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桜が散っていく。 僕はこの風景が一番嫌いだ。 嫌いなのに、あの人との思い出を探して、今日も川沿いの桜並木を一人、ぶらぶらと歩いている。 * 「桜って、(たける)さんにとって、どういう印象かしら」 体が細くて、中学生にしか見えない僕の前を歩きながらあの人は問うた。 あの年の桜は早咲きで、入学式には満開を通り越し、三分の一が散っていた。 散り際の桜は、満開の時よりもガクの色が濃く、紅が強く感じられた。 少しでもあの人に追いつきたくて、少しでも大人びた風に見せたくて、僕は精一杯語彙を探してから答えた。 「薄紅の頬の儚げな女性……貴女みたいな……」 ちょっと驚いた顔をして、振り返った。 でもあの人は桜のように頬を染めるでもなく、薄く淡く微笑むと、こう言ったのだ。 「私は少年のようだと思うわ」……と。「着飾っていたモノを散らかすように脱いで、今度は乱暴なほど自由に葉を茂らせるの。散り際の桜は、その狭間の、青年になる一歩手前の少年のようだわ」 ――そんなものか。 僕は立ち止まって、パラパラと散っていく花弁を見上げた。 満開の時に散らす花びらは「ハラハラ」と舞っていたのに、確かに新緑を控えた桜は、もう大人しい振りをやめたかのように、自由に花を落とし、さっさと緑に着替えたくてうずうずしているように思えた。 「まるで健さんのようよ」 美しい笑みを湛えた唇に、僕は目を奪われて、それを知られないように、慌ててまた、桜の花に目を向けたのだ。 * あれから五回、春が巡った。 あの人は、僕がいないうちに独りで逝ってしまった。 やはり桜散る季節だった。 僕がこんなにも恋しくて、焦がれて焦がれて仕方ないことを知っているのに。それなのに僕を置いて逝ってしまった。 すぐに追いつきたかったのに もう追いかけても手の届かない場所へと独りで去っていったのだ。 どこへ行っても桜は咲いている。桜の無い春は日本にはないんだ。 逃げようのない現実を突きつける、桜の花は大嫌いだ。 僕を桜のようだと言った貴女のことも大嫌いだ。 好きすぎて好きでたまらなくて憎い。 だからせめてもの復讐に、僕は桜の木を汚してやろうと思った。
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