最後の旅

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 争った形跡はなく、苦しんだ様子もない。眠っているところを「ズドン」だ。  流血がなければ、千人の全裸の美少年を侍らせた淫夢を貪っているようしか見えないほど満たされた死に顔だ。何年も入退院と転移と闘病を繰り返した末に末期がんで亡くなった人から見たら「この幸せ者!」としか思えない死に顔だ。もっとも、俺は間違っても「この幸せ者!」と称賛する気にはなれないが……  それにしてもいったい誰が?  こめかみが緊箍児に締め付けられるように痛むので、考えることは何度もシャットダウンさせられる。あの調子で人生に恋に仕事に迷える依頼者に悪い運命をちらつかせ、不安を煽って、多額の鑑定料をふんだくっていれば敵の十人や二十人すぐにできるだろう。況してや、サンフランシスコにプールとテニスコートとリムジン付きの二億の豪邸を持っているほどだ。悪いことをやっていなければそんなものが建つはずがあるまい。そんな「ヨーコ憎しの人名辞典」を調べるなんて気の遠くなるような作業をする気はない。  それならば、答えは簡単だ。  俺に内緒で寿の手配師とどういう契約を交わしているか知らないが、ここからさっさとヅラかればいいのである。警察に真面目に通報したところで一番に疑われ、何日も何日も根掘り葉掘りヨーコとの関係を尋問され、容疑を認めるまで眠ることも排泄行為も許されず、限界まで追い詰められたところで、俺はたった五分の眠りやひとかけらのパンの為に「やってもいないこと」を「やった」とサインさせられてしまうのだろう。鋼の意志などない俺のことだ。間違いない。  死体遺棄?  違う。  ヨーコが勝手に殺されたのだ。  それも俺ではない誰かに。  しかし、それを証明できるものは何もない。奴隷であり、男娼のような暮らしの俺には信用などというものもない。優秀だが、一度疑ったら捜査は結論ありきの日本の警察が俺を見逃してくれるわけがない。責任を果たすことや正直者になることが一番の悪手になることだってある。どっちみち、夢は終わってしまったのだ。  逃げよう。この場から。  一時の逃避では不安だ。できれば日本から。  一刻を争う。   ここは八階だ。景色を楽しむ分にはいいが、逃げるには絶望的だ。訪問者が来たら、まさに問い詰められるか、飛び降りるかだ。  とりあえずパスポートと現金。  パスポートはOK。  二年前にヨーコのサンフランシスコの豪邸に連行された時に作らされたので、少なめに見積もっても七年半は大丈夫だ。  金……  キャッシングやカードを切るなんて、わざわざ逃走経路を教えるようなものだし、第一、俺はヨーコのアメリカンエキスプレスのブラックカードの暗証番号を知らない。  だから現金。
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