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「いけませんねー。ゴミは持ち帰りましょう」
突然、背後から聞こえた男性の声に私は体をすくめた。そして、恐々と首を後ろに向ける。
「いや、驚かせてしまいましたかね」
中年男性が笑いながら頭を掻いていた。年齢は私と同じくらい、三十代半ばといったところ。男性の首には、立派なカメラがぶら下がっていた。
「ほんと、心臓が止まるかと思った」
初対面なのに苦言が口を突いた。そんな事が言えたのは、男性に気さくな雰囲気があったからかもしれない。
「カメラが、ご趣味なんですか?」
婚活パーティーでの会話みたいな問いかけをしてしまう。
男性が右足を引きずりながら、一歩近寄ってきた。どうやら、足が悪いようだ。
「よく、桜の写真を撮りに来るんです。お気になさらず。勝手に撮って帰りますので」
男性がニコッと笑う。その顔を観察して驚いた。おでこから頬にかけて大きな古傷がある。そのせいで左目が閉じてしまっている。
――事故にでもあったのかな?
初対面でそんな事までは聞けない。
「桜っていっても、満開は過ぎてますよ。もう散りかけ……」
今から写真を撮るカメラマンに向かって、なんとも失礼な言葉だ。だが、男性は気にしていない。
「桜吹雪の写真が撮れるのはこの時期だけ。散りかけた桜、美しいと思います」
私の眉がピクッと痙攣した。
そんなはずはない。満開を逃した桜まつりは、誰もが残念がる。人間も同じ。若さというピークを超えたら婚活で見向きされなくなる。
「散りかけが美しいなんて嘘です」
男性は眉を寄せて、困ったような表情をした。
「散りかけだけが美しいなんて思ってません。満開も美しいし、散りかけも美しい。葉桜も綺麗だし、葉が落ちた冬の桜も好きです」
「なんだか、ズルい言い方」
「なかなか捻くれてますね。お姉さんはやっぱり、満開が好きなんですか? それは、近視眼的です」
男性は桜の木を見上げた。
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