道連れ

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道連れ

「ひゃあ、臭え、臭えぞぅ、おい、鼻を塞げぇ! 口を閉じろぉ」  も、のたうち叫び続けていた張飛をすぐ(そば)で感得しつつ、タケルは気づかないうちに左手に持たされていた華陀の薬草箱を小脇に抱え込み、後方へ神剣を刃先を向けた。濁流のごとく流れ込む液体を摩擦で勢いを断つ判断をした。同じように流されゆく囚人たちを、手前手前へと招き寄せる役割も果たす。  華陀の姿は見えないが、タケルはおのが芯奥(しんおう)にて華翁の存在を感得していた。  やがて前方に明るい一点が視えた。 (脱出口かも) と、タケルは察したが、おそらくはであったろう。その光の一点をめがけ、タケルは神剣の向きを変えた。出口が狭ければ、剣先で拡げるしかない。その即断が功を奏したかどうかはわからない。  誰かが先に外へ脱すると、タケルらは次々に排出されていった。 「なんじゃあ、こりゃあ」  外界へ出た張飛は宙に浮かぶ竜のような巨鳥のような存在の輪郭を視た。透明なのだが、そのかたちのありようだけは張飛にもみえた。みたような気がした。 「ひゃ、オレたちは、あそこから出てきたのかぁ」  何度も張飛は繰り返しているそのすぐそばでは、すでに華陀が負傷者の手当をしていた。  タケルも無言のまま手伝い出した。外に出ることができた上は、振り返りは後回しでいい。いまやるべきことをやる……華陀の背がそう囁いているようにタケルにはおもえてならない。  ぶつくさ喚いていた張飛も華陀のそばに寄ってきて作業に加わった。かれらの出現を目の当たりにした里人たちも、ぞろぞろと姿を現すと、おもいおもいに救援の列を成していった。相身互(あいみたが)いの精神(こころ)は、まだ息づいていたらしかった。 「ところで、の、臨淄(りんし)の都はここから遠いかの」  さりげなく華陀は道筋を確認している。里人たちにしてみても、専業職としてはまだ珍しい医師の問いかけには素直に答える。 「三日三晩とかからないが、行きなさるのはお止めになったほうがいい」 「ほ、それほど荒廃しておるということかの」 「それもありますがの、あのあたりには魔のものが棲みついて、女子どもと見れば、見境なくさらってしまう……だから、わしらもおいそれとは近づけねえ」  すると横から張飛が、 「なにぃ、そんな人さらいなぞ、このオレ様が退治してくれるわ」 と、息巻いた。  格好をつけているのではなく、どうやら本心らしい。悪をくじき弱きを助ける……侠のこころを持ち合わせているようだった。 「なあ、タケル、おまえもどうだ?」 「え……? な、なんでしょう?」 「なんでしょうとは、なんだ? かよわき者をかどわかすなど黙って見過ごせないだろうが!」 「は……はい」 「よし、決めたぞ。オレたちは医仙さまの伴をして、臨淄(りんし)で大暴れしてやろう。な、よし、これも決めた。おまえと知りおうたは、機縁というもの。今日この日から、オレとおまえは義兄弟だ。な、わかったか、生まれた月日は違えども、死ぬるときは一緒だ」 「え……?」 「なんだ、不服か! オレのほうが歳上だから、これからは、オレのことを兄と呼べ。張兄(ちょうけい)と呼ぶことをゆるしてやるぞ」  どうやら張飛には思い込みが激しい一面もあるらしく、口は悪いが周りを巻き込んでいくの能力も有しているらしい。そうと察したタケルは、抗弁できようはずもなかった。    ……こうしてタケルと張飛、そして華陀の三人旅が恥待った。道中で飢えることを(まぬか)れたのは、華陀の噂をききつけた大勢のひとから、治癒の礼にと食糧や水を貰えたからだ。張飛は張飛で、道や野原に転がっていた兵士の屍体(しかばね)を見つけると、そのつど土を掘り埋めてやるのだった。  ……もっともそれは死者を弔うという意味よりも、衣類を剥ぎ取り、あるいは武器になる得物(えもの)がないかを探ることが本意であったようだ。  タケルの剣を見た張飛は、 『オレさまにふさわしい剣を捜さねば……』 と、そのことが頭裡の大部を占めていて、いまは長槍と錆びていない鉄剣を腰に差し、余った武器をでっかい麻袋に詰め込んで背負っていた。  薬箱や調合器などの華佗の荷物は、タケルが背負っていて、華佗は行く先ざきで珍しい草花を収集することに喜びを見出していたようである。  ……この一行が、臨淄(りんし)の城塞に辿り着いたとき、崩れ落ちてほとんど原型をとどめていなかった。とはいえ、かの太公望によって築かれた古代の都なのである。  当初は、営丘(えいきゅう)と呼ばれた。  のちに名が改まり、臨淄(りんし)となった。  もともとこのあたり一帯は、土壌が()せており農耕には適さない風土で、(せい)桓公(かんこう)の時代(紀元前685年頃)、製鉄や銅の精錬、陶器製造、織物づくりを中心とした街づくりが進められた。いわばこの物語の時代から、さらに九百年ほど前には、すでに一大工業都市だった……のが、この臨淄(りんり)という古代都市なのである。  ちなみに、王は小城に住み、民衆は大城に別れて住んだ。  最近の発掘調査によると、周囲21km、面積にして約15平方kmに及ぶ都城域であって、その城内には縦横に大路が走り、排水機能も完備されていたようである。  前漢時代には、劉邦(りゅうほう)(紀元前256~紀元前195年)は、おのが息子を斉王として臨淄に封じた。その頃にはすでに、人家にして十万戸を超えたとある……。  その(いにしえ)臨淄(りんし)も、いまや亡国(ぼうこく)の都にすぎない。 「な、なんだぁ、この甘いかおりは……?」  張飛が叫んだ。  一部の人々はまだ荒れた掘立て小屋に住んでいたようである。  瓦礫(がれき)のなかにも空間はある。けれどそこから漂いきたるにおいは……屍臭でも腐臭でもなかった。  むしろ、あまやかな心地よさを誘う匂いであった。……往々にして三人旅というものは、気まずさというものが常に裏合わせにあって、二人が意気投合すれば、一人は仲間はずれにされた挙句にふてくされるものなのだが、華陀(かだ)もタケルも寡黙で、ほとんと張飛が一方的に喋り続けている。  変わった組み合わせ、といっていい。  とうに百歳を超えているかもしれない華陀。  長身で肩も腕も筋肉が盛り上がっている巨漢だが、まだ十八歳の張飛。  年齢不詳ながら十五、六だろうと張飛はみている異国から来た少年、和邇タケル……。  しかもタケルの顔には象形文字に似た紋様の入れ墨があって、通り過ぎる者はこぞって道を譲ってくれるのだ。畏れおののいているのであったろう。この大陸では、顔や体躯の異常さ、常人(じょうじん)ではないものを持つ者に対して、人々は、敬意と(おそ)れを同時に(あわ)せ持つ。  張飛に言わせれば、 「ま、このオレ様に怖れおののいているのだ」 と、それがさも当然のことのように誇らしくもあって、わはっはと豪快に笑う。  あるいは、若いというだけで侮蔑されることを嫌い、ことさらに豪傑ぶりを演じていたのかもしれない。 「においを吸うてはならぬぞ。妖魔のにおいぞ……息をとめよ」  華佗の叱声(しっせい)を待つまでもなく、タケルはすでに鼻を手で包んでいた。  ところが、張飛は……いきなり野兎(のうさぎ)のごとく、ぴょんぴょんと飛び跳ねはじめたのだ……。 (まるで巨大な(かえる)に化身したような……)  驚いたタケルは、親指大に納めていた神剣を元の大きさに戻そうと(ふところ)を探った。すると、それを止めた華佗は、 「急ぐでない……ありゃあ、妖魔のたぐいに悪戯(いたずら)されておるだけよ。そなたのあの断竜斧を見せてしまえば、事はかえってややこしくなるかもしれん。ここはしばし放っておけばいい」 と、告げた。  そうまで言われると、タケルも従うほかはなかった。かわいそうだが、張飛にはしばらくそのままでいてもらうしかあるまい。  陽が落ちつつあった。  蛙跳びの張飛は、ぴょんぴょんと民家の集落のなかに消えていった。  住んでいる者も荒廃のままの家もある。  夜露をしのぐため早々にめぼしい空き家を探ろうとタケルが歩き出したとき、ふいに剣の切っ先が目の前を()ぎった。  勢いはない。  難なく()けたタケルは、身を(ひるがえ)して敵の腕をつかんだ。 「ええい、放せっ!」  叫んだのはタケル……ではない。  見ると、髪を()ったあとがまだ残っている。(かんむり)はないが、束ねた頭上に(かんざし)が突き刺さっている。冠を留めるもので、おそらくは下級官吏(かんり)の成れの果てであろう。  零落(れいらく)しても、その人物は往時の気概だけは持ち続けていたようだ。  タケルは、相手が武術とは無縁の者と察して、すぐにつかんだ腕を放してやった。 「おのれっ! 賊どもがっ! さらっていった女子供を今すぐ返せっ」  その男は、タケルと華陀を賊と見間違えたのであったりう。たとえ(かな)わぬ相手とみてもなお、口汚く(のの)しり出した。口を動かすことで、勇を奮い立たせることもできよう。 「ま、待ってください」  タケルが叫んだ。  ……すると、その男は、タケルの顔の入れ墨を睨んでいる。どうやらそれを賊の一味の(しるし)として早合点したようである、 「……わたしたちは、さきほどここに着いたばかりです。ご神医、華佗(かだ)様もご一緒です……」  あえて華佗の名を出したのは、無用の争いを避けるためのタケルなりの判断である。 「な、なにを!……かだ……ひゃ、あ、あなた様が……?」  華佗のほうを見て、その身体から漂うなにがしかの尋常ならざるもののを感知したのであろう、男はゆっくりと近寄ってきた。 「いかにも……そうじゃ。女子どもを(さら)う妖魔がいると聴いて、退治せんものとはるばるやってきたのじゃよ」 「や……ま、まことでございまするか。こ、これは……失礼をばいたしました。てっきり賊が舞い戻って来たのかとおもいました」  あっさりと引き下がった男が合図すると、民家から老人らがぞろぞろと這い出てきた。  華佗の名にはやはり万金の重みがある。 「ご神医様がどうしてかくのごとき廃墟に……?」  男が問うと、華佗は首を横に振った。 「廃墟ではあるまい。朽ち落ちた家も多かろうがの、こうして、ほら、まだ、おまえたちが、人が、おるではないか……ひとが息づいている限り、廃墟にはならぬぞ」  至言(しげん)である。  じっと成り行きを見守っていたタケルにも沁みるものがあった。 「確かに……そのとおりでございます」  男は華佗の前に片膝をついた。  膝を地につけるのは、相手に対し敵意がないことを明かす所作である。  この大陸の礼法といっていい。 「見たところ、そなたは……武人でもなさそうじゃが?」  華佗(かだ)()く。 「は、はい……書庫の管理をしておりましたが、讒言(ざんげん)()い、職を解かれた挙句、官警に追われ……なんとも恥ずかしながら逃亡中の身でございます」  「それはそれは難儀であったの。ところで、巨大な髭面の蛙が、いま、飛び跳ねてゆかなんだろうかの……わしの旅の連れなんじゃが、ここに着いた途端、蛙になりおっての」 「あ……わたしも同じような目にあいました。一晩で術は解けるはずでございます……北に小さな湖がありまして、そこに棲む妖魔の悪戯でしょう」 「ほ、それは、女を連れ去った賊ではないのか?」 「はい、どうやら違う種族のようです……あ、ご挨拶が遅くなりました。わたしは、(ちん)公台(こうだい)と申します」  男……公台はタケルに向かっても同じように(こうべ)を垂れた。  公台は(あざな)で、実名は(きゅう)、といった。  ……この陳宮は、数年後には曹操(そうそう)に仕え、さらに叛逆してからは、曹操と敵対する呂布(りょふ)の軍師として活躍することになる……。 「……じつはわたしの連れも、五日前、女子供と一緒に連れていかれました」 「ほ、おまえさんも旅をして、この古都に辿り着いたのか」 「はい……限られたこの生命、できることならば、次代の名君に仕えたいものと、半年ほど一緒に、とともに名君探しのための巡行をしてきました。……は、わたしとちがって、まだ若いのです。けれど、剣技には優れた天分を持っているようですが、なにぶん、世間知らずのところがありまして……。奉孝(ほうこう)、という名の少年で、(かく)家の嫡男です……」  隣にいたタケルは、世間知らずと聴いて、まるで自分のことを指摘されたように感じて、赤らめながら(おもて)を伏せた。
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