社会人の卵

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社会人の卵

僕らはみんな何かの卵に違いない。 学校を卒業して社会人になった時、楽しみやワクワクすると思うより不安ばかりが先行した。 『僕らは銃も生きるすべも何も持たず戦場に…』 僕の好きなアーティストがそう歌う。 そう僕らにとって社会人とは戦争なのだ。 そう思うから仕事は全く楽しくないし、長続きしない。 でもこのままでは生けない事はよく分かっている。 そして自己啓発書をよく読み、社会で成功する秘訣を考えた。 『仕事は遊び。遊びは仕事』 今でもこの言葉が好きだけど、ほとんどの人がこうは考えていない事にがく然とする。 「遊びじゃないんだから…」 遊びじゃないのは分かるけど、そんなんで何が楽しいのか、よくわからない。 転職した先でとても面白い人がいた。 「そんなビラ捨てちゃっていいよ」 会社で用意してくれたチラシや店に提供するはずのポスターをどんどん捨てて、「この店はよく通るから…」と言って部長の目に付きそうな店の通りだけチラシを貼っつけていく。 必要最低限だけ仕事をしてあとは社員の人と井戸端会議か電話をしている。 仕事は遊び、遊びは仕事。 その言葉と少しズレてはいるけどその先輩といると、とても楽しかった。 台風が吹き荒れる中の仕事では僕のことを心配して一時間おきに電話をくれた。 帰りの長い道中でもずーっと好きなアーチストや会社の人達の話を限りなく話続けた。 それでもずーっと楽しく飽きることがなかった。(互いに通話料金が3万円を超えた) でもそんな仕事が仕事として成り立つ訳がなくその部署は少しずつ規模縮小されてしまう。 「私も転職を余儀なくされたよ」 その表情は悲愴感が滲み出ていた。 規模縮小により互いに違う部署に配属。 それに反対して僕らはリストラにあってしまった。 あの彼女の悲愴感は僕と別れる事に依るものなのか。 僕があの時「結婚しようよ」と言っていれば 幸せな生活をしてたのだろうか? 僕はそうは思えない。 仕事を離れてしまえば電話やメールのやり取りも楽しくなくなってしまった。 彼女にとって、社会人卵の僕が可愛かったのだろう。 了
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