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幼木
男の目には山桜の幼木が初めてつけた花の、その白い花びらが映っていた。
「チッ、碌なモン持ってねえ」
「全くだ。ここまで手こずらせやがったくせにな」
街道から少し外れた山の中腹、山賊に斬られ桜の根元に倒れている行商人の体からは、大量の血が流れ出ていた。もはやその男が助からない事は明白だった。
ーお父しゃん。サクラ、お土産は桜のお花がいいでしゅ!ー
男の脳裏にはまだ幼い娘の顔が浮かんでいた。
ーああ。すまない、サクラ。桜の季節には帰るって約束したのにな。父さんは、帰れない。すまない、サクラ……桜乃ー
男はその網膜に焼き付けるように桜の花一輪をじっと見つめている。もはや、光を失った目で。そして最後に心の中で娘と妻の名前を呼ぶと、男は事切れた。
山桜の幼木が男の血を吸う。
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