最後の旅

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 ただ、愛と平和を歌う偉大なロックスターを四十歳という若さで早死にさせてしまった同名の過激でふてぶてしいブサイクな日本人のオバサンと違って、俺のほうのヨーコは、所謂、美魔女というやつで、名前は失念したが、平成の中頃に那覇の国際通りの「金城」で琉球三線を弾きながら琉球民謡を歌っていたエキゾチックな南洋美人の女に瓜二つなので、俺はそのロックスターのようにメガネをかけ、襤褸を着て、髭と髪を伸ばして自分を老けて、醜く見せる必要はないのだ。何より、死ぬ必要もない。  俺は何度も寝返りを打っても眠れず、アイポッドに落としたビリーホリデイの盛りのついた猫のような歌声にしがみつき、キャビアをキンキンに冷えたウオトカで一気に流し込んでも、こめかみが痛み、口の中が苦くなるばかり。  いったい誰のおかげで女王然としていられると思っているんだ?  そして、いったい誰のせいで俺はこんなにすっからかんになってしまったと思っているんだ?  期待するような返事などあるはずもなく、多摩川の向こう岸の川崎の鈴木町あたりの空から銀色の冷ややかな月明かりが窓をすり抜け、ヨーコの端正な顔立ちをモノクロームに照らしているだけだ。  朝になれば、一瞬だけあったかもしれない甘い夢の残り香を思い出す暇もないほどの過酷な毎日が俺を待っている。ダニと南京虫の這うタコ部屋でただその日を生き延びるだけの赤ら顔の人生の落伍者どもと安焼酎を囲んで傷を舐めあえとでも言うのか?そんな残酷な仕打ちが許されてもいいのか?これだけ俺はヨーコに尽くしてきたのに!跪き、妄信し、隷属してきたのに!  裏切られたということは要するに俺が甘かったということだ。  そう割り切って恨みも後悔もせずにいるには俺はあまりにも多くのものをヨーコに捧げ過ぎてしまった。それが罪だとするなら、それを裁くのは神であり、それも死まで判決を待つのがスジなのかもしれないが、頭では理解できても到底、運命を受け入れる気にはなれない。  だからヨーコを殺す?  バカな!  直情的な南洋女のヒステリーじゃあるまいし。  だからと言って、今日まで十年と四か月、肉体的にも精神的にも時間的にも金銭的にも追い詰められ、恐怖と救われたい一心から全てを差し出した俺をドヤ街で無期懲役を科したこの魔女を許せるのか?  こんなことになるのならば、占いの知識など持つべきではなかった。魔女にマウントを取られ、虐げられる占術使いなんて、女を「ネギと鍋と芳醇な秋田か会津あたりの日本酒を背負った鴨」としか思っていないホストが結婚詐欺に遭ったようなものだ。多分、ヨーコが俺を愛したことなど一度もないだろうし、いったいいくつの嘘と暴言を吐かれたのかも忘れてしまったが、出逢ったことはもとより、生まれてきたことすら悔やんでしまいそうだ。  どちらにせよ、訪れる朝は別離であることだけは確かだ。
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