神上使

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神上使

 外観は三層、つまりは三階建ての塔なのに、(なか)に入ると……そこは天井が見えないほど高く、螺旋階段は確かにあることはあるのだが、永遠に続いているように見えたのはなにも二人の錯覚ではなかった。 「馬鹿な……が確かめたときには、天井は飛び上がれば届く高さにあったぞ」  奉孝が言う。  は、自分が女人であることを忘れるために、あえてを連発しているようにタケルにはおもえた。おそらく、咄嗟(とっさ)のおりに(まこと)の自分にかえってしまうこともあるのだろう。  それを避けようとしているのだろうとタケルは察した。だから、何も言わない。いまは、視界に映っている光景の謎を解かなければなるまい。 「これは幻覚ではなさそうだぞっ!」  叫んだのは、タケルである。  なぜ、当然のことを口に出すのか、奉孝には判らない。それぐらいのことはとっくに奉孝には把握できている。要は、このような大掛かりな仕掛けを造る意味とその目的を、奉孝は思案していたのである……。 「……何年も前から大勢の人を動員し造らせたのか……」  と、奉孝はつぶやいた。  低声(こごえ)ながら、あえて口に出したのは、『幻覚ではない』とのタケルの(げん)にすでに同意していることを知らせるためであったろう。  あるいは言外に、分かりきったことを言うべからず……との戒めであったろうか。 「賊がいません」  またタケルが見たままのことを口に出した。見れば分かることを、そのつど告げられるのは奉孝にとってはどうやら苦痛のようである。 「いや」  と、奉孝はあっさりと否定した。 「……首魁はいる……たちをじっと見ているな……花畑にいたときにも、つぶさに観察されていたかもしれない」 「な、る、ほ、ど」  と、タケルは言った。  実はそのことにタケルは気づいていた。だからこそ、あえてことさら無能ぶった受け答えをしてきたのだ。  それを奉孝は知るや知らずや、黙ったままタケルを残し、いきなり上へ跳躍した。 「あ」  タケルはそれを合図とみた。床を転がるように這い出すと、そのまま壁に箒灯を立てかけた。 「や!」  すでに奉孝の姿はタケルの視界にはない。  耳を澄ませば、一定の音律に支えられた読唱(どくしょう)がかすかに響いてくる。唱えているのは奉孝ではあるまい。 (やはり首魁か……!)  タケルは神剣の(つか)をおのれの額にあてた。目を閉じ……天叢雲剣と一体になるのだ。  なにも剣に同化するのではない。  剣が感知しているはずの何ものかの所在をタケルは探ろうとしている……。 「あ!」  突如として矢が飛んできた。  音もない。  人の気配すらない。  矢の飛来を感得してもタケルは動かない。ひたすら天叢雲剣の内なる声を聴いている……。  数本の矢が、今まさにタケルの頭と胸に迫ったとき……箒灯が眩しい光を放った。  赤くも白くもない。  それは光の源泉であるかのように、波打ちながらタケルの躰を覆い包んだ。 「や」  瞼を開けたタケルは、一寸手前で矢が宙で停まり、そのままばらばらと床に落ちていく様子をみていた。  驚かない。  が、この瞬時(せつな)、タケルはおもった。 (……箒灯をお貸しくださった華陀様は、神医である前に、もしかすれば老仙のような御方なのかもしれない)  そんな思念がぽつんと浮かんだとき、すぐ側(わき)に華陀本人が居るように感じた。  幽体なのであろうか。  あるいは、華陀の思念の(ぱく)であったか……。  それはわからない。  けれどタケルは確信した。  この塔のなかには目には見えない味方がいてくれることを心強く感じた。  まだ矢は……飛来してくる。  そのつど、箒灯の明かりががタケルのからだを包み、矢を当たる前に落としていく……。 「こ、こいつ、化け物だぁ」 「神上使(しんじょうし)にしらせよ!」 「いや、近づくな……遠巻きにしたほうがいいぞ」  背後と上方(じょうほう)から、(おのの)いた声が上がった。  数人……いや、二十人は超えている。 (いつの間に……)  タケルには、賊徒らが突然現れたようにおもえた。むしろかれらのほうが化け物に近いではないか……。 (しんじょうし? なんのことか……)  ……タケルには字句がわからない、つかめない。  けれどおそらく首魁のことであろうと察した。  奉孝の姿は見えない。  が、すぐ近くに居ることだけはタケルにはわかった。奉孝に渡された腕輪が熱くなったのだ。 (どこにいる……)  タケルはいま自分が決して一人きりではないことを感得していた。味方の存在は、勇気と次なる行動の源泉になるのだ……。  どうやら敵は矢を射るのを()めたようである。  むしろ、こちらを傷つけずに生け捕りする作戦に出た……と、タケルはみた。ならば、こちらも対応を変えねばなるまい。  ゆっくりと、さらにゆっくりと、こちらの大度(たいど)を見せつけるように、余裕しゃくしゃくとタケルは立ち上がった。  こんなときにこそ、張飛が居れば、敵への睨みが効のだが、いまは一人。いや、奉孝が近くに居るはずだ。  それに……。  どうやら幽体化したらしい華佗も、タケルとともにある。  それを確信しているからこそ、タケルは、緩慢(かんまん)すぎるほどゆったりとした動きで、あえて(すき)をつくった。  頭のてっぺんから爪先まで、風の流れるままに(なび)(あし)になっている……。  賊徒は一人二人……と次々に姿を現した。  タケルが降伏したと勘違いしたのか、ぞろぞろと穴から這い出す大鼠のごとく現れては、口々に、 「ほぉぅ」 と、嘆息した。  どんな化け物かとおもえば、まだ、少年だぞ……とタケルを侮ったような驚きであったろう。  しかもタケルの顔に入れ墨があっても、さほど驚かない……ことから、この賊たちの出身を推し測ることができよう。  おそらく華佗ならば、すかさず、 『江南(こうなん)あたりの出だろうの』 と、呟いたにちがいあるまい。  鯨面文身(げいめんぶんしん)の風習が、まだ江南近辺には色濃く残っていたのである。  とすれば……この賊徒どもは、かの地から集団となって流れてきたことになろう。  一様に黄色の頭巾(ずきん)をかぶっている。到底、兵士には見えないものの、統一された目印……黄巾(こうきん)をかぶり、命令系統も軍隊並に確立されているようであった。  ……のちにタケルは知ることになるのだが……かれらは黄巾賊(こうきんのぞく)と呼ばれる反乱勢力である。  ちなみに、反乱……というのは、総じて、官に反抗するものに対して用いる語句であって、この時代の“官”とは、とりもなおさず漢王朝である。  もとより、詳しい情勢や個々の情況などタケルは知る(よし)もない……。 「おおっ、神上使様……」  かれらが一斉に片膝ついて賊徒が出迎えた人物は、タケルの前に佇むと、 「和邇(わにの)タケルよ……待っておったぞ!」 と、(しわが)れた声で言った。 「おやおや、わしがおまえの名を知っていても、さほど驚かぬな。ほ、ほっほ、不思議じゃ、おまえの心が読めぬ……まるで、堅い岩石のようだ」  タケルがそんなに驚かなかったのは、秩序立った組織のありようから、臨淄(りんし)に足を踏み入れたまさにその時から、賊の仲間が民のなかに紛れ込み、旅人の素性の情報を集めていたからだろうと、察したからである。つまりは、至るところにかれらの仲間が隠れ(ひそ)み、互いに口伝え、あるいは伝書鳩や狼煙(のろし)の色、煙の文様などで、上官からその上の者、さらには目の前の首魁まで伝わっていたのであったろう。  葦になっていたつもりが、まるで岩石のようだと言われたタケルは、それだけまだ緊張していたのだろうと、おのれを省りみていた。  それだけの余裕がまだあったのだ。  そんな態度こそが、〈岩石のような……〉と形容されたことに、まだタケル自身は気づいてはいない。  目の前の首魁……神上使は、タケルを凝視し続けている。 「ほ、ほっほ、喋らぬな……、ふうむ、初めてのことだ、わしの術が()かない奴に出会ったのは……。まあよい、おまえが持っているその断竜斧を渡してもらおう……さすれば、命だけは助けてやってもよい」  首魁がタケルの剣に手を伸ばしかけたとき、剣が視界から消えた……。 「や、おまえ……」  首魁は驚愕したその表情を隠さない。なんのことはない、タケルは呪を唱え、天叢雲剣を縮小化したに過ぎないのだ。どうやら敵はそこまでは知らなかったようで、首魁は睨みをやめず、左手をおのが顔にあてると、親指と人差し指で、右の眼球をぽいと無造作に取り出してみせたのだ……。
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