桜を嫌いな理由

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 少し汚れたローファーが一年という時間を物語る。紺色のスカートは煤けたような気がするし、最初からこうだった気がするし。 「成海、また浮かない顔してる。折角二年生になったばっかなのに」  後ろからの声に振り向きもせずに、私は答える。 「私の浮いた顔ってどんな顔?」 「大丈夫だった。いつも通りひねくれてる」  からかう様な言葉に私の軽口は続く。このやりとりは中学時代から変わらない。 「仕方ないじゃん。新しいクラスになってから、隣の席の……霧島さくらさんって人がちょっと苦手だから。はぁあ、てなるの」 思い出されるのはついこの間のやり取り……。  高校二年生の春。後ろ髪を引かれようとも、クラス分けは行われる。  また人間関係の構築に神経を擦りつぶさないといけない。だる。めんど。  でも、一人で過ごす教室はもっとだるい。一人で過ごしていると思われるのはもっとだるい。  これからのクラスメイトが小学校の体育のサッカーみたいに人が団子になって喧騒を生み出している。それを横目に私は視線を揺蕩わせるのみ。  私だけがしらけ切っていて、他の誰もがしらけていないふりをしている。 そんな妄想に捕らわれている時に彼女はベルガモットの香りと共にやってきた。 「成海さん、だよね?」  後ろからの少女の声に振り向いて答える。 「そうですけど(初対面とはいえ、なぜ私は同級生に敬語なのだろう)。」 「私は霧島さくら。去年は二組だったんだけど、成海さんは?」 「五組」 「そうなんだ。廊下でチラッと見たことあるかもな~くらいだったからね。家は学校から近いの?」 「えーっと自転車で二十分ってとこ」 「そうなんだ~。あっ、部活何やってるの~?」 「帰宅部~」  つられて語尾を伸ばしてしまったけど、奏でるのは不協和音に聞こえた。それでも彼女レベルの指揮者は意に介さない。 「へ~。私はね………」 丁度いい位置の泣きぼくろ。そら豆みたいな涙袋。含みのないはにかみ。 彼女を示すアイコンは整然として配置されていた。そして、この屈託のない話ぶり。  こりゃあモテるだろうなぁ。私も少しドキドキしてるもん。こんな色々な質問してきて、私のこと絶対好きじゃん。告白したら、いけるかもとか、勘違いしちゃいそう。男子じゃなくてよかった。  はぁ~、めんどくてしんどい。  私そっち側の人間じゃないんだけどな~。そっち側に連れてってくれるの?それともこっち側に来てくれるの?  そんな意味の無い思考がかすめ始めた時、 「霧島さんも同じクラス何だー。よろしくね」 「さくら~、仲間外れしないでよ~」  わらわらと人が私(の前にいる霧島さん)に集まっては、またどこかへ消えるといった現象が続く。参勤交代? その後も、彼女を中心とした会話の渦はHRが始まるまでとどまり続けた。 「クラスが変わって早速、霧島さくらさんを嫌いになったの?」  さくらを嫌い。あまりに眩しくて嫌い。悠馬の理屈はシンプルな図式だけど、胸にストンと落ちてはくれない。 「霧島さくらさんの嫌な噂なんて聞いたことが無いけど、むしろ逆」 あっけらかんとした表情でそんなことを言うから、悠馬は嫌味を言っている訳ではないことが伝わってくる。この明け透けのない気質に少し気が楽になる。 「それは分かるよ。矢継ぎ早で疲れるけど、いい人なのはわかる。わかるけど……」  その続きの自分の言葉は意識的に堰き止めた。「いい子だけど」の枕詞の続きは相場が決まっているから。そんな自分が嫌になる。 等間隔で距離のある他の生徒の喧騒が、やたら遠くから聞こえてきた。 「可愛くて、制服を着こなして、品があって、分け隔てが無くて」  それに比べて………。自分の言葉が音になるたび空しくなる。自分の欠落を他人のせいにしているみたいで。 「まぁ成海なら上手くやれるでしょ」 「なんでそう言い切るの」 「中学から一緒だったんだからわかるよ」 「悠真って本当に適当」 かっこいい表現ならクール、悪く言えば淡泊。いや、淡白も悪い表現ではない、冷めてるのほうが適切だ。飄々としている様は、今はムカつくのでとりあえず肩パンを食らわした 「だってほら。来週になれば林間学校じゃん。それで仲良くなれるでしょ」 「たしかに」  そう言いながら、そんなことを思っていない私がいた。  一週間という時間はあっという間に過ぎ去り、 「思ったより大きいし綺麗なお風呂だったね。」 気の抜けた表情は紗良ちゃんによく似合う。 「ねー夕食も美味しかったし。」 彼女とは席が近くて何となく話すようになり、馬が合うので、こうしてよく一緒に過ごすようになった。会話が苦じゃない。沈黙も苦じゃない。   「そう言えば、霧島さんはもうお風呂入ったのかなぁ」  その言葉に思わずどきりとしてしまった。私と紗良ちゃん、そして霧島さん。林間学校の部屋割りの結果、三人一組で一晩をともに過ごすことになったのである。こればかりはランダムなので仕方ない。仲のいい人同士で部屋が同じなら、新しいクラスで仲良くなるという目的が果たせない。  霧島さんと初めて会話してからはや一週間。その後は意外なほど話す機会はなかった。彼女の周囲には男女関係なく様々な人が入り乱れて近づく機会などほとんどないからだ。まさに台風の目。 「でも嬉しい。霧島さんとは話してみたかったから今夜は色々話せそうじゃない?」 「そうだね~」  と言いつつ、私は内心よくわからなかった。霧島さんと話す時、紗良ちゃんや悠馬と話すような自然さが私の中から失われないのか? 「霧島さんって人気者だからこんな機会ないと話せないもんねぇ」  まぁ大丈夫か。紗良ちゃんがこんな感じだし、やんわりとした空気でやんわり会話すればきっと仲良くなれるでしょう。  部屋に戻ったら無人だった。 「霧島さんは今お風呂に入ってるぽいね~……あ」  何事かと振り向くと、手荷物を見て、少し固まっている。 「私、脱衣所にスマホ忘れちゃった。取りに行ってくるね」 「はーい」 ガチャリという扉を開く音に思わず振り向く。戻ってくるの早すぎ……、 「あれ~成海さんもお風呂入ったの?大きくて綺麗だったよね~」 と思ったら、霧島さんでした……。  まさかの二人きりに動揺してしまう。まさか早速1on1をのぞむことになろうとは。男子じゃなくてもドキドキしてしまう。  ていうか肌きれい。枝毛とかないの?  いつもはキラキラしている彼女もお風呂上りだからだろうか、明るさよりも穏やかさが際立っている様に感じた。 「そういえばさ……。いやたいしたことじゃないんだけど」  と思えば一転、彼女の方も墨に漬けすぎた筆で半紙に書いた文字の様に不安を滲ませていた。いつもの雰囲気とは何かが違う。そう気づくと同時に彼女は口火を開いた。 「もしかして成海さんは、好きなの?………、パセリ」  予想だにしない角度からの問いに面喰ってしまう。そんな私の反応を見てさらに言葉を続ける、 「ほら夕食の付け合わせのパセリ食べてたの、成海さんだけだったから」 「あー、誰も食べないけど私は好きなんだよねぇ、あの匂い」 「わだよね!本当は他の人の分も食べちゃいたいけど、流石に恥ずかしくてそれは言えないんだよねぇ。これはみんなに内緒ね…」  そう言って少し照れた顔で見つめてくる霧島さんは、私も思わずときめいてしまう程に愛らしい。 「他の人の分も食べたいから、ちゃんとチェックして気づいたんだ。私がパセリを食べてることに」 「改めて言葉にされると恥ずかしいね」  頬を染めた彼女を見たら、澱のように積もった感情はあっさりと拭われ、私は初めて霧島さくらという人間の輪郭を垣間見た。気がした。 最初に彼女に抱いた感情は偏見でしかなかった。今抱いている好感情が客観って根拠もないけど。  今度は私の方から初めて、質問する。 「他には何が好きなの?」 「カレーに粉チーズ&らっきょうのせかな」 「それは食べたことない。ごめん」 「ひかないで。謝らないで。」 今のほうが心地良い。ちゃんと心臓に居場所がある感じがしてる。 「多分私の食い合わせは変なんだろうね。三大欲求の三分の一が変態的だと疲れるよ。自分で選んだわけじゃないのに」 「みんなそうだよ」 「そうかなぁ」  古臭い蛍光灯の灯りでも彼女の表情は損なわれない。 「霧島さんは…」 「その距離感やめてよー。折角の同じクラスなんだし、さくらとお呼び。ね?」  片目をつぶって茶目っ気たっぷりの霧島さんはイエスしか認めない引力があった。 「だったら私のことも桜って呼んでよ、ね?」 お返しとばかりに私も片目をつぶって精一杯の茶目っ気を込めてそう答える。 「なになに?霧島さんも桜ちゃんも何を楽しそうに話してるの?」  スマホを手に持ち紗良ちゃんが帰ってきて、さらに場が華やぐ。 「いやーなんかさくらがね~」  私は少しだけ桜を嫌いじゃなくなった。
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