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ひねくれものとの適切な距離
昼休み、オフィスの片隅にある簡易な休憩スペースでは、入社の近かった女性社員が数人集まって、週末に満開になりそうな桜を見にいく話をしている。
同期っていいよねとつい微笑ましく見守っていると。
「紅林さんも一緒にどうですか?」
誘って欲しそうに見えたのか、声をかけてもらってしまった。
そんな風に気を遣ってくれるなんて、優しい後輩たちに恵まれて幸せだなあと感動しながら、しようとした返事はしかし、隣の席から聞こえてきた忌々しげな声に遮られた。
「桜なんて、綺麗に咲いてるのは数日だけで、散った花びらは踏まれて汚くなるし、地面に張り付いて掃除は大変だし、放っておくと毛虫も大量につくし、わざわざ見に行くようなものでもないだろ」
格別に大きな声ではなかったが、配慮された小さな声でもなかったため、当然彼女たちにも聞こえただろう。
楽しい計画に水を差された後輩たちの笑顔が凍りつき、室内の温度が下がって、そして急速に上がった。
「ほんっと峰岸さんって無神経ですよね!」「だから顔がよくて仕事もできるのに恋人いないんじゃないですか!?」「別に峰岸さんは誘ってないですから!」「滅びればいいのに!」
ありったけの呪詛の集中砲火を浴びても、デリカシーのない言葉の発信主は耳を塞いで見せる程度のアクションすら見せず、つまらなそうな表情でパソコンの画面を見つめている。
私とは同期入社で部署まで一緒、しかも幼馴染でもある峰岸は、学生の時からずっとこんな様子だ。
だからこういったことは、周囲にいる人は違えど、おなじみの光景だったりする。
こんな風に言い合えるような雰囲気の職場だから彼も平気であんなことを言うんだろうけど、何が楽しくてわざわざ口撃の的になりにいくのだか。
何を考えているのかさっぱりわからないけれど、彼曰くの腐れ縁であるところの私は、ひねくれものな峰岸が殊更に桜が嫌いな理由を知っていたから、彼女たちの怒りはもっともだと脳内では頷きつつも援護射撃をしたりはせず、罵倒が止むのを待ってから返事をした。
「誘ってくれてありがとう。でもごめんね、週末はちょっと出掛ける用事をいれちゃってて」
「え~残念……」
「次の機会があれば、一緒に行きたいな。夏になったら花火とか」
「あ~!花火もいいですね~!」
彼女たちが気を取り直してまた週末の話を始めると、休憩中ではない私は仕事に戻るふりでスマホを手に取り、アプリを立ち上げメッセージを送った。
『おじさんとおばさんのお墓参り、今年も一緒に行ってもいい?』
送ってすぐに、隣から微かに視線の気配を感じたが、振り向きはしない。
しばし間があって、返信が来た。
『用事があるんじゃないのか』
『それが用事じゃだめかな。普段はなかなかお参りに行けないけど、私も二人にはお世話になったし』
『勝手にすればいい。別に俺の許可を取る必要はない』
後輩たちに見られたら、また怒られそうなぶっきらぼうな文面だなとこっそり苦笑する。
けれど、ひねくれた己の性格を自覚している彼は、こうすることで「こんな自分に付き合う必要はない」と伝えてくれているのを知っているから。
私は『それじゃ集合時間を教えてね』とだけ送って、今度こそ仕事に戻るべく、パソコンのモニターへと向き直った。
終
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