりでしかなかった金曜日が、世の言う華の金曜日に変わり、私の楽しみな日になった、ということだけだ。なにも特別な日ではない。私が一週間の中で唯一楽しみにしている日であり、唯一、心が癒される。ただそれだけの日。 「琉星くんのだし巻き卵が好き。それだけの話で、それだけの理由だよ」 「……やっぱ、ちょっと大袈裟だよ。褒めてくれるのは嬉しいけど」 私の話を聞いた琉星くんは、どこか照れたような顔をして話す。年相応の若者の照れ顔は、社会人となった自分には眩しいものがあった。 「俺でよければ毎日……だし巻き卵作るけど? だし巻きちゃん、ちょっとドジなところあるし」 「ドジは余計。でも、毎日だと私のお金がもたないわ。それに、楽しみな日じゃ無くなっちゃうじゃない」 どこか残念そうな顔をする琉星くんを瞳に映して、私は最後の一切れである、黄金のだし巻き卵を頬張った。
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