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患者は日増しに増えたが、松岡は高を括っていた。
人の噂も75日。一度受診したら「まあ、こんなものか」と納得し、もう足を運ぶことはないだろう――― そんな風に考えていたのに、1か月を過ぎても患者の数は増え続け、それどころか他の村からも訪れる始末。以前なら、狭い待合室に患者が2~3人いる程度だったのに、今では常に6~7人待機して、看護と事務と薬剤業務を兼務している成瀬は てんてこ舞いに。待合室と診察室、処置室と受付、そして調剤室を駆け回り 仕事に忙殺された。しかも、患者が途切れずやってくるため診療時間内に終わらず、午前午後とも ずれ込むのが当たり前になってしまった。
こんな日々が続いたら病み上がりの成瀬が ぶっ倒れる――― と、恋人の体を危惧した松岡はスタッフの増員を検討し、成瀬に相談することにした。
仕事中は互いに忙しく、雑談なんてする暇がない。彼を引き留めると それだけ休憩時間や帰宅時間に響くため、週末成瀬の家を訪れた際に打診してみた。
「最近、患者さんが多くて大変だろう? だから、スタッフの数を増やすことを考えてるんだけど、どう思う?」
すると、成瀬の口元に笑みがこぼれた。
「最近は再診の患者さんも増えたでしょう? ということは、今後も診てもらいたい。つまり【かかりつけ医】になって欲しいんだと思います。他所から患者さんが来るなんて これまでになかった現象です。先生、前に言ったことが現実味を帯びてきましたね」
「なんか言ったっけ?」と首をかしげる松岡に、
「名医で村おこしができるって」
今から数か月前、『ここの村おこしは【名医がいる過疎地】で売り出した方がいいんじゃないですか?』と、成瀬が冗談を言ったことがあり、そのことを思い出した松岡は声を立てて笑った。
「客が増えて店を大きくしたら、途端に味が落ちたって話、よく聞かない? だから、僕は長年村人から愛された診療所をそのまま受け継いで守っていくつもり…… っていうか、規模を大きくしたり設備を整える金なんてないから。せめて、人を増やすことくらいしかできないよ」
「人数は?」
「とりあえず1人かな。看護師か医療事務のどちらでもいい。君が少しでも楽になる方を」
「自分的にはどちらでも構いませんが、こんな過疎の村に来手なんてありませんよ」
「そうかなぁ……」
「実は、先生が赴任されるずっと前から求人募集はしてるんです。でも、全然連絡がこない。8年前の僕が最後。以後、音沙汰ナシなんです」
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