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地下闘技場
「ユーシー、起きろ」
ジンの声とともに肩を揺すられ、深い闇に溶けていた意識が浮き上がる。
「仕事で出る」
まだ半分も開かない瞼を擦りながらなんとか身体を起こすが、全身の怠さと瞼の重みで、横になったらすぐにまた寝てしまいそうだった。
カーテンの閉ざされたジンの寝室は薄明るく、カーテンの向こうはとうに太陽が高く昇っているようだった。
ジンはスーツ姿でユーシーのいるベッドに腰掛け、ネクタイを結んでいた。うっすらとジンがいつもつけている香水の匂いがする。外行きの、ジンの匂いだった。
まだ寝ていたいが、ジンが着替えを終えているということは、このまま放り出されかねない。
ジンは約束は必ず守るタイプだ。時間にも厳しい。ユーシーがぐずったところで、待ってくれないのがジンだ。
「ほら、シャワー浴びてこい」
ジンの骨張った手が寝癖だらけのユーシーの頭を掻き回す。見上げたジンの表情は昨夜よりずっと柔らかく、いつものジンだった。
「ジン、みず、ほしい」
昨夜、散々虐められたせいで声が掠れていた。
あんなに喚いたのは久し振りだった。
思い出して、また腹の奥がじくじくと熱を持つ。
「ちょっと待ってろ」
そんなユーシーの内心など知るはずもなく、ジンは薄く笑って立ち上がると、寝室を出て行く。
昨日はあんなに意地悪だったのに、その反動か、きょうはひどく優しく感じる。
水を取りに行くジンの背中を眺めながら、ユーシーはこっそり頬を緩めた。
ジンと一緒に部屋を出たユーシーは、ジンと別れ、タクシーを捕まえて繁華街の外れにある藍真粥店に向かった。
真昼の空は、薄曇りでもまだ眩い。
湿気の多い空気のせいで、少し歩いただけで既に首筋には汗が滲んでいた。
行儀の良い昼前の街は、夜に比べれば静かだった。
「いらっしゃい、シャオユー。今日は早いのね」
店に入ると店主のシン婆が出迎えてくれた。ランチ前の時間だからか、客はまだ少なく、席も空きが多い。
「うん、シン婆、いつものちょうだい」
カウンター席の端に座ると、メニューも見ずにそう告げる。
「あいよ」
店主は笑顔で短く返事をすると、奥の厨房へと入っていった。
まだ頭が働かないユーシーはぼんやりと店内を見回す。壁に設置されたテレビでは、ニュースが流れていた。天気予報では、嵐が来ていると注意を促している。
眺めているうちに、湯気の揺れる中華粥が運ばれてきた。
「どうぞ、シャオユー」
「ありがとう、いただきます」
手を合わせてから、レンゲを粥に沈める。
オフをどう過ごすか思案しながら、掬った粥を啜る。
買い物にも興味はないし欲しいものもない。特段どこかに行こうという気も起きない。
食事はだいたい一日に一度か二度、腹が減ったら馴染みの店で済ませることが多い。自炊はできるが、面倒なのであまりしない。
このシン婆の店の湯気の上がる中華粥と唐揚げがユーシーのお気に入りだった。
粥の下に沈んだ青菜を掬いながら、特に内容の入ってこないニュースを眺めた。
のんびりと完食して支払いをする。
「シン婆、ごちそうさま」
「ありがとう。またいらっしゃい」
店を出て、ユーシーは街をひとり歩く。
フルーツの並ぶ市場を越え、見えてきた古びたマンションがユーシーの自宅だった。
エレベーターで階を上がり、鍵を開け、玄関のドアを開ける。
電気はつけず、薄暗い廊下を進んで、そのまま寝室のベッドに倒れ込む。
小汚い部屋に、無造作に放った真新しいボストンバッグが場違いな存在感を放っていた。
硬いマットレスに、波打ったシーツ。丸めたタオルケットを抱き寄せる。
結局、昨夜はひたすら前立腺を責められただけでユーシーの奥はずっと切なく疼いていた。
ベッドサイドの粗末なキャビネットから手探りで取り出したのは、下品なピンクの球体が連なった長さ三十センチほどのアナル用のバイブと、リモコン付きのローター、ローションのボトルにシリコン製のディルド、コンドームの箱だった。
どれも相手をしろとごねたユーシーがジンに押し付けられたものだった。
ユーシーはアナルバイブを手に取り、コンドームを被せてたっぷりとローションを垂らした。
物欲しげに震える窄まりに宛てがい、そっと押し込むと、ずるずると中に埋まっていく。奥まで飲み込ませてスイッチを入れるとモーター音が響き、連なる球体が振動しながら内壁を刺激する。
無機物が腸壁を震わせ、背筋を甘い痺れが駆け上がる。
「ん、くぅ」
それだけでは物足らず、ユーシーは奥の襞を捏ね、ごちゅごちゅと出し入れする。
不意に硬さのある先端が襞をこじ開け、奥に潜り込んだ。
途端に体が跳ね、視界が白く弾ける。腹が熱く濡れて潮を吹いたのだと気付く。今からゴムをつけようかとも思ったが、もう面倒だし、それどころではなかった。
快感で身体が強張る。
爪先を丸めて快感を逃そうとするが、上手くいかない。脚は勝手にがくがくと震え、跳ねた。
「ひ、あ」
思うように腕を動かせないながらも玩具で襞を引っ掛け、いじめて快感を貪るが、それでも物足りず、ユーシーはアナルバイブを抜く。スイッチを切ると、モーター音が消え、部屋にはエアコンの音だけが響いた。
浅く荒い呼吸を繰り返しながらも、身体は貪欲でまだ満たされない。
次に手に取ったのは男性器を模したシリコン製のディルド。肌に近い色の素材でできていて、太さはないが、三十センチほどの長さで奥を責めるには十分だった。
コンドームをつけてローションを垂らし、蕩けた後孔に先端を宛てがう。
ひくつく蕾に先端を押し付けると、粘ついた音を立ててディルドの先端はつるりと飲み込まれた。
ユーシーはそのままゆっくりと奥まで進めていく。
先ほど行き当たったところまで押し込み、そのままごちゅごちゅと出し入れする。
「っあ、も、すこし」
腸壁を擦り、奥の襞を捏ねる。
シリコンに体温が馴染んで、中を擦る度に温かなものが動くのが堪らない。
だらしなく開いた口からは、熱く濡れた吐息が漏れる。
「は、あぅ」
襞を捏ねながら、ユーシーは腹に力を入れる。
腹筋が震えた。
「ーーっ!」
ディルドが襞をこじ開けて潜り込み、そのまま最奥を突いた。
視界に白い星が散り、熱い飛沫が震える腹を濡らす。中はきゅうきゅうと柔らかなシリコンを締め上げ、背がしなる。
気を抜けば意識を飛ばしそうな特濃の快感を浴びながら、ユーシーは浅い呼吸を繰り返した。
それでも、腹の底にはいつまでも物足りなさが残る。
理由は、わかっていた。
「っあ、やだ、だして」
誰に言うでもなく、声が漏れた。
熱い楔を奥まで打ち込まれたい。最奥で熱い迸りを感じたい。
玩具では到底慰めきれない疼きを腹の奥に残したまま、ユーシーは意識を手放した。
意識が戻ってきたユーシーの目に映ったのは、夜の色に染まった天井だった。
いつの間にか日はすっかり沈んで、カーテンの隙間からはちらつく街の明かりが僅かに漏れてくる。
爛れた熱の余韻はすっかり消え、身体に残っているのはわずかな倦怠感だけだった。
随分と気を失っていたらしい。昨夜は遅くまでジンに責められたので、疲れていたのもしれない。
うっすらと倦怠感の残る身体でユーシーはのそのそと起き上がる。
自慰の途中で意識を飛ばしたせいで、ベッドの上も自分の身体もひどい有様だった。美しい刺青の模様は乾いた白濁で汚れ、後孔にはディルドが半分埋まったままだった。ずるりと抜き出すと、張り出した部分が雑に前立腺を抉って腰が跳ねた。
シーツに散らかった玩具を洗って片付け、シャワーで身体を清める。散々吐き出した残滓を洗い流し、部屋に戻ると下着だけの姿でストレッチを念入りに行った。無心で行う、いつものルーティンだった。
一頻り身体を伸ばすと、ユーシーはクローゼットを開けた。ハンガーにかかっている服は少ない。
ルーズなシルエットのTシャツに、ハーフパンツと、ソックス。全部黒だ。ベッドサイドのキャビネットの上に置いたサングラスも忘れない。
外行きの服に着替えたユーシーは、クローゼットの隅に放ってあるリュックを拾い上げるとクローゼットを占めた。ボストンバッグの中の札束から紙幣を数枚抜くとポケットにしまい、部屋を出た。
ユーシーの足は自然と繁華街へと向く。
ネオンの下に流れる人混みを颯爽と抜け、向かった先はバーやクラブの並ぶ歓楽街の中でも薄暗い一角。
ライブハウスのような重そうな扉の前には体格の良いセキュリティの男がいた。
「どーも」
ユーシーがペコリと頭を下げると、男はユーシーを一瞥して小さく頭を下げた。
重い扉を開け、階段を降りて地下のフロアに着くと、薄暗いホールにセキュリティの男がもう1人立っている。
顔パスで脇を抜けると、その奥には熱気と賑わいに包まれた空間が広がっていた。
ユーシーのもう一つの職場、地下格闘技場。
喧嘩自慢が集まる夜の街の地下に作られた闘技場で、ケージのような檻の中で、一対一で闘う。
物好きな観光客やマカオに飽きた客が訪れ、時々芸能人もいるらしい。日によってはジンやレイが来ることもある。VIPルームに入るのは大体マフィアか、物好きな金持ちだった。
観客はどちらが勝つか賭ける。オッズは人気の具合と勝率に応じて支配人が決めていた。ファイトマネーも、その中から支払われる。金額は微々たるものだが、スポンサーがつく試合には高額な賞金が出ることもある。
支配人はいるが、元締めはジンの組織だった。
フロアの中央にはリングがあり、その周りを囲うようにアリーナがあり、その外周にバーカウンターとVIP用のシートがある。
一般客はスタンディングだ。
バーカウンターの前を通ると、見慣れた姿があった。
「ヘイティエ!」
三十くらいの、中肉中背の髭面の男が嬉しそうな声を上げた。ここの支配人のウェンだった。
ヘイティエはここでのユーシーの名前で、いわゆるリングネームと言うやつだった。名付けたのはこのウェン。黒服で、初戦で見せた強さからその名前がつけられた。
「待ってたぞ。どうだ、エントリーするか?」
ウェンは右手に太いマーカーを持っている。今日の試合のトーナメント表を作っているようだった。
「ああ、やるよ」
「よし、ヘイティエは予選なしだな」
ウェンは上機嫌でトーナメント表にヘイティエの名前を書き込んでいく。左端の選手の枠に黒鉄の名前が記された。
「今日のトーナメント戦は楽しくなるぞ。ヘイティエ、今日のはスポンサーがつく。優勝すればボーナス付きだ」
「はは、じゃあ頑張らなきゃな」
「今ちょうど予選をやってるところだ。ゆっくりしててくれ」
「ん、わかった」
ジンに紹介されて以来、ユーシーは暇さえあればここへやってきて試合に参加していた。ファイトマネーは微々たるものだが、気にはならない。ここへやってくる理由は、金よりも、憂さ晴らしだった。
勝率の高いユーシーはオッズは低めだが、それでもユーシーに賭ける客は少なくない。常連客からも支持を得ていた。
華奢で端正な顔立ちをしているせいもあり、女性客からの人気も高い。
バーカウンターを離れたユーシーは、店の奥の関係者以外立ち入り禁止エリアに入っていく。
先には選手用の更衣室がある。
従業員用のと大差無い、年季の入った金属製のロッカー。あちこち凹凸が見えるのは、気性の荒い奴や喧嘩っ早い奴が集まる場所柄のせいだ。ユーシーもここで何度もやり合ったことがある。
そのうちの一つ、一番奥のロッカーには、黒鉄とマーカーで書かれている。消えかけた字は、初めてここへ来た時にウェンが書いたものだった。
うっすらと漂う、金属と、汗と、タバコ、アルコールの匂い。遠くに聞こえる歓声。
生身の人間同士がぶつかり合う場所。生きる人間の匂いが濃いこの場所が、これから始まる闘争本能のぶつけ合いが、堪らなく好きだった。
殺しでもセックスでも感じることのない、刹那的で暴力的な昂りと、身体と意地のぶつかり合い。
湧いてくる高揚感に心臓が震え、頭の奥は冷たく冴えていく。
終わった後には、勝っても負けても爽快感と心地好い倦怠感が残る。
薄暗く狭い部屋を蛍光灯の白い光が照らす中、ユーシーはロッカーを開けた。中には、粗末なサンダルが入っているだけだ。背負っていたリュックを放り込み、トップスのTシャツと、スニーカー、靴下を脱いでロッカーにしまう。サングラスも外す。ハーフパンツだけの姿になって、リュックから出したオープンフィンガーグローブをつけ、マウスピースはポケットに突っ込んだ。最後にリュックからバスタオルを出し、肩に掛けるとホールを彷徨くためのサンダルを履いた。試合は基本裸足だが、フロアに裸足で出るわけにもいかないのでサンダルを置いてあった。
ロッカーに鍵をかけると、ユーシーはバーカウンターに戻った。
「よお、ユーシー」
ドリンク係のウェンリーがカウンターで待ち受けていた。よく話をする、ユーシーと同じくらいの歳のスタッフだった。
「鍵、頼む」
「おう。ドリンクは?」
「終わったら貰う。あと、フライドチキン用意しといて」
「わかった。お前ほんと唐揚げ好きだよな」
「いいだろ、別に」
起きてからまだろくに食べていないユーシーは腹が減っていたが、試合前に食べるわけにはいかないので、食事はいつも試合後だった。
「はは、楽しみにしてるぜ。今日もお前に賭けてるんだ」
「頑張るよ。予選はどう?」
「まあ、誰が残るかな、って感じ。活きのいい奴はいるけど、お前のブロックは決勝行きはお前で決定だろうな。んで、向こうのブロックはハオランだな」
「へぇ」
「あいつ、今日は特別気合い入ってるからな。そんなことしなくても、順当にいけば負けねーだろうけど」
「ふうん」
めぼしい新人がいないのは残念だが、何度もやり合っているハオランと試合ができるのは楽しみだった。
話をしているうちに歓声が上がる。
「あいつとか、多分いい線行くんじゃないか?」
「へぇ」
ユーシーは視線をリングに向けた。
動きは荒削りだが、キレがある。同い年くらい、背丈はユーシーよりもある。場数を踏んで、鍛えれば強くなりそうだった。ただ、そんな選手は大体ここには残らず、どこかのジムに誘われて総合格闘技の選手になる。何人も見てきた。喜ばしいことだが、思い出して少し寂しい気分になる。
ウェンリーと話しているうちに、予選は進み、選手が出揃った。
ヘイティエ、ハオラン、他にも知った名前がトーナメント表に並ぶ。計八名でのトーナメント戦で、三戦勝利したら優勝だ。
「そろそろ行くよ」
「おう、頑張れよ」
手を振って、ユーシーは控室に向かう。
更衣室を抜け、控室に着く。
ベンチがいくつか置かれた控室は、そこから伸びる短い通路を抜けるとリングがある。
ベンチには試合待ちの選手がコールを待っていた。
客席からは歓声が聞こえる。今日も店は盛況のようだった。
通路の先から、ヘイティエのコールが聞こえ、ユーシーは足早にリングへと向かった。
試合は総合格闘技のルールに則って執り行われるが、総合格闘技のそれほど厳格ではない。
勿論反則もあるが、ユーシーにしてみればわざわざ反則をする必要もない。
リング上には、選手二人と判定を行うレフェリーが一人入る。
試合は五分三ラウンドの形式で行われる。勝敗が決まらなければ、判定に持ち込まれる。
先にリングに上がっていたのはユーシーと同じくらいの年齢の、見ない顔の選手だ。よく飛び込みの選手がいるので、彼もそれかもしれない。
かと言って手加減をするほど優しくはない。
ユーシーは挨拶を交わすと静かに拳を構えた。
初戦、二回戦とユーシーは難なく勝利を収め、やってきた決勝戦のリング。
「またお前かよ」
対角にいたのは、予想通りもう何度も対戦したことのあるハオランだった。パンチもキックも威力があるタイプだが、バランス良くなんでもこなす。歳はユーシーと同じくらいだが、しっかりとした体躯をしている。
「お手柔らかに」
ユーシーは笑ってみせる。
檻のようなケージの中、拳を軽くぶつけて挨拶して、ゴングが鳴れば試合の始まりだ。
軽快なステップを踏みながら、隙を窺う。一撃の威力ならハオランの方が上だった。
線の細いユーシーはどうしても威力では勝てない。
ユーシーにできるのは手数のある打撃と蹴り、関節技くらいだ。しなやかな脚から繰り出されるハイキックと、的確で柔軟な関節技で幾多の相手を沈めてきた。
打ち合いは、案の定ハオランが優勢だった。ユーシーはガードしてなんとか凌いで、キックからの相手を倒してグラウンドに持ち込む。
パンチを打ち込んできた腕を取って三角締めをするが、極まりきらない。
振り解かれ、ハオランのキレのいいパンチが頬を掠めた。
その後も打ち合いが続いたが、決着はつかなかった。
二ラウンド目はグラウンドを警戒して距離を取るハオランと、打撃メインの攻防が続いた。何発か食らい、ユーシーも何発か打ち込む。
渾身のハイキックはハオランの腕がしっかり受け止め、そこでラウンド終了が告げられた。
そして迎えた三ラウンド目。打撃の応酬から、ハイキックで隙をつくったユーシーはグラウンドに持ち込んで、ハオランの腕を掴み三角締めで締め上げる。
ユーシーの引き締まった脚が、ハオランを締め上げる。
ハオランの手が、ユーシーの脚を叩く。ギブアップの合図だった。
脚を解くと、ハオランが咳き込みながら倒れ込む。
「くっそ、油断した……」
「ハオ、大丈夫?」
「大丈夫。またやろうぜ」
短く言葉を交わして、拳を触れ合わせる。
ハオランはふらつきながら立ち上がるとリングを降りていった。
「勝者、ヘイティエ!」
勝者がコールされ、レフェリーがユーシーの左手を高く持ち上げた。
客席から起こる歓声が嵐のようだった。
トーナメントの後も、単発の試合が組まれていた。
賞金を受け取り、シャワーを浴びて着替えを終えたユーシーは客席の奥にあるベンチからリングを眺める。
ウェンリーから受け取ったドリンクとフライドチキンを持って適当なベンチに座る。
緊張感が抜けたところで、腹が減った。
まだ熱いチキンを齧り、リング上で繰り広げられる試合を眺めていると声をかけられた。
「ヘイティエ」
聞き覚えのある甘い低音に心臓が跳ねた。その甘い声は、忘れるわけがない。振り向くとそこにはルイの姿があった。
「ルイ」
こんな所で会うとは思いもしなかったユーシーは、驚きを隠せない。
「また会えて嬉しいよ」
柔らかく笑う色男。上品そうな印象のルイがこんなところにいるのは意外だった。
「なんで、こんなとこ」
「好きでよく観にくるんだ」
あの後、結局ルイには連絡していなかった。
まだ返事も考えていなかったし、ジンたちの許可もなく返事をすることは出来なかった。
なんとなく気まずかったが、ルイはそんなことは気にしていないようだ。
「かっこよかったよ、ヘイティエ」
「観てたんだ」
「うん」
「あんたにそう呼ばれると照れるな。シャオユーでいいよ」
「ふふ、僕もそっちの名前が好き。隣、座っていい?」
「うん」
ルイは嬉しそうにユーシーの隣に座った。
そんなルイの横顔を見上げ、ユーシーはおずおずと口を開いた。
「なあ、まだ、あの返事は……」
「うん、大丈夫。急がなくていいから。大事なことだし、ゆっくり考えて」
「ありがとう」
ユーシーは胸を撫で下ろす。
「シャオユー、まだ試合があるの?」
「試合はもう終わり。ちょっと見てただけ。腹も減ったし」
ユーシーは食べかけのチキンに齧り付く。
「そっか。ねえシャオユー、よかったらこの後、祝勝会をしない?」
「祝勝会?」
「そう。僕の部屋で。どうかな」
甘い記憶しかないルイの部屋を思い出して、腹の奥が疼く。
「いいの」
声が震えた。
「いいよ。シャオユーさえよかったら、ね」
ルイの大きな手のひらが、ユーシーの頬を撫でる。
ひりつく闘いの後、昂ったままの身体に、擦り傷の残る頬に、ルイの指先が触れただけで、もうだめだった。
触れられた場所から、甘い痺れを伴った熱が全身にまわっていく。毒のように、自由が効かなくなっていく。
期待に鼓動が早まる。
ルイの柔らかな微笑みに、腹をすかせた獣のように喉が鳴った。
澄んだ音を立てて、グラスがぶつかる。
「シャオユーの勝利に乾杯」
「ふふ、ありがとう」
ソファに並んで座り、グラスを傾け合う。
磨き上げられた細身のグラスに注がれたシャンパンは、口に含むとフルーティな香りが広がり、舌の上で泡が弾けた。
「おいしい」
「ならよかった」
ユーシーはまた一口、シャンパンを喉に流し込む。
あまり飲んだことはなかったが、美味しいと思った。
「十日くらい前だったかな、君の試合を初めて見て、一目惚れだったんだ」
十日くらい前と言われてユーシーは記憶を探る。十日。ルイに会う少し前。
ハオランとの試合だ。打ち合いがメインで、楽しい試合だったのを覚えている。
「あの試合、見てたんだ。ここ最近のベストバウトだよ」
ここ半年で一番良い試合だったと思っていたので、ルイに言われて少し嬉しかった。
「気高い獣みたいで、美しいと思ったんだ。あの姿が、ずっと頭から離れなくて」
ルイのアイスブルーの瞳が、熱を孕んで揺らめいた。
「だからあの日、君に会えて、嬉しかった」
あの夜、ルイに出会って、一千万を渡されて。
ユーシーにしてみれば、殺しの後の熱を治めるのに相手をしてくれるだけでよかったのに、どういう訳が口説かれて、持て余すほどの金を渡されて。
それもこれも彼の一目惚れのせいだったのかと思うと少し納得した。
「ありがとう。そんなふうに言われたことないから、嬉しい」
自分はいずれどこかで野垂れ死ぬのだと思っていた。ジンたちには必要とされているのはわかる。しかしながらそれ以上に求められることなどなかったし、ないと思っていた。
かつてユーシーを抱いた男の中にも、こんなに求めてくる奴はいなかった。
だから、こんなに熱量をぶつけられると、どうしたらいいのかわからない。
「シャオユー」
ルイの甘い声に、胸が締め付けられる。
その声で呼ばれて愛されるのは快感だと、身体が覚えていた。
「ヘイティエの君も、今の君も、どっちも素敵だよ。もっと君のことを教えて」
ルイの言葉が、すべてリップサービスだとしても構わなかった。その先にある濃厚な快感への期待が、ユーシーを駆り立てる。
「ここで? それともベッドで?」
ユーシーは八割ほど残ったグラスをテーブルに置いた。
早く欲しい。
心臓が脈打ちながら、肉欲に染まった熱い血を全身に送っていく。
ユーシーが伸ばした熱い手のひらが、ルイの頬に触れる。
ルイは嬉しそうに目を細めた。その涼しげなアイスブルーの瞳を情欲に濡らして、ユーシーの手を、厚い手のひらで包んだ。
「ベッドに行こうか」
テーブルには、シャンパンの入った細身のグラスが二つ並んで置かれた。
シャンパンの注がれたグラスは半分も空いていないまま、テーブルに放置されていた。
細かな雫のついたグラスに、細かな炭酸の粒が音もなく躍る。
傍らのソファには誰の姿も無く、既に二人の姿はベッドの上だった。
ユーシーは一糸纏わぬ姿でルイに組み敷かれ、波打つシーツの上に縫い止められている。
アルコールで赤みの差した肌にはうっすらと汗が滲んでいた。
ユーシーの細い身体をシーツに押し付けるルイも服は着ていなかった。
「ルイ、ルイ」
ユーシーが腕を伸ばしてルイに甘える。
その声は甘く蕩け、見上げる琥珀色もすっかり情欲に濡れていた。
後孔にはルイの屹立が深々と埋められ、吐き出した白濁が刺青を汚していた。
「どうしたい? 教えて、シャオユー」
ルイが緩く腰を揺すり、とちゅとちゅと甘く粘ついた音を立てて奥を穿つ。熱い剛直に内臓を捏ねられ、ルイが動く度に快感が漣のように押し寄せてきた。無機物ではない、人の熱に中を埋められ、熱い精液を注がれる快感を、ユーシーは与えられるままに堪能する。ユーシーは軽口を叩く余裕もなく、上擦った喘ぎを零すしか出来なかった。
「るい、ぅあ、なか、いっぱいだして」
既に何度も絶頂を迎えたユーシーは、すっかり蕩けた声で射精をねだる。
「シャオユーは、中に出されるのが好き?」
汗に濡れて額に張り付いた前髪を払い、ルイのアイスブルーの瞳が愛おしげにユーシーを見下ろした。
「ン、すき」
すっかり蜂蜜色に蕩けたユーシーの瞳には、涙の膜が張っていた。
「じゃあ、たくさん出してあげるね」
ゆったりと動かすルイの優しく大きなストロークで、前立腺を抉られ、奥の襞を捲られ、最奥の粘膜を捏ねられる。内臓を押し上げるような圧迫感にも、ユーシーの身体は快感を拾った。
奥の奥まで余す所なく蹂躙されて、意識は簡単に白飛びする。
「るい、るい」
揺すられ、ユーシーは舌足らずな声でルイを呼ぶ。
「ふふ、かわいいよ、シャオユー。僕がここまで入ってるの、わかる?」
臍の辺りを、トントンと中から突かれる。
震える指先で触れると、皮膚の向こうに肉を押し上げる何かを感じる。
「あ、う、入っ、て、ぅ」
腹の中を最奥まで突き上げるルイの逞しい肉茎を認識して、それだけでユーシーの中は不規則に締め付け、奥は物欲しげにしゃぶりつく。
「ふふ、こんなに甘えられたら、すぐいきそうだ」
荒い息を吐きながら、ルイが笑う。
「う、っく、るい、だして」
「いくよ、シャオユー」
遠慮のない、射精のための大きく荒々しいストローク。ルイの逞しい幹が、丸く張った先端が、張り出した段差が、ユーシーの絡みつく粘膜を擦り、抉っていく。奥襞を虐められる度に、ユーシーの揺れるばかりの性器からは透明な飛沫が散る。
ルイが息を詰めた。
最奥で楔が膨れ、熱が爆ぜる。ルイの逞しい肉茎が脈打ち、熱い奔流が放たれる。
中に吐き出される熱に酔いしれ、ユーシーは何度目がかの絶頂に上り詰めた。
腹の中に、熱いものが満ちていく。
ずっと待ち望んだ感覚に、圧倒的な多幸感が湧き上がる。意識が白く染まり、腹の奥が歓喜に熱く疼く。
中で何度も脈打つルイの逞しい幹を締め上げながら、ユーシーの記憶はそこでプツリと途切れた。
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