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脱 出
タケルも張飛もここは華陀の判断を是とするほかはなかった。ほかに手立てを思いつかないのなら、黙々と指示されたまま体を動かすしかない……。
華陀は拳骨でコンコンと壁を叩いては、ところどころに草汁で印をつけている。携えている薬草箱はかれにとっては万能収納袋のようなものであったろうか。手提文箱ほどの大きさなのに、なかには大きなものから細々とした小道具まで収納されているらしく、そのことにも首を傾げかけたタケルはあえて考えないことにした。張飛は張飛でよほど華陀翁を敬っているのだろう、黙々と手を動かし続けている。華陀に持たされた絵筆の先を、これまた指定された箇所にぽんぽんとなぞっている。
「これこれ、もそっとゆっくりやらねばならん。手首だけを回すように、の」
華陀は言う。見てもいないのに、次から次へそんな指示を出す。
「ええええ、こうやればいいのですな。あ、タケルの野郎はなあんもしちゃいないけど……」
「いいんだ、いいんだ、かれには断竜斧の刃先で突いてもらわねばならんでの。印をつけた箇所を見極めてもらわねば、の」
そう言われてもタケルは、張飛がつけた点と点とを結べば、なんらかの文字か図形になるのかと目を凝らしていた。
すると、
「なあんも意味はないぞよ」
と、揶揄するように華陀がいった。けれど目は笑ってはいない。
「わしの合図を待って、その箇所をおもいおもいに突き刺すべし」
「は……それでよろしいのですか」
半信半疑のままタケルは陽巫女の神剣を構えた。
「おや」
張飛がいった。
「この壁……固いところとボヨボヨしているやわらかい場所があるぞ……ひゃ、気持ち悪いや」
けれど華陀は答えない。タケルも牢内の人たちをどうしようかと考えていたので、張飛の不審は耳には入らなかった。
「皆は救えぬぞよ」
言ったのは華陀であった。二人に向かって、かろうじて動けそうな者だけを選べと告げた。
「で、でも、そんなことをしたら、半数に減ってしまう……」
思わずタケルが抗弁した。張飛も戸惑い顔を隠さない。
「……あらゆる者を救済できるとおもうべからず』
と、華陀は叱咤したのだ。
「全救済というは、それはの、傲慢というものじゃよ」
とも、華佗はいった。たった一人を救うために十人の生命を失うことも、世の中には往々にしてあることだ。それがこの世の現実というものであった。
「いまぞ、タケルよ、やれぃ!」
雄叫びに似た華陀の声に誘導されるがままタケルは剣を突き立てた。ひいては刺す。突いては別の一点めがけて腕をずらした。
ダァーギヤャャァアォオオォ……
突如として轟音が響いた。脚がもたつくほど地が揺れた。……壁も天井も鳴動した。
いや、それは蠕動というべきであったろうか。
タケルが指摘していたように、あたかもその窟内全体が音とともに収縮とその反動を繰り返した。
「ぎゃ、やっぱりタケルがほざいていたように、この洞窟は生きているのかっ!」
張飛のその声も、突如として窟奥から流れ溢れ出てきたものに流されて掻き消えた……。
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