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「私の生み出す技術が、誰かの心に温かみを残せますように」と目標を掲げ、天才エンジニアの一項として名を轟かせる辻本澄花は、その慈愛に満ちた佇まいや口調とは裏腹に、とても冷たい瞳をした女性だったという。
深く艶めく黒髪を長く伸ばし、いつだって口元に淡く微笑みを浮かべる彼女は、黙ってさえいれば誰からも愛される聖女のような人だった。
正義感が強く平和主義な反面、神経質でその賢さゆえに、意図せず他人を見下してしまう高慢な一面もある。
それに加え、普段から寡黙で、ようやく口を開いたかと思えば仕事の話しかしない。
親しい相手ほど辛辣な物言いを隠さず、広く浅い人付き合いを好んだ彼女は、誰からも一目置かれていた存在だったが、同時にいつもひとりぼっちでもあった。
そんな彼女の寂しい心から生まれたのが、彼女の最大の功績と言われる音声合成ソフトウェア「アステリズム」だったのだろう。
その機能を簡単に説明すると、録音した利用者の声から人工音声を作成し、所詮は人間を越えられない人工知能に、”声”による”オリジナル性”を与えるものだ。
このプロジェクトは、AI学習による音声合成技術を提供する企業から声がかかった共同制作で、既存の技術を応用して話し声に特化させたソフトウェアだった。
実は彼女、0から1を生み出す作業よりも、1から∞に広がる可能性を具現化する事こそが才能の真価だった。
つまり、一枚の折り紙から新たな形を作ることより、”鶴”の形に、羽ばたきの機能を加えたり、足を生やしたり。
そんな発想力にものを言わせる彼女の魔改造技術において、彼女の右に出る者はいないと囁かれていた。
チームを率いた彼女のこだわりは、方言や訛りによる絶妙なイントネーションの再現である。
合成音声の調教において、細かな音階制御がいかに重要であるかは、”雨”と”飴”、”橋”と”箸”などの同音異義語や、いわゆる「エセ方言」に対する違和感を例にして考えたら分かりやすい。
それまで順調に会話ができていたとしても、たった一回、ほんの少しのイントネーションやアクセントの間違いで、会話に強い”違和感”を残してしまう。
澄花が目指したのは、違和感を感じさせない話し方のプロである、ニュースキャスターのような言葉の流れだ。
結果として、誰もが「そこまでしなくても……」と笑った彼女の執念こそが、人間らしい感情の籠る声色の秘訣となった。
ソフトウェアの操作はマウスでのドラック・アンド・ドロップと、左クリックだけで簡単に全ての作業が行える。
パソコン操作に慣れている利用者からしたら、かえって不便でじれったいものかもしれないが、「誰でも簡単に」とのコンセプトは、決して譲れない企業側の意地でもあった。
まずは様々な容姿パーツを組み合わせてアバターを創り、口調や言葉選びを左右する人格の核を選んで、場合によっては兄弟姉妹などの関係性を増やす。
そして設定に基づいて選ばれた文章を読み上げ、声を録音する。
最後に作成した声の音程や質感を調整して、書き出せば完成だ。
そうして生み出された彼らは、ディスプレイの向こう側で生きるもうひとりの自分として機能する。
企画から8年と少しの期間を経て、ようやく製品になったソフトウェアのパッケージデザインや商品名は、澄花の強い要望に押し切られ”星空”がモチーフになった。
アバター、人工知能、声の三要素を星座に見立てた先鋭的でロマンティックな印象が功を奏したのか、製品は開発者側の見立てを大きく上回る驚異的なシェア数を叩き出し、今や個人、商用を問わず様々な用途で利用されている。
リアルとバーチャル。決して交わることの無い世界線で生きる両者は同一人物であり、ほんのちょっとだけ他人だ。
イメージとしては、パラレルワールドに住まう自分。もしくは、引き裂かれた魂の片割れと言ったところだろうか。
その絶妙な距離感から、多くは同位体である利用者の相談役や自己管理アプリの音声ガイダンスとして利用されるが、この技術を悪用した事件が問題になるまで時間はかからなかった。
日増しに手口は巧妙化し被害は止まらない中、この技術、ひいては開発者である澄花へのアンチコメントが、様々な媒体で溢れかえった時期がある。
浅識が伺える的外れな誹謗中傷に、もはや人格否定のような言葉を講釈とはき違える文字列を冷めた目で流し見て、彼女はただ「そう……」と呟いたという。
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