走馬灯

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走馬灯

落ちていく… どこまでも… 深く…深く… 奈落の底まで行くのだろうか… 私の行きつく先は、地獄? しかし、恐ろしさはなかった。 目が開けられないのに、 ずっとずっと深いところが 光っているのが分かる。 温かい光が芙蓉を包んでいた。 変だわ。冷たい水の中にいるはずなのに… もう私は死んだのだろうか? きっとそうよね。 でも…夢を見ているのかしら…? 柔らかい光の向こうに…、 何かが見えた。 誰かがいる… あれは… 若君様と私と姉上様。 あの風景は、 まだ姉上様も若君様も幼かった頃… 薬狩りと称して遊んだ野原だわ… 薬草などほとんど狩らずに、 ただ三人で戯れていた… 若君様は、 城の外に出るのが珍しいらしく、 とても楽しげにされていた… まだ、幼くて無邪気で… あ…蝶… あの時、 一羽の黄色い蝶が ひらひらと飛んできて 私の肩に止まった。 芙蓉、動くでない。 じっとしておれ… 美しい蝶じゃな。 絵筆を持って参ればよかった。 ふふふ… この蝶は、 そなたが芙蓉であることを 知っているのかな… だから停まったのであろう… 蝶は美しい花を好むからな… 若君様の何気ない言葉が嬉しかった…。 若君様、 そのようにお気に召したのならば、 お付の者を呼んで捕まえさせてはいかが? と姉上様がおっしゃると… いや、そのままでよい。 儚い命であろう… 閉じ込めてはかわいそうじゃ。 そう若君様がおっしゃるのを聞いていたかのように、 蝶は嬉しげに ひらひらと若君様の周りを何度か回って、 やがてどこかへ飛び去って行った… あの時から、 私はその蝶の姿を覚えておきたくて、 一生懸命刺繍の練習に 励むようになった。 一刺し一刺し想いを込めて、 布に絵を描いていった… 芙蓉の花にとまろうとする蝶… 難しくて、 なかなか上手にできなかったけれど… いつか、若君様に差し上げたい… 蝶ならば… いつでも好きなときに 若君様のお側に飛んで行けるのに… 自らの想いを蝶に込めるかのように、 刺していた… それらの光景が、 まるで絵草紙を見るかのように 芙蓉の目の前に繰り広げられていた。 ああ…あの頃に戻れたら… そのとき、 先ほどの蝶が光を放ちながら 芙蓉に近づいてくるような気がした。 また、私にとまってくれるのかしら? そうしたら、 若君様が気づいてくださるかもしれない… しかし… 蝶は止まらずに まるで芙蓉に吸い込まれるかのように消えてしまった… 目の前の光は次第に薄くなっていった… 私は… いつかまた咲く日まで、 蓮の種となって眠るのね… 深い、深い水の底で… 薄れていく意識の中で… 何かが手に触れたような気がした… なに?誰かの手?大きくて… やさしい… その手に導かれるように、 芙蓉はいっそう深く落ちて行った…
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