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三日後。
港区白金台の<サヴォイア>。玄関口には新商品開発中につき、しばらくお休みしますのポスターを貼ってあるから、接客しない分だけ研究に没頭できるのはありがたかった。
だが、新商品の桜モンブランに使用する桜のつぼみの塩漬けを見つめていると、やはり手が止まってしまう。安藤の頭には三日前のことが浮かび、どうしても消すことができなかった。
バーのママの名前は染井佳乃といった。佳乃はしたたかな悪女だった。彼女は安藤の正体を見抜いており、口止め料に法外なカネをふんだくったのだ。安藤が苦労して強奪してきた裏カジノの寺銭を掠め取ったのである。安藤がこの女も殺してしまおうと考えたとき、佳乃は思いもよらぬことを告白した。
S&クラブに勤めていた若林美樹を知っているという。理由は簡単。佳乃の実の娘だからだ。安藤は、美樹が天涯孤独だと思っていたが、ちょくちょくと母親と会っていたらしい。若林美樹というのは営業用で、本名は染井さくら。さくらは上司の鷺山からパワハラと性的暴行を受けて、かなり恨んでいたという。警察に届ければ、自分も殺されると思ったらしい。
「虐待さえ我慢すれば高給が約束されたから、娘は耐えることができたんよ。でも、不憫で不憫でねえ」佳乃は目に涙を浮かべた。「さくらがどうやってあんたの存在を調べたのか知ろうとは思わないけど、あの鷺山を始末してくれたらしいね。娘に代わってお礼を言うよ」
「それなのに、俺から金をとるのか」
「そうだよ。あんたをかくまっているんだからね。当然だよ」
「恐れ入った」
安藤は苦笑した。しかし、さすがに安藤は言い出せなかった。あんたの大事な娘はこの世にはもういないと。俺が作った毒入りモンブランを食して死んだとは。
だめだ……安藤はため息を漏らした。
新商品の桜モンブランは作れない。
亡霊のようなソメイヨシノとソメイサクラが視界を遮る。
安藤は調理器具を片付けながら思わずつぶやいた。
――桜は嫌いだ。
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