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 ある夏の晩も、酔った若者たちが肝試しにと丘の上へやってきた。赤ら顔をにやつかせ、大声で喋りながら森の中を進んでいく。屋敷の裏手まで彼らが歩いてきた頃、喧しさに我慢ならなくなったベティは深い溜息と共にベッドを降り、階段を下って屋敷の外へ出た。  星もなく、真夜中らしい暗闇が辺りを覆い尽くす中、オレンジ色の光が小さく揺らめきながら近付いてくる。森を歩くために家の屋根裏かどこかから持ってきたランタンであろう。彼らの足取りに合わせ、ぼんやりとした明かりが僅かに上下する。  「幽霊なんて、俺ぁ信じないね」と高らかな声が聞こえて、ベティはもう一度溜息を吐いた。夜の静寂を冒す原因を理解して、いっそ脅かしてやれば祟りだ何だと別の噂が流れて敬遠され、また安寧を取り戻せるだろうと考えた彼女は、踝まであるドレスの裾をたくし上げ、生い茂った草むらをブーツの爪先で掻き分けながら、明かりを目指して足を踏み出した。  すると、 「うわああああ!!!」  数人分の悲鳴が聞こえたかと思えば、ランタンの灯が瞬く間に遠ざかっていったのである。あんな遠くから気付かれるほどの物音を出しただろうか。この闇夜では、屋敷の壁にも影など写るまい。ベティは屋敷を振り向いて首を傾げたが、人払いが出来たのであれば運の良い偶然だと思い直し、すっかり明かりの見えなくなった森の方へ目を向けた。  その時であった。森の中に、人影があるのが見えた。 「誰だ」  警告を滲ませた厳しい口調で投げ掛けた問いに、反応はない。目を凝らすが、月明かりもない暗闇では男女の区別すら付かない。木々との対比から幼い子供ではないのは辛うじて分かった。  何事にも動じぬ、怖いものなしのベティにも、得体の知れないものへの警戒心は備わっている。むやみに距離を詰める事は躊躇われた。  いっそ、警戒心などというものも〝付けて〟くれなければ良かったのに。心の中で恨み節を呟きながら様子を窺っていると、人影の方向から声がした。 「わたくしが見えますのね?」  若い女の声だった。いやに品の良い言葉遣いが、不気味な状況には不釣り合いである。ベティが口を噤んでいると、程なくして人影が動いた。すると、生温い風が正面から吹き付けてきて、ベティは咄嗟に目を閉じる。  風が止み、そっと瞼を持ち上げた直後、その両目が小さく見開かれた。  目の前に、人が立っていた。フリルやレースで装飾された白いネグリジェのような物を着た裸足の女は、年の頃なら16、7の美しい少女であった。夜の闇の中でぼんやりと光を放っているかのように浮かび上がる姿や、全く乱れていない艶やかなブロンドの巻き髪を見て、ベティは少女がこの世のものではない〝何か〟である事、そして数メートルはあった距離を〝走る以外の方法で〟縮めた事を悟った。  眉を顰める代わりに睨み付けてくる赤い瞳をよそに、少女は怪しげににこりと微笑む。 「あなたでいいわ。わたくしの頼みを聞いてくださらない?」  やけに明るい声色に、即座に口を開く。 「ことわ…」 「わたくし、とっても困ってますの」  断る、と言い終える前に言葉を重ねられ、思わず閉口するベティを見て、少女は笑みを湛えたまま、すかさず続けた。 「だって、誰かに殺されてしまったんですもの」
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