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01.始まり
風が頬を撫で通り抜けていく。どこに行くんだろう。目で追うと小高い築山にぶつかった。頂上には鉄柱のモニュメント。先端に取り付けられたクロスボウのような形状の飾りは右に左に振れている。
ほんの一時でも風の形を捉えられたような気がした。わくわくする。体が軽い。浮かれていると腕を掴まれた。同じ形、同じ色をしたその手に。
『きゃぁ~! かわい~っ♡♡♡』
聞き覚えのない女の人の声。案の定知らない人だった。ふくよかな体型。ふんわりとやわらかなピンク色のトップスに、白のストレッチパンツを合わせている。昨日のおやつに食べた『すあま』みたいだ。ふっと零れかけた声を呑み込む。
『笑って笑って~♡♡♡』
携帯電話を向けてきた。写真を撮るつもりなんだろう。イラつくことも萎縮することもない。むしろその逆。背中が自然と反っていく。ついでに頬も緩み出した。さっきよりもずっとだらしなく。
『お名前は?』
花としゃぼんの香りがする。母さんだ。栗色の巻き髪が顔にあたって擽ったい。丸く先の尖った目。その瞳の奥では兵隊さん達が小太鼓を叩いてる。母さんもまた同じ気持ちでいるんだろう。鼻息荒くすあまおばさんに向き直る。
『たけざわなおと、5さいです!』
『たっ、たけざわかなと、5さい。……です!』
おばさんの膝ほどの低くて狭い世界の中で横を見やる。
例えるならそう――ウサギだ。小ぶりな鼻と口。黒目がちな丸い目の先は鋭く尖っている。そんな目が弧を描く。つられるようにして僕の目も。同じ気持ち、同じ表情。同じが1つ増えるごとに見晴らしが良くなっていく。
『っ! ……へへっ』
奏人が、僕の緑色の肩に額を擦りつけてきた。持て余しているんだ。僕と同じように。
『まぁまぁ! 甘えん坊さんなのね』
『ナオにぃ~限定なのよね~』
『えっ……?』
袖の皺がふわりと広がる。
『あぁ~! やっぱりぃ! しっかりしてる方がお兄ちゃんなのね』
僕自身この事実を知って間もなかった。先に生まれた方がお兄ちゃん。後に生まれた方が弟。それは双子であっても変わらないらしい。
正直嬉しかった。可愛くて大切な奏人を守る。そんな大義名分を与えられたような気がして。
奏人はまだこの事実を知らない。だけど、きっと喜んでくれるだろうと思っていた。だって僕がこんなにも喜んでいるんだから。同じに決まってる。絶対に。
『おにい……ちゃん……?』
『えっ……?』
目を疑う。丸く先の尖った目尻から大粒の涙が零れ落ちて。
『~~っ、ちがうッ!』
涙と一緒に拒絶の言葉が飛ぶ。戸惑う僕らを他所に奏人は声を張り上げた。
『ナオはナオ! オレはオレだ! いっしょにすンなバカッ!!』
この時になって漸く気付いた。奏人は求めてなかったんだ。『違い』なんて、ただの1つも。
胸で輝く勲章。よくよく見るとショボくてみっともない。プラスチックのオモチャみたいだ。握り締める。ひび割れて砕け散っていく。拍子抜けするほどにあっさりと。その程度のものだったんだ。最初から。
『あ~、ははっ、そうなの~?』
軽んじるようなすあまおばさんの態度に、これまで感じたことがないような怒りを覚えた。例えるならマグマ。勲章の欠片が全身を照らしていく――。
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