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「婚約が破棄された後、違う相手と再度婚約ができたひとたちは幸せだったでしょう。相手に婚約者を裏切った過去があっても、とりあえず自分とはゼロベースでスタートを切ることができるもの。でも、政治的な力関係ですべて別の相手とペアを作ることはできなかったわ」 「まさか」 「そうよ。我が家の両親は数少ない元サヤ組。裏切った婚約者との結婚を命じられたの。でもお母さまは、お父さまを許せなかった」 「お父さまは謝ったのでしょうか」 「まあおざなりに数回は謝ったんじゃないの。でも、お母さまが許してくれなかったので、逆ギレしたんじゃないかしら」 「なるほど」 「それで両家の親たちも、お互いに相手を責め立てたらしいわ。片方は『一度の浮気くらい許してやれ。心が狭い女はみっともない』、もう片方は『浮気をしたくせに開き直るな。誠心誠意、一生をかけて償え』とね」 「泥沼ですね」  もしもお母さまの立場に自分がいたら……と考えてぞっとしました。自分を裏切った相手と結婚するより他になく、白い結婚をすることもできず、子を孕み育まなければならないなんて。その状態で子どもを愛せというのは、あまりにもむごすぎます。 「人間だから好き嫌いがあるのは仕方がないけれど、それでも親としての自覚は持ってほしかったわね」 「でも、心は理屈で縛れません。本当に難しいということがよくわかりました」  誰かを好きになった今なら、お母さまの気持ちも理解できるような気がするのです。 「それでも時間が薬になる可能性もあったのだけれど、両家のおばあさまが台無しにしたの」 「まだ続くのですね」 「例えばわたくしの名前は、父方のおばあさまがつけたのよ。だからお母さまはわたくしの名前を絶対に呼ばないわ」 「なるほど。お姉さまの愛称が、本来の名前とは全然違う理由がわかりました」 「たぶんあなたの場合は、髪の色かしら」 「ひいおばあさまの色だと聞いたことがありますが、それにしては両親ともに嫌な顔をする気がします」 「もしかしたら例のご令嬢と同じ色なのかもしれないわね」  もしそれが事実なら、お母さまご自身が産んだからこそ、嫌悪感に耐えられなかったはず。ここへきて、何だかお母さまが可哀想に思えてきました。  両親の事情が私の耳に入らなかったのは、箝口令が敷かれていたのでしょう。  お父さまとお母さま。どちらにもいらない子どもだと言われているように思っていましたが、本当にそうなのだとわかって、私は逆にほっとしてしまいました。私は、「こんなに愛されているのに、それを素直に受け取ることができない、そのくせ愛情を欲しがってばかりいるひねくれた子ども」ではなかったのです。 「あのふたりは、いまだに素直になれないの。きっと一生このままよ」 「そうでしょうね。今さら、ふたりがどうにかなれるとは思えません」 「もちろんそれを理由にあなたを傷つけたことは許されることではないわ。でもあなたがこれからも傷つくのは、実はとても勿体ないことなの。あのひとたちは、あなたを鏡にして自分自身を傷つけ続けているのだから、それに付き合っていたらあなたが損をするばかり。もうあんなひとたちのこと、忘れてしまいなさい」 「親不孝になりませんか?」 「わたくしたちを愛さなかったのよ。わたくしたちが愛してあげる必要はないわ。そのぶんの愛は、誰か別のひとに捧げなさない。学園の誰かさんとかね」 「お姉さま!」 「それにいざとなったら、わたくしたちだけで幸せになればいいのよ」  魔法使いみたいに指を鳴らしてみせるお姉さまの姿に、私は久しぶりに晴れ晴れとした気持ちになるのがわかりました。
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