お仕置き

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お仕置き

 部屋のある街区の外れでタクシーを降りた。  家の近くまで乗っていくこともできたが、ジンには街区の外れまでにしろと常々言われていた。  追手を撒くため、家を知られるのを避けるため、理由は色々あった。  部屋までは歩いて十五分程。ユーシーはジンの言いつけ通り、歩いて部屋まで向かう。  空は曇りで日差しはほとんどないが、それでも日中は暑い。バカみたいに高い湿度のせいで、歩くだけで勝手に汗が滲んでくる。  久しぶりに歩く道だった。  観光客の少ない裏通りは歩きやすくて好きだった。  人通りの少ない道を、夢心地が抜けきらないまま呆けた顔で歩いていると、聞き覚えのある声に呼ばれた。 「あら、シャオユー」  良く通る、張りのある男の声だった。そんな喋り方の知り合いは一人しかいなかった。 「ディアーナ」  端正な顔立ちには華やかな化粧が施され、長い髪は、ハーフアップ にされている。すらりとした体躯はジンと同じくらいの背丈だった。年齢は知らないが、ジンよりは年上だと聞いたことがある。  ディアーナはユーシーの全身に絵を入れ、ピアスを施した彫り師だった。  よく見ればディアーナのアトリエの前だった。店の入り口はガラス張りで、ブラックボードのパネルを店の前に置きにきたところだった。 「珍しいわね、あんたがこんな時間に出歩くなんて」  ディアーナの言う通り、こんなに日の高い時間帯に出歩くのは久しぶりだった。いつもならまだベッドの中にいる時間だ。 「あら、旅行?」  ディアーナはユーシーの持つボストンバッグを見つけた。普段バッグの類を持たないユーシーには珍しいというのもあった。 「ん、いや、仕事帰り」 「あら、じゃあ朝帰り?」  ディアーナの表情がパッと明るくなる。 「うん、まぁ」  隠すつもりもなかった。  ディアーナはこういう話は好きだったし、わざわざ嘘をつくのも面倒だった。何より、ディアーナは口が固い。マフィアを相手にすることも多いせいか、ディアーナから誰かに話が漏れたというのは聞いたことがなかった。だから、安心して話せるというのもある。 「その様子だと上玉を引っ掛けたみたいね」 「なんでわかんの」 「顔に書いてあるわよ」  ディアーナはニヤリと笑った。そんなにわかりやすい顔をしていただろうか。ユーシーは頬の肉を引っ張った。 「刺青、褒めてたよ。ドレスみたいだって」 「あら、わかる奴じゃない。嬉しいわ」  皆、刺青には龍やら神やら何らかのモチーフを入れていたが、ユーシーは他の奴と被るのを嫌がった。被るのは嫌だが、とにかく全身に入れたい。そんなユーシーの無茶振りに応えたのがディアーナのこの作品だった。  大きなモチーフは無いが、全身を覆うように施されたレースのような繊細な柄は、美しく、全身を覆うので箔もつく。  時間はかかったが、ディアーナの自信作だけあってユーシーも気に入っていた。  ユーシーの身体のあちこちに煌めくピアスも、すべてディアーナが施したものだった。 「詳しく聞きたいところだけど、今日はこの後予約が入ってるのよ。また今度ゆっくり聞かせて頂戴」 「うん」 「お疲れ様。会えてよかったわ」 「ディアーナも、元気そうでよかった」 「あたしはいつだって元気よ。たまには店に遊びにきなさいよ」 「うん」 「じゃあね、引き留めて悪かったわね。おやすみなさい、シャオユー」 「またね」  手を振り合って別れると、ユーシーは再び部屋に向かって歩き始めた。  部屋に着く頃には、すっかり汗だくだった。  エアコンをつけたままの部屋はひやりとして心地好い。  カーテンの締め切られた部屋はまだ日が高いと言うのに薄暗い。明るいのが苦手なユーシーは日中は殆どカーテンを開けなかった。隙間から漏れる光で薄明るい部屋は、ユーシーには居心地のいい空間だった。  バッグをベッドの脇に放ってバスルームに向かい、シャワーを浴びてからベッドに倒れ込む。  ユーシーを受け止めたマットレスが軋んだ。  熱が抜け切った後の心地よい倦怠感が、全身にまとわりついていた。  寝返りを打ってぼんやりと天井を見上げる。 「ジンになんて言お」  別にジンは恋人でも何でもない。仕事の依頼主だ。仕事さえこなせばいい。とやかく言われる筋合いはない。しかしながら、それ以前に家族だ。  病気を貰うから気をつけろ、誰彼構わずついていくな、相手は選べ、やるならゴムはつけろ。なにかある度に聞かされた小言は数え切れない。  今回は上手くやった自信がある。問題は、ボストンバッグに詰まった現金だった。  別に、金が欲しくてあんなことを言った訳ではない。  仕事の報酬はそれなりに貯まっていて、金に困っているということはない。ベッドの下に貯め込んだ茶封筒の山には、手をつけていない封筒の方が多い。  欲しいものもない。  今の生活で満足していた。  仕事があり、金がもらえて、食うには困らない。雨風を凌げる部屋もある。生きるにはそれで十分だった。  ただ、いつもするみたいにルイとも駆け引きをしたかっただけだった。 「怒られるかな……」  寝返りを打って、壁を見つめる。  返してこいと言われるかもしれない。  マフィアをやっているが、ジンは真面目で義理堅いタイプだ。  ああ、でもそしたら。 「……また会えるか」  ルイに会う口実ができることに、ユーシーは頬を緩めた。  テクニックもさることながら、甘い低音に呼ばれ甘やかされるのは何とも心地良かった。身も心も蕩かされる感覚は、思い出しただけで腹の奥が疼くようだった。  鼓膜をくすぐる甘く低い声を、頬を撫でる手のひらの感触を思い出しながら、ユーシーは微睡の中に落ちていった。  日暮れと共に、街の空気が、喧騒の質が変わる。  欲望を濃く映したようなネオンが街を照らし出す。  そんな街に、ぽつぽつと雨が降り始めていた。  日は沈んでも湿度は変わらない。残る熱気は雨くらいでは冷めることなく、夜を過熱させていく。  薄く烟る闇に、彷徨う数多の欲を映したような極彩色のネオンが浮かぶ。  賑わう街を尻目に、傘も差さず、ユーシーは報告に向かう。  歓楽街のはずれのマンションに着くと、迷わずエントランスを進んでエレベーターに乗り込み、ジンの部屋に向かう。  呼び鈴を押すと、間も無くジンが姿を見せた。 「入れ」  リビングに通される。早い時間だというのに、ジンの姿があるだけだった。いつもなら部下が一人二人はいるのだが、今日はその姿は見当たらなかった。 「珍しいね、ジンだけ?」  客用のソファに座ったユーシーは部屋を見回す。 「ちょうど飯の時間なんだよ」 「ふぅん」 「仕事、終わったんだろ。今朝、うちのやつが見つけた」 「そっか」 「遅かったな」 「うん、ちょっと」  ジンが何か言いたげにユーシーを見た。この程度の誤魔化しが通用しないのはわかっていた。 「ナンパされたんだよ。食事でもどうですか、って。今回は獲物がなかったから、いいかなって」 「わかった、それは咎めねーよ」  ジンは淡々とキャビネットから封筒を取り出した。 「今回の分だ。よくやったな。レイさんからのボーナス付きだ」  差し出された封筒は二つ。言われた通り、入っている金額はいつもより多い。  レイはジンの上役でこの辺りを仕切る組織の幹部だ。ユーシーも何度も会ったことがある。  中身を確認してポケットにしまう。 「ありがと。……なぁジン、昨日、ナンパされた奴に一千万で僕のところに来てって言われた」 「はぁ? 何の冗談だ?」  ジンが眉を顰めた。そういう反応をされるだろうと思っていたユーシーは肩を竦めてみせた。 「さぁ」 「金は貰ったのか?」 「もらった。部屋に置いてきた」  ジンのあからさまな溜め息が聞こえた。 「仕事でもなく一千万出す奴なんて聞いたことねーぞ。何処のどいつだ?」 「さぁ」 「お前なぁ。どこで会った? あのオンボロホテルの近くか?」 「あそこから大通りに出る手前くらい」 「じゃあ、まあ、観光客か。それにしたって、どんな富豪だよ。一千万だろ」  殺しですら、そうそうそんな金額の仕事はない。そんな金額が動く仕事があるとすれば、組織のトップを殺せだとか組織一つ潰せだとか、そんなレベルだろう。スカウトするにもそんな金額を出すとは考えられない。  ましてや殺し屋を身請けしようとする奴なんて聞いたことがない。ストリートチルドレンあがりのチンピラみたいな奴を好き好んで囲い込む奴がいるのか。  ユーシーが考えたことは、おそらくジンも考えている。 「上がる気になったか?」 「わかんねー」  マフィアは一度入ったら簡単に抜けられないことを、ジンもユーシーもわかっている。  ジンはユーシーをマフィアには近付けたくなかったため、あくまで外注というスタンスのようだが、それでも浅い付き合いではない。  殺しの仕事は、ジンの組織からの依頼が大部分で、時折噂を聞きつけた他所の組織からの依頼があるくらいだった。  ユーシー自身、まだどうしたいのか決めかねていた。  一千万という金額は魅力だが、誰かのものになるということがまだ感覚としてわからないでいた。  セックスだけすればいいのか、他のことも求められるのか、わからないせいもある。  売られたことは何度もあるが、代金が自分のものになったことは一度もない。  一千万という金額も、いまいちピンときていなかった。  欲しいものがあるわけでもない。  今の生活に、特段不満もなかった。 「そいつの名前は聞いたか?」 「ルイって言ってた」  連絡先はボストンバッグと一緒に部屋に置いてきてしまった。わかるのはルイという名前くらいだ。 「ったく、お前なぁ、他所のところの奴だったらどうする気だ?」 「白人だし、ビジネスマンぽかったから大丈夫だろ」 「バーカ、最近じゃこの辺りも欧米の奴らが出入りしてんだ。油断すんなよ」 「そうなの?」 「そうだよ。石油王ルーが来てるって噂だ」 「石油王ルーね。実在すんの?」 「実在するから来てるって噂が出てくるんだろ」  このところ、その名前はジンから定期的に聞かされていた。  潤沢なオイルマネーであちこちのマフィアと手を組んでいるという噂の、石油王ルー。  その石油王が香港マフィアに目をつけたという話がまことしやかに囁かれるようになったのがここひと月くらいのこと。 「どこの組織と組むか、どこを潰すか、考えてるんだろうよ」 「ふうん」 「気をつけろよ。外の連中は何するかわからねぇからな」 「ここの連中だって何するかわかんねーじゃん」 「はは、違いねーな」  ジンは声を上げて笑った。 「この件はレイさんに話しておく。次の仕事が決まったらまた連絡するから、しばらくゆっくりしてろ」 「え、もう終わり?」 「報酬は渡しただろ」 「……しねえの?」 「しねえよ。昨日やってきたんだろ。それにあと三十分もしたら部下が帰ってくる」 「なあ、十五分でいいから」 「絶対終わらねーだろ。帰れ」  追い払うような手振りをされ、ユーシーは不服そうな顔をした。 「なあ、ジン」 「今日は機嫌が悪い」 「いいよ、酷くしても」  ユーシーの耳に届いたのはジンの忌々しげな舌打ちだった。 「そういう問題じゃねえ。あんまり煽るな」 「してよ」 「ベッド貸してやるから一人でしろ」 「やだよ。ジンがいい」  盛大なため息が聞こえた。よく知っている。折れたときのジンがつく、参ったよのため息だった。 「……来い」  渋々、といった声色だった。ジンはポケットからスマートフォンを取り出す。何か操作をして、また胸ポケットにしまった。  いつも通りバスルームで清められ、後ろの準備をされる。  ジンがいつものように指用コンドームをつけた。  パチ、と伸縮性のある素材を弾く音がする。 「何回した? トロトロじゃねえか」  ジンの中指が綻んだ蕾を撫でる。ローションを纏わせた指先を埋めては抜いてを繰り返すと、解れきった蕾は誘うようにジンの指にしゃぶりついた。 「っあ」 「熱いな」  ゆっくりと、ジンが指を出し入れする。 「ジン、やだ、はやくしろって」 「駄目だ、何回したか言え」 「なんだよ」 「酷くしていいって言ったのはお前だろ」  ただでさえ石油王ルーの話で神経を尖らせているところにこの話だ。機嫌を損ねても仕方ないとは思う。 「しょーがねーだろ」  そうでも言わなければジンはしてくれそうになかった。マフィアのくせに、ジンは堅物でルールに忠実な常識人だ。 「じゃあやめるか」  そう言うくせにやめるつもりのないジンの指が無遠慮に前立腺を抉った。ユーシーは喉を引き攣らせ、身体を捩る。 「っひ、ぁ、覚えて、ねぇ、って」 「そんな回数もわかんねーくらいしたのか?」  指を増やして前立腺を捏ねられると、最早回数を答えるどころではなかった。  勝手に腰が跳ねる。  口から漏れ出るのは言葉の体をなさない甘い喘ぎばかりで、ジンはそれを聞きながら楽しげに笑っている。 「わかん、ねー、っく、多分、四回、とか」 「そんだけして、まだしてぇのかよ」 「だって、ジンの、奥、気持ちい、から」 「ったく、お前、あんま煽んな」 「は、ぁう」 「気持ちいいなぁ、シャオユー」  目を細めたジンが唇を舐める。その仕草に、ユーシーの背をぞくりと甘い痺れが駆け上がった。 「ジン、なぁ、おく……」  ユーシーの手が、ジンのシャツを掴む。 「ダメだ」  ジンはバスタオルにユーシーを包み、抱き上げて寝室に運んだ。  ベッドの上、後孔にローションを足される。  やっと奥にもらえるのかと思った矢先、綻んだ蕾に捩じ込まれたジンの指が、一際強く前立腺を押し潰した。  ひゅ、と喉が鳴り、ビリビリと頭の芯まで快感が駆け抜ける。 「ッア、あっ、いっ、て……ぁ」  開いたままの口からは唾液が垂れる。  中は不規則に収縮して、ジンの指を食い締める。 「中だけでいったな?」  射精を伴わない絶頂は長く続いた。  浅い呼吸でなんとか空気を吸うのがやっとで、ユーシーは惚けた顔でジンを見上げる。快感に飲まれ、ジンの言っていることは半分も理解できていない。  ジンの指はねっとりとしこりを捏ねる。 「っい、あ、いってぅ、ぁ、ジン」  ずっと射精無しの絶頂を味わうユーシーは、脚を痙攣させ、足先でシーツを蹴る。 「今日はここだけでいけ」  その気になってしまった身体は奥まで苛めて欲しいと疼くのに、ジンの骨張った指は浅い場所のしこりを執拗に撫でて弾くばかりだった。  お仕置きと言うのに相応しく、サディスティックさの垣間見えるジンのプレイに奥まで満たされないまま、ユーシーは夜更けまで散々啼かされた。
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