3.頑張れバレンタイン

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3.頑張れバレンタイン

「えぇ?『たまごなしでケーキを作りたい』?」  次の週の土曜日、キッチンに立つわたしのお母さんにそのたくらみを打ち明けてみたら、ものの三秒もしないうちに、「無理無理」と突っ返された。 「あんたね、もしたまごなしでおいしいケーキが誰にでも作れるんだとしたら、ケーキ屋さんだってみんなたまごを使わないレシピで作ってるわよ」  たしかにな、と言いくるめられそうになる。 「……けどね、片平くん、たまごアレルギーなの」  お母さんの険しかった眉毛が、一瞬だけハの字になった。 「バースデーケーキもクリスマスケーキも食べたことないんだって。だから、片平くんにも食べてもらえるように……」 「無理しなくたっていいんじゃない?」  それでもお母さんはけっして、わたしの企みに「できる」と背中を押してくれることはなかった。 「別に、花乃ががんばってたまごなしのケーキを作る必要はないわよ。市販でも探せば売ってそうなものだし」  まぁね、キッチンを使うのはどうぞご自由にって感じだけど、とお母さんは最後に釘を刺してきた。 「続かないよ。そうやって、一方だけが他方のために頑張るのは」  言葉のパンチ力があまりにも強すぎて、反動で涙が飛び出そうになった。  けれど、とにかくキッチンの使用許可は取れたのだ。  ここでくよくよしていられない。  まず取り組んだのは、たまごアレルギーそのものについて知ることだった。 「なるほど、アレルゲンってアレルギーを引き起こす原因のことを言うんだ!」  という初歩的な知識の積み上げから始まり、 「ほぉ、食品の原材料に『たまご』と記載されていなくても、たまごが混入していてアレルギーを引き起こしちゃう例もあるんだ」 「たまごの『オボムコイド』っていうたんぱく質が、アレルゲンなのね」  図書館へ繰り出して、さらに細かく調べを進めた。  それからの週末は、ほとんどすべてをお菓子づくりに捧げた。 「うへぇ、なにこれ。たまごが入ってないとこんなにケーキってまずくなるもの?」  時にはミズハが遊びに来て、一緒にたまご抜きケーキを試作することもあったけれど、簡単に成功!とはいかないものだ。 「なんだろう、すっごくぱさぱさしてるし、生地がおいしくない……」  ケーキの試作はなかなかに難航した。  一ヶ月も経つ頃には、ミズハは部活の練習が忙しくなったり、わたしはわたしで塾に通いはじめたりと、なかなか二人の都合が合わなくなってきたこともあって、ひとりで試作をすることが多くなってきた。  夜10時まで塾に通うため、お菓子を作れるのは休日の朝早い時間しかない。  お菓子作りを始める前であれば、学校が休みの日はお昼ごろまで布団に入っていたわたしが、今や毎朝六時前には身支度をはじめていると思うと、我ながら涙ぐましい努力だ。  春休みに入ると、その六時前起き、六時半に試作開始という習慣は、すっかり体に染みついてしまっていた。  朝5時50分、アラームの音が鳴る。  音の設定は、おうちに来客があってチャイムが鳴った時みたいに俊敏に動けるよう、チャイム音にしてある。  あまりアラームを鳴らしすぎると家族を起こしてしまうので、チャイム音は二回以内で止める。  それから、急いで寝敷きしておいた服を着こなして、顔を洗いに一階へ下りる。  まだ冬の寒さが抜けきらない空気の中で、顔に浴びせられる冷水はひたすらに冷たく、正直に言えば気持ちのいいものではない。  けれど、お菓子作りを始める前にここまで身支度を整えておくと、不思議と気持ちが引き締まる気がする。  さて、ここまでくればお菓子作りの時間だ。  はじめに材料とボールや泡立て器、その他いろいろな道具を揃えてキッチンを整える。  昨日ネットで検索して出てきたレシピをコピーして、そのレシピ通り材料を混ぜたり、測ったり、予熱したり。  最初はそんな細かな工程のひとつひとつが面倒くさくていやだったけれど、今ではすっかり楽しくなっていた。ひとつひとつの工程を丁寧にこなしていくうちに、明けていく朝の空もまた、わたしのお気に入りである。  わたしはいつも通り、ボウルに牛乳や小麦粉を入れると、慣れた手つきで混ぜ合わせ始めた。  その時だった。 「あんた、またやってるの?」  朝っぱらからカチャカチャと泡立て器で生地をかき混ぜるわたしの背中に、お母さんの眠そうな声が飛んできて、わたしは思わずびくっとした 「ごめん、音うるさくて起こしちゃった?」 「いや、ちょっとトイレに行こうと思っただけだけど」  そう言いながら、お母さんはちらりとボウルの中身を見やる。  それから、おもむろにキッチンの折り畳みイスを引っ張り出すと、コンロが見える位置に腰を下ろした。  トイレに行くと言っていたのに。そう問いかけるようにお母さんに視線を向けたら、お母さんは物憂げにボウルの中身に目を留めたまま、ふぅっと溜め息をついた。 「なに?文句でもある?」  またいつもの否定する言葉が出るんだろうと身構えながら虚勢を張ったら、お母さんはしばらく何も言わずにボウルの中身ばかりに気をとられていた。  それから、ふいに口を開く。 「お母さんもね、そういう時期があったの」  お母さんは、いつもとは打って変わった静かな声でそう呟いた。 「大学生のときね、付き合っていた人がいたんだけど、その人が突然難病になっちゃったの」  「潰瘍性大腸炎」という病名を聞かされてもピンとは来なかったけれど、それはどうやら体の免疫機能がおかしくなってしまって、腸を攻撃してしまった結果、おなかを壊したりひどい時には大腸を全摘したりしなければならない、重い病気らしい。  そんな病気にまさか自分の彼氏が……と、病気のことを聞かされた時はただただ静かに泣くしかできなかったという。 「それからね、お母さん、どうすればその人の力になれるかなって、その病気のことを色々調べたの。  腸を刺激する食べ物、例えば辛いものや油っぽいものなんかをたくさん食べると、もっとおなかを壊す原因になっちゃう、って書いてあるのを見てからは、その人のために体にいい料理を作ろう、と思ってね。その人、ひとりぐらしだったから、料理で助けになれるようにたくさん努力したの。  お肉だったら鶏肉がいいとか、食物繊維が少ない野菜がいいとか、とうふや卵はおなかに優しいって聞いたから、一生懸命腸に優しいレシピを調べたり、自分でアイデアを出してみたりして」  でも、とお母さんは続けた。 「いざ、その人にごはんを振る舞ったら、たくさん文句を言われちゃったのよ。 『もっとがっつりした肉がよかった』だの『この調味料も腸によくないって母親が言ってたから、次から使うな』だの『うちの母親は、とうふハンバーグを作ってくれたけど、あれの方が正直おいしかった』だの」  ひとりぐらしで今まで雑な自炊ばかりだった彼氏のために、お母さんが一生懸命作った料理は、そんな冷たい言葉を前に一瞬で冷え切ってしまった。 「どうしてそんなこと言うの、って聞いたら、『だって、そっちが作りたいって言ってきたから作ってもらったけど、全然俺の病気を理解してないじゃないか』って言うの。  今ならね、冷静だから『あの時は、病気がわかったばっかりで、彼氏の方もわたしに配慮できるほど冷静な状態ではなかったんだろう』って思えるんだけどね、だけどね」 ……結局、病気が発覚してから半年足らずで別れちゃった。  母はようやくボウルから目を逸らして、視線をわたしに向けた。 「つまりね、どんなに誰かの笑顔のためにって努力したって、報われなかったら自分の笑顔までなくしちゃうよってこと。だから、あんまり頑張りすぎたらだめなんだよっていうのは、わかっててほしい。いい?」 「は、はい……」  そう返事をしたら、お母さんはそのまま「あーあ、トイレ漏れそう」と言い残して、キッチンを出て行った。  後に残ったイスはぽつんとさびしげで、そこに座っていた女性がうら若かった頃に味わった辛さを映し出しているみたいだった。  そこまで言われてもなお、お菓子を作ることをやめなかったわたしを、お母さんはわがまま娘だと思っただろうか。  結局、それから何カ月経っても休日の朝にはキッチンを独占するわたしを、いつからか母は見てみぬふりするようになった。  きっと、お母さんはあの時、わたしの幸せを願って止めようとしてくれたんだろうに。親不孝な娘でごめんなさい。  それでも頑張れたのは、学校で勉強に励む片平くんの姿を見ていたからだ。 「おれね、将来医者になりたいんだ」  放課後、こっそりわたしに夢を明かしてくれた片平くんの目は、きらきらと輝いて見えた。  アレルギーを含めて、様々な病気で不自由な生活を送る人たちを、少しでも減らしたいのだそうだ。  放課後の誰もいない教室に、ひとりだけ残って黙々と机に向かう背中は、思いがけず大きかった。  季節は流れ、また二月が訪れた。 バレンタインデーの日、一年前と同じ公園へ向かうわたしの腕には、紙袋とクッキングシートとアルミホイルで三重に包まれたケーキが収まっていた。
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