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火焔の正体
燃え広がり来る炎をみても、タケルはそれほど慌てなかった。熱……を感じなかったからだ。
異変というものは、おのずと周りの緊張の度合いを高めていく起点となりえるものの、そこに感情を差し挟んでしまうと、取らなければならない迅速な行動を抑制してしまいかねない。
すばやくタケルは、ガバッと身を伏せ、地に耳をあてた。
ドドッと規則正しい鼓動が地の底から響いてくる……。
(や……こ、これは……!)
タケルは驚いた。
「こら、そんなところにへばりつくな!」
怒鳴ったのは張飛である。
「格子を壊して逃げるぞ!」
張飛は体ごとぶつけて壊そうと数人に合図を送った。それを止めたのは、華陀である。
「待て! このタケルと申した若者は、すでに気づいておるわ」
「な、何に?」
と、張飛は目を白黒させた。
「これ、タケルよ」
と、華陀が言った。
「……さ、いま、そなたが気づいたことを、すべて申すがよい」
「は、はい……この炎は逆流しただけのこと。おそらく……この洞窟は……」
「ほ、それから?」
「……洞窟ではなく……巨大な生き物の体内ではないかと感じました」
そうタケルが言うと、
「はぁ」
と、大口を開けた張飛がタケルの首根っこを掴んだ。
「おいっ、いい加減なことをほざきおって、われらを惑わすでいわっ」
「いえ、ほら、炎はちっとも熱くはありませんよ!……それに、煙も炎も、こちらへは向かってこずに、向こう側へひいていきました……」
タケルが指差すと、格子に顔をつけた張飛が、
「おっ」
と、吃逆のような声をあげた。
「なるほど、たしかに、ちっとも熱くない……ふうむ……こ、これは奇妙だな。お、おまえ、一体、何者なんだ? 巫師《》》ふし__#の類かっ!」
「……いえ、そんなものではありません。先ほども申しました。大海を渡って参りました……ヤマトから」
「だから、そんな国、聴いたこともないぞ……#辰国__しんこく__#なら一度は行ってみたいと思うておったが……ヤマトなど知らんわ」
ばつの悪さを隠そうと張飛は大声を張り上げる。そのつど、窟内の気が揺れ乱れた。
タケルはタケルで、目の前の張飛という巨漢は、ただ者ではないと察していた。
それにしても、こちらが感得したことを瞬時に見抜いた華陀の正体が、タケルには気がかりだった。やはりただの医者にはおもえないのだ。
(あるいは……この御方こそ、陽巫女様の預言にあった、當麻仙人かもしれない……)
わざわざタケルが海を渡って未知の大陸にやってきたのは、〈當麻仙人〉を探すことも課せられた使命の一つなのだった。
タケルが思念したその直後に声がした。
華陀である……。
あたかもタケルの思念を読み取ったように、首を横に振った。
「いや、そうでないぞよ。わしは仙人などではない……むしろ、この張飛のほうが、それに近い存在かも知れぬでな。……五百年、千年のちにもその名を遺す者こそ誉れと知るべし」
華陀はそんなことを悠長にいう。
たとえ訳の分からないことをつぶやかれても、神医には頭の上がらない張飛は、それで異国の少年から目を逸らさない、逸らせない……。
「おい、和邇タケルとやら、おまえ、何を成さんとこの国にやってきたのだ?」
幾分落ち着いた張飛が、先刻と同じことを言葉を変えて訊いた。
張飛の周りには人がいない。
気絶していた者も多かったにちがいないが、離れていたのは、やはり、神異なる存在、それが人であれなんであれ、そういうものにはことさら近寄らないほうがいいといった本能的な忌避感情が強かったのであろう。敬意は払えども馴れ親しむなかれ。それもまた礼節というものであったはずである。
いずれにせよ、華陀はともかく、張飛とタケルの二人は、この場にいた誰もから一定の敬意とともに、それ以上の警戒心を持たれたにちがいなかった。
「……はて、巨大な生き物の体内だとぉ? ふざけたことを申すやつだ。あのな、そんな巨大なものがいるはずかなかろうよ。な、気は確かか? しかもだ……炎を吐く生き物といえば……」
頭を捻りつつ張飛があれこれと考え出した。単純だが素直に疑問と向き合う性向のようだ。炎を吐く……といえば、張飛にはこれしか思い浮かばない。
龍……である。
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