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2.事件は繋がる
「三上くん、コーヒーが入ったよ」
「……紙パックのコーヒーでしょ、それ」
自習室に残っているのは、樋口と三上だけだった。
自習室、と言っても、そこは大学校内の図書館、その地下二階である――大学図書館では一階(正確には地下一階)から五階までが図書のためのスペースとされ、地下二階はそのほとんどが自習室に割り当てられていた。
ともあれ、大学生が自習をするとき、生徒の大半は本を読んだり、探しながらするので、その自習スペースはほとんど誰も使っていなかった――現に、今日一日、樋口と三上以外の人間がこの自習室に入ってきたことはなかった。
人気はないし、地下で窓がないぶんとても暗いが、翻って、誰かと話したりするぶんには注意する人間がおらず、楽だった。そのため、三上と樋口はそこをふたりだけのたまり場にしていた。
樋口は、三上のいじっているパソコンのデスクトップを覗き込む。
「エッグキラー連続殺人……? なに、それ」
樋口は首を傾げる。長い髪の毛が三上の手に触れた。
三上は映し出された画面をうえまでスクロールして、エッグキラ―殺人事件についての概要のまとめてある欄を指さす。
「ほら、前に電車内で女子高校生が吐血して殺された事件があっただろ。あれがどうやら、連続殺人事件だったらしくて……ほら、これまでにもう九人も死んでいる」
三上は〈被害者リスト〉と銘打たれた欄のほうを指さした。
そこにある情報は、すべて情報源を報道紙に頼ったものだった。なかには雑誌の切り抜きをそのまま画像データとして転載している者もいる。
その多くをそのまま鵜のみしても良いのか、その内容を学会で発表できるのか、と問われると多くの人間が首を傾げるだろうが、少なくとも、インターネット上に一般人がアップロードしたものよりは、よほど信憑性があるだろう。
三上はアフィリエイトサイトの管理人である。いわゆる記事や日記のようなものを自らのサイトにアップロードして、そこに張った広告から収入を得る、というものだ。ユーチューバーに近いかもしれない。
この記事も、三上が独自にまとめたものだった。
アングラ系を扱うことの多い三上のサイトは、割合アクセス数も多く、そこからの収入さえあれば、憲法第二十五条の言うところの、健康的で文化的な最低限度の生活、とやらを一応送ることはできるだろう。
「これ、見て」
三上はノートパソコンごとずらして、デスクトップが樋口の真正面になるようにした。デスクトップには箇条書きで、それぞれ七つの事件について詳細に描かれている。
①脳挫傷(毒殺未遂)・鞄のなかに卵があった
②轢死(電車)・線路上に卵が放置されていた
③出血多量(ミンチ機によるもの)・店内の床に卵があった
④火災(おそらく放火)・全焼した家のポストのなかに卵があった
⑤窒息死(呼吸補助装置の破壊)・病院ベッドのそばに卵があった
⑥飛び降り(自殺と思われる)・屋上に卵があった
⑦首吊り(自殺)・ポストのなかに卵があった
「ふーん? これがその連続殺人事件の死因?」
樋口の疑問符に、三上は「まだ断定はできないけどね」と返しながら、文字を次々にタイピングしていく。あっという間に、記事らしいものが出来上がった。
あとはほかのニュースサイトの記事などから、周囲の反応を引用すればいいだけである。
「この卵って、なんの意味があるの?」
と樋口は尋ねた。
三上はリュックサックからファイルを取り出しながら、
「それが分かれば、警察も苦労してないよ」
と雑に言い捨てて、それから、ファイルのなかから一枚のコピー用紙を取り出した。
「なに、それ」
「見ればわかるだろ、遺体の傍に置いてあった、卵の写真だよ」
樋口は「へえ」と言いながら、それを覗き込む。
それは確かに、卵のような形をしていた。卵というものは、中に黄身か生命が入っているものだから、迂闊にそう断言はできないだろうが、それでも楕円形であり、また下のほうが若干、膨れた形状をしている。
確か、ニュースでは卵のおもちゃ、というふうに報道していただろうか。
確かに、卵は普通のものではなく、光を跳ね返すような金色に塗られていた。レースのような飾りのついているものもある。しかしながらどれもこれも、金色の卵、あるいは卵型のおもちゃ、という点で一致しているように思われた。
「こういうの、なんて言うんだっけ、クローズドサークル?」
再び三上の顔を覗き込む樋口に、三上は呆れたように
「ミッシングリンク」
と単語だけで返した。
「そっか、そっか……あ、そういえば、三上くんってミステリー小説結構好きだったよね」
と樋口が話題を振る。
「この卵の意味、分かっちゃったりしない?」
「簡単に言うけどねえ」
三上は苦笑しながら、樋口の入れてくれたコーヒーを口にする。
「ミステリーを読んでいるからって言う理由で犯人を捕まえることができるっていうんなら、こと日本では殺人事件はほとんど不可能ということになってしまうよ」
「そういうもの?」
「そういうもの。だって、誰も捕まりたくはないからね。捕まらないかもしれない、という自分勝手で安易な予想を可能にしてしまうから、こうやって事件が起こる。けれど、殺人事件の犯人が、絶対に最後には捕まってしまう、ということを考えると、たぶん、殺人とかじゃなくて、別の方法で相手を害するだろうね」
「別の方法?」
「うん。例えば、悪口を言うとか、悪い噂を流すとか、物を盗む、とか」
「うわわ、なんだか陰湿だ」
「犯罪なんてものは全部陰湿だよ」
三上は言いながら、デスクトップに並んだ死因一覧と、集めた情報を眺めている。
そして、とあるツイートのスクリーンショットを見つける。
「一応、これが被害者リストなんだけど」
そこには、最初の事件から最後の事件に至るまでのすべての事件の被害者が並んでいた。
①鴨池葉子……女子高校生
②家内吾妻……専業主婦
③肉内秀幸……ハンバーガー店オーナー
④老越荘司……無職。定年退職
⑤植田樹彦……小学生。交通事故で植物状態、入院中
⑥忠中串木……中学生
⑦石川友哉……記者
「ふうん……なんというか、パッとしないね」
樋口は、もうすでに興味をなくしてしまったようにそう言った。
「こういうのって、ほら、同じ一族の人だったり、奇抜な名前だったりするものなんじゃない? なんか、主婦とか記者とか……」
三上は呆れたように溜息をつく。
「きみねえ……これは小説じゃないんだから、そういうのはないんだよ。一族も、関係性もなし。現実の事件じゃ、そんなもの」
「でも、小学生……か。これはなんか、意外だよね」
「まあね。殺しやすいとは思うけれど、普通、植物状態の小学生を狙おうとは思わない。インターネットだと、エッグキラーは良心の痛まないサイコパスって話だ」
「サイコパス?」
「まあ、社会不適合者ってことだ」
「へえ……というか、人なんて殺している時点で、人間社会には適していない気もするけれど」
「そうかな。人間なんて簡単に死ぬし、殺す気がなくても殺せてしまうよ」
三上はそんなことを言って、新しいタブでニュース記事を検索する。ヒットしたのは、最近、人が亡くなった事件のニュースだった。
交通事故、列車との接触、火災事故――いろいろな場所で、いろいろな理由で人が死んでいる。
「今じゃ、百均にでも行けば、簡単に包丁もマッチも手に入るからね。百円で人が殺せてしまう時代になった、ってことだよ」
「ふうん」
「樋口はさ」
と、三上は樋口のほうを向いて言う。
「この事件、どう思う?」
「どう? そりゃあ、胸糞悪いと思うけど」
「そうじゃなくて。いったいエッグキラーは、どういう法則に則って人を殺しているんだろう」
三上は薄く微笑んだ。
「どうって……」
樋口は五秒ほど考える。
「そうだなぁ、例えば……ほら、音楽、とか」
「音楽?」
その、文脈とは外れた言葉に三上は驚いた。彼女がいったい、何をどう考えてそういう発想に至ったのか、そこが単純に気になった。
「ええと……どうして?」
「ほら、例えば――ふたつ目の事件の被害者の主婦さん。このひと、ジャズピアニストだよ」
「ああ……そういえば」
家内吾妻が、ジャズピアニストであったということは、ニュースですでに発表されていた。その関係で、次男がピアノ教室に通っており、事件が発生したのは、次男をピアノ教室に送ったあとのことだという。
そういう関係で言えば、四件目の老越荘司は、オーケストラで指揮者を務めていたことがあったらしいし、また、七件目の石川友哉は、音楽雑誌の記者だった。
「でも、七件中三件だろう? あまり関係があるとは言えないんじゃない?」
三上は、そうは言ったけれど、あり得ない話ではないように思っていた――やはり、こういう事件にはつながりが付き物である。それが、金色の卵だけというのは、やはり何か、不十分な気がする。
「いやいや、そうでもないんだよ」
と樋口は得意げに言った。
「三件目の肉内さんのハンバーガー店……ここ、ジャズをかけることで有名なお店だ」
樋口はスマートフォンの画面を三上に見せる。それは、数年前の記事だった。ジャズを聴きながら、アメリカンサイズのハンバーガーを楽しめる名店として、ランキング形式の紹介のなかでも上位に食い込んでいる。
「へえ……これは気付かなかった。というか、なんでこんなこと知ってるの?」
樋口はにい、とほほ笑む。
「それはだね、私が中学生のころに、この記事を見て、このハンバーガー店に行ったことがあるんだよ」
七件中四件、か。
過半数である。
「なるほど……すごいね、樋口」
「でしょでしょ~!」
「調子に乗らないで」
「はい」
「それにしても、まだ三人残っている」
残念ながら、これではミッシングリンクとはいかない――途切れてしまっていては、単なる共通項、という見方しかできない。
「じゃあ、音楽って線はなしか、良い推理だと思ったんだけどな」
「惜しかったね」
三上はそう言いながらも、しばらくのあいだ、考えていた――三件目の事件がジャズバー、とすると、自分がこれまで想像していた、とある推理に結びつくような気がしていたのである。
「……なあ、樋口。」
と、三上は樋口の顔を見上げる。
「ミッシングリンクの話なんだけどさ」
そう言って、三上はデスクトップ上でエクセルを開いた。とある表が現れる。
①毒殺
②轢死
③出血多量(ミンチ機)
④火事
⑤窒息死→尊厳死?
⑥落下
⑦自殺
「これは……死因をまとめたもの?」
「そう。これ見て何かに気付かない?」
「気付くったって……」
「頭文字」
「頭文字?」
樋口は順番に読み上げる。
「どれしかちらじ?」
「五件目は尊厳死だと思って」
「じゃあ、どれしかそらじ?」
「何かに似ていると思わない?」
「似ているって……」
ほら、と三上は、その言葉の羅列を読み上げる。そのうち、樋口にも、三上が何を言おうとしているのか理解できた。
「ああ、ドレミファソラシド?」
「そう。……でも、それにはあと一人足りないし、どうしても四件目が邪魔をする。七件目の事件だって、濁点が付いてしまっている。……ただ、ミンチ機でわざわざ殺害したのは、ドレミファソラシドの『ミ』を埋めるために必要だった、と考えるとすんなり収まる」
「そうだ、本当だね」
「音楽……、でも、これと金色の卵がいったいどういう関係を持っているのかは、まだ分からない」
「金色の卵がネック?」
「そうだね」
「うーん……犯人は音楽家の卵、とか?」
「安直すぎない?」
「そうかな」
と、そのとき――閉館時間を知らせるチャイムが鳴った。
まずい、と三上は一気にコーヒーを飲み干すと、帰宅の準備を始める。館内での飲食は禁止されていた。バレてしまうと、しばらくのあいだ、図書館で本を借りることができなくなってしまう。
コーヒーの入っていた紙コップを捨てて、樋口と一緒に図書館を出た。入り口前の駐輪場で自分の自転車にまたがり、校門まで移動する。
「あ、そうだ」
と樋口がこぼした。
「火事の話、火をファイアと訳すなら、ドレミファソラシ、になるね」
「……あ」
「じゃ、さようならー!」
樋口はそのまま、自転車に乗ってどこかへと走り去ってしまう。
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