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4話
朝霜の深い時間、褥を出て加屋は庭の井戸水を汲みに向かった。
手ぬぐいを片手にゆっくり冷水を含むと彼は軽く手で掬ってそのまま顔に浴びる。
冷たい空気と重なりひんやりした水がぼんやりした眼が冴えて来ると持した手ぬぐいを少しばかり広げて滴る水を拭った。
自室へ戻った彼は着物を重ね羽織袴を穿くと玄関へ急いだ。
毎朝の神社参拝は欠かせぬものであった。宮司であった頃から・・・もっと以前からの習慣でそれをせぬ日は無い程であった。
暫く錦山を目指し登り道中腹に差し掛かった所でふと城下を見下ろした。熊本の雄大な姿を拝み見、ほうと感歎の溜息を漏らすと再び小高い参道を顧みて歩を進める。
「加屋先生ーーー!」
あと少しという所で背後より大きな声がかかる。彼はその声に聞き覚えあった。彼は僅かに困った笑みを浮かべ後ろを振り返るのであった。
「・・・・・・石原君か」
加屋はボソリと名を呟いた。石原はうっすら笑みを浮かべながら小走りに近寄ってきた。
「はぁはぁ・・・加屋先生もついに義に応じる決意を固めたそうですね」
「・・・・・・」
石原は屈託の無い笑みで重い一言を口にした。それを聞いた加屋は、ああ、と一言静かに口にすると踵を返し山道を上がっていった。
「あ・・・あれ?」
置いていかれた事に気付いて石原は慌てる事なくぼんやり間の抜けた声で彼を追った。彼はそれを気にするでもなくどんどん加藤社へと上っていくのであった。
―・・・加藤錦山神社- 加屋は立派な石造りの鳥居を潜ると真直ぐに本殿へ向かう。
彼はそのまま本殿の手前で立ち止まると何時もの様に拍手を打って祈念するのだった・・・。
石原運四郎は加屋の後姿に追いつくと、彼に倣って神前へ拍手を打ち瞑目した。加屋は暫く祈り続けていたがやがて静かに眼を開くと、いつの間にか傍らで手を合わせ祈願する石原をそのままにして社へと入っていった。
「あ、加屋先生。お勤めご苦労さまです。」
「うん。これだけは欠かす事が出来んからな。」
加屋は元々ここの神官であり、辞する以前はこの祠掌らとこの社で祭祀を祭っていた。挙兵の事はあくまで極秘にして彼はひたすら同志と歓談していた。
「・・・・加屋先生、置いていかんで下さいよ・・・」
ふと顔を上げると先ほどから後へ着いて来る石原の姿があった。
彼もまた神職者であって宇土の西岡社に勤めていた。
加屋霽堅が加藤社辞表を出して以来ここには神官が不在となっており、木庭や浦のような祠掌だけで静かに祭祀を祭っていた。
あるとき、同志の一人が石原を尋ね便宜の為遠い宇土より加藤社の神官へ推挙をしたが彼は、
「会合の便宜を取って後に入るのは加屋が辞してまで訴えんとしたその志を冒す事に成り得る」
として、断固として加藤社を預る事を固辞したのだった。
「加屋先生・・・つまり挙兵に際しては敵陣へ急襲を行うしか勝機掴めぬと仰せですか?」
木庭は恐る恐る彼に問うた。加屋は静かに頷くと、
「うん。相次ぐ乱によって城内にある鎮西軍もその多くが出陣しておりまさに今が好機。とはいえ我等一党のみで寄せるにおいてやはりまだまだ敵兵の数ではあちらが勝る・・・」
彼は平生よく神社への詣でる際、熊本城を遠く眺めながら子供達に教示する事がある。
城を見下ろす高き山頂に立って、砲撃を浴びせれば難なくこの難攻不落の城をも落とせてしまうだろうと・・・。
しかしその法を用いる事はなかった。
彼らはこの後の激戦でも最後の瞬間まで士魂を貫き通すのである・・・・・・。
「加屋先生、時にこれからの御予定は如何?」
石原はそれとなく訊ねた。彼は出来る事ならこの領袖と向き合って同じく戦術を交錯してみたいとも願っていたからだ。しかしながらその思いとは別の答えが返ってきた。
「俺は一度新開を訪れ今後の方策を練ろうと思う。石原君、あんたも富永らとよく協議し、此度の一挙に向けての準備を整えておいて欲しい。」
彼はそういい残すと、錦山をさっさと足早に下っていった。
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