ぼたもち

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 彼岸の曇り空の下、墓石の段差にはぼたもちが供えてある。父の好物だ。きっと母が朝方置いていったのだろう、表面のあんこが乾き始めていた。  実家に行けば、どうせ母からやかんと線香を持たされる。だから今は本当に墓石を見るだけでいい。裕司はさっさと車に戻った。  夜は何が食べたい、と母が土産の包みを開けながら言う。 「お父さんのぼたもちしか作ってなくてねえ」 「親父の好きなものの方がいいんだろうけど、俺親父の好きなもの知らないからなあ。ぼたもちくらいしか」 「あら、お父さん、ぼたもちは特別好きじゃないよ」 「え? だって入院してからずっとおはぎ食べてただろ」  父は亡くなる前、肝硬変で入退院を繰り返していた。酒好きがたたり、若いうちに体を壊してしまったのだ。そんな父は、数度見舞っただけだったが、ベッドの上でいつも母が作ってきたおはぎを食べていた記憶がある。 「あれね、あんたに、俺はおはぎが好きだーって覚えてもらいたかったのよ」 「ええ?」  意味が分からない。父が好物を裕司に教える必要などないし、しかもそれが本当の好物ではないのならばなおさらだ。  母はにこにこと笑みを深めながら、包み紙を丁寧に畳んでいる。いつか使うかもしれないから、と箱もどこかにしまい込むのだろう。 「どうしてだと思う?」  その問いに、裕司は何も言えなかった。  居間に繋がるふすまを開けると、正面に父の仏壇がある。  父が死んで何十年も経つが、遺影をこうして間近で見るのは葬式以来かもしれない。真面目な顔をしきれないこの写真が、父の全てを表している気がした。適当に笑って、愛想良くして日々をやり過ごすだけで、家で待つ母や裕司のことを置いてけぼりにして酒を飲む。家族サービスという言葉を、自分が親になってから知ったくらいだ。 『どうしてだと思う?』  母の言葉がよみがえる。  裕司が大きくなるたび、父の帰りは遅くなっていった。接待が増えたのだろう。 「どうしてなんだろうなあ、覚えがねえや」  結論を出すための、父との思い出がなさすぎる。皮肉に声を張り上げても、父の遺影は、裕司が嫌いな表情のままそこにいる。  仕事に生き、仕事に死んだ父。退職する前に、すでに身体はぼろぼろだった。  それを聞いて、裕司はやっぱりな、と思うだけだった。 「裕司、お父さん教えてくれた?」  ふすまの向こうから、母の声がする。 「いいや、俺とは話したくないみたいだ」  裕司が憎まれ口を叩いても、母はあららと声だけを困らせる。実際はいつものように朗らかに笑っているだけだろう。 「じゃあ、ヒント。お父さん、病気になる前は必死になって働くことで精いっぱいだったんだよ」  あんたもそうでしょ、と言われても、父の仕事とぼたもちの関係が見えない。  だが、裕司自身が必死になって働いている理由くらいは分かっている。父とは違うのだ。  裕司は、父親として、家族に向き合うと決めていた。不自由なく子が育つように、働いているのだ。  たとえそれが、息子に伝わらないとしても。 「あ……」  俺があいつに見せている姿は、俺が見てきた親父と同じだ。  働いて、家に帰って寝る。朝が来たら、また働きに家を出る。その姿しか、裕司は息子に見せていない。 「俺……親父と、おんなじだ」 「そうよお。みんなそうなっちゃうの。だから、お父さんはおまじないをかけたのよ。お彼岸は年に2回あるでしょ? お盆より多いじゃない」  例えば、スーパーに売っているぼたもちを見かけたら、父親を思い出すように。墓参りに来なくても、その一瞬だけは父親の存在を思い出させるかもしれない。 「……親父……」  伝わっても伝わらなくてもよさそうな、曖昧なサインだった。 「死んでからじゃわかんねえだろう……っ、なんで死ぬ前のこと、考えなかったんだ……!」 「あらあ、いつの間にかお父さんとおんなじように泣くようになっちゃって」  母がふすまを開けていた。 「でもね、あんたはあの人を許さなくていいの。あんたはお父さんの子どもなんだから」  いいのいいの。母は、何でもないように笑った。
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