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そもそもが、尋常ではない出会いであった。
私の父は、歌の才もなければ権力へのコネもない下級官吏である。となれば娘の将来も知れたものだ。私は結婚による安定を早々にあきらめて、勤め先を求めることにした。
幸い、私の筆跡は美しいとよく褒められる。私は手当たりしだいに歌本の書写を引き受け、京じゅうにばらまいた。書の才を宣伝するためだ。企みは功を奏し、とうとうさる方の姫君に書を指南する話が舞い込んだ。
この姫君が、御年七つにして光り輝く美しさ。ご聡明な上に琴の演奏にも秀で、数年内には入内確実の逸材であるという。あわよくば私も付き従い、雑仕でも何でもしながら高貴なる人びとのそばで暮らせないものか……。
などと勝手な人生計画を立てていたある日、乗っていた牛車が賊に襲われた。
わずかな供回りはあっさり逃げ出し、私は乳母と車中に取り残された。怒鳴り声に荒々しい物音、足踏みして鳴く牛の声。手を握り合い震えていると、入口の簾がさっと上がった。
「ひゃああぁっ!」
私は叫び、乳母は気絶した。覗き込んできたのは、烏帽子をつけた若い男の顔である。悲鳴を上げながら乳母を背後へ押し隠そうとする私を見て、男は大口を開けて笑いだした。
「なんという声だ! 里のヒヨドリを思い出すぞ!」
ごろつきとしか思えないその男こそ、二郎殿だった。当時官位を得て上京したばかりの彼は、騒ぎを聞くなり従者らと駆けつけて賊を追い払ってくれたのである。
それからすぐに、二郎殿は我が家を訪ねてきた。文のやり取りなどすべてすっ飛ばした無法ぶりである。だが市井の噂によれば、彼はかの地の騒乱を平定した功で従五位下をたまわっているらしい。末端とはいえ、昇殿を許された殿上人なのだ。私たちは驚きあきれつつも、二郎殿を迎え入れた。
「あなたに惚れたかもしれない」
簾越しに向かい合うなり、二郎殿はとんでもないことを言った。
「あの、そのようなお話はちょっと」
「他に約束された相手がいるのだろうか」
「それはいませんが」
「ならよかった!」
違うだろ、そうゆうことはまず歌に詠むんだわ歌に。などと、このむくつけき武士に言えようか(いや、できない)。結局私はその日のうちに、彼とまあ、どうにかなってしまった。
噂はあっという間に広まり、私は市井で『ヒヨドリの君』などというあだ名をつけられて、乳母は寝込んだ。
もちろん、姫君を指南する話は無かったことになった。
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