第14話 エピローグ1・その後の人及び幽霊たち

1/1
前へ
/15ページ
次へ

第14話 エピローグ1・その後の人及び幽霊たち

 「遠慮せず好きなのを頼んで」  低くドスの効いた声ですばるが言った。  「ひひひ。じゃあお言葉に甘えて、噂のプレミアムかき氷をいただきますかね」と芽衣子がしわがれ声を返し、メニューをなでさすった。おとぎ話の悪い魔女のつもりらしい。  「あたしゃベリーってのに目がなくてね。おや」ようやく気づいたように言った。「なんてまあ、お高い」  「気にするな」    「私やっぱり、この『マカロン(1ヶ)』でもいいかな。お値段控えめだし」一方の陽菜は長いまつ毛をわざとパチパチさせた。  「いいから。プレミアムかき氷にしちゃってよ」自分の声がはるか遠くから聞こえてくるようだ、とすばるは思った。  「あらそお、じゃあ遠慮なく」陽菜は態度を一転させると、「そうねえ、このメロン丸ごと使ったお高いやつとか…」と言いかけ、すばるの表情を楽しんでから、  「は、やめにしてこっちにする」と比較的穏当な価格の抹茶味のかき氷を指さした。それでもスタバ×4だ。  「む、無理しないで。好きなの選んで」  「私、和風だーい好きだし。それですばるは何にするの?」  「デミタスコーヒー、かな」  それを聞き、陽菜と芽衣子は一斉に笑い出した。  「なんだよ。きれいに声を揃えちゃって」  「やめてよ。罰ゲームじゃないんだから」  「すばるの悲壮な顔が面白すぎるんで、ちょっとからかっただけだって」  すばると芽衣子、陽菜の3人は通学沿線にある「オールドローズホテル」にいた。こじんまりした建物に趣味の良いしつらえの穴場的なホテルである。ただし目的は、ここのカフェテラスの新名物、高級かき氷だった。  気の利いたスイーツで知られた同店は先般、メニューにオリジナルのかき氷を加えた。それが評判となって休日には長い順番待ちができていた。今は平日の夕方近くだったが、それでも半時間は待たされた。 「ではみなさん。お店の人を呼びます。準備よろしいか」  すばるの確認に、ふたりは黙ってうなずいた。  ふだんは用心棒然とふたりの背後にいることの多いすばるが、今日に限って進行役なのは、彼女が主導した探偵プロジェクトの打ち上げでもあったためだ。    想像以上のハードモードな展開にも、影にひなたに支えてくれた芽衣子と陽菜へ感謝の意を伝えたいと、清水の舞台から飛び降りる覚悟でふたりをオールドローズへと誘った。むろんおごりのつもりだ。が、染みついた節約ぐせは容易には抜けてくれず、うっかりすると顔に出る。  そんな彼女の内心など、はなからお見通しのふたりは、 「マジな話、無理しなくていいよ。全部払わせるとか最初から思ってないし」 「ほんにほんに。お誘いはうれしいし光栄だけど、私たちも探偵ごっこをたっぷり楽しんだ。感謝するのはこっちのほう」などと口々に言った。  それでもすばるは「大丈夫」と言い張った。「バイトがはじまったし。回数は少ないけど、交通費も別に出る」  先日の出張指導があまりに好評だったため、鴫島西道場へ正式に指導員として招聘され、その後も体育館へと顔を出すようになっていた。   「タダ働きじゃないのか、良かった。やりがい搾取ってやつかと心配してた」と陽菜が言うと、まだ魔女のしわがれ声のまま、芽衣子が言った。 「いやいや。それどころか真星指導員は市場価値爆上がり。入門希望者はひきも切らず、休憩時間ともなればガキどもが指導員を取り合い大騒ぎよ。そのうち他道場からスカウトがくるじゃろうて」 「なんでそんなの知ってるの。あ、そうか。追加調査ってそれ」 「しっかし笑っちまうよな」芽衣子は急に伝法な口調になった。「スマホごしに大喧嘩なんて中学生でもしねえぜ。あれだけ関係を隠してきたのに間抜けもいいところよ。生中継して晒してやりゃあよかった」 「今度のはなんの真似?」と聞いたが返事はなかった。代わりに陽菜が、 「時刻からして、あのバカ犬との散歩中に外からかけたのかな。だけど私も見たかったなー、痴話喧嘩」と言った。二人とも声が弾んでいるのは共通している。 「別れ話がこじれないといいけどね。果南ちゃんのために」  ポツリとすばるが言うと芽衣子が力強く断言した。 「なーに大丈夫。そんな気力、どっちにも残ってないって」    教職員トイレでの一件については、翌日さっそくふたりに報告した。  中学校へ出稽古に行き、隙をみて赤岩先生の動向を探っていたところ、偶然にも岩崎教頭からの別れ話という歴史的イベントに遭遇した。スマホ越しに罵詈雑言をぶつけ合った挙句、完全に別れたと思われる…などと伝えた。  もちろん七瀬のからむパートは省略したから、状況説明としては穴だらけだ。  それでも、ドラマチックかつ希望通りの展開は、芽衣子と陽菜を大いに興奮させた。そして盛り上がったふたりは、いったんは中止した不倫カップルに関する調査をそろって再開し、すばる情報の裏取りと落ち葉拾いを行なった。本日の集まりはその報告会も兼ねていた。芽衣子からは前もって「ボーナストラックもあるよ」とは聞かされていた。  話題はまた、剣道教室の件に戻っていた。 「真星指導員に関するエピはまだまだある」なぜか誇らしげに芽衣子は語った。 「剣道を始めてはみたけれど、練習日になると決まってお腹痛いとか訴えてた子の態度が一変。指導員の来る水曜は朝からそわそわ準備してるそうだよ。毎日自主トレまでしちゃってるって」 「やだ、かわいい。初恋かしら?」陽菜が目を輝かせる。 「恋よりヒーロー枠じゃないの。なにせ、指導員がキエエエと叫び竹刀を振れば、晴天に雷が落ちるは映画の『ナチュラル』みたく照明が爆発するわてんやわんや。超自然現象の連発に居残ってた赤岩可南子がメンタルやられたって噂がある。その後も決まって水曜に怪現象が起こるから、人呼んで「水曜の魔女』」 「いひひ、なんじゃそれ。おもろ過ぎるから話膨らませてるな?」 「とんでもない。これでも控えめな表現を心がけてます」 「最後のは今作った」唸るようにすばるは言った。「ていうか、なんで剣道教室の個人情報まで知ってんの?いつのまにスパイを入れた?ミッション・インポシブルの続編?このままじゃ次回はきっと日本の学校が舞台になる。トムが女子校に潜入したら堺雅人の講師がいて…」 「わーった」芽衣子が手をあげて押し留めた。「しゃあない。君の心の平安のために特別に教えよう。同じ時間帯の空手道場、あそこに祐之介の仲良しがいるのよ。ちなみにその人本職が記者とかで、ガキからもお迎えの親からも苦もなくお話を聞き出しちゃうんだとさ」  ふむふむと聞いていた陽菜が言った。 「短くまとめると、剣道教室の隆盛も可南子の休みも異常気象も、ことごとくすばるの仕業ってことね。私たちに希望と話題を与えてくれて、ありがとう」 「違うってば」  すると、かすかに波打つ気配を肩口に感じた。七瀬が笑ったのかも知れない。  せっかくホテルにきても、現在の彼女にかき氷なんて遠い存在だ。そのことへの申し訳なさが先立ち、今日は特に誘ったりしなかったのだが、どうやらすぐそばにいてはくれているようだ。  すばるは背中におぶった子供をあやすように、わざと肩を上げ下げした。    あの夜。  家に近づいてようやく、七瀬は何があったかを詳しく説明した。彼女自身状況を100%把握できていないと慎重な口ぶりだったが、おおよそはすばるの推測および例の鏡の中の少女の説と合致していた。  まず、教職員トイレで赤岩とスマホ越しに派手な罵り合いを演じたのは、岩崎教頭に間違いなかった。七瀬がトイレへと移った直後に着信があり、彼女は不倫カップルの別れ話を細大漏らさず聞く羽目となった。 「そりゃ、なんつーか大変だったね」 「オトナノ階段ヲ一挙ニ登ッタ気ガスル」  それは岩崎教頭の告白にはじまった。  先日、突然の心不全に見舞われた。健康への自信は失せ、恐れと不安が取って代わった。「僕も『終活』を考える時がきたらしい」と述べてから教頭は関係の即時完全終了を赤岩に提案した。世話になった。明日からはすっぱりと他人。普通の上司と部下になろう ––––。 ところが赤岩は反発した。それも教頭の予測をはるかに上回るであろう「激昂」だった。彼女自身、内心ではとっくに教頭へ見切りをつけていたはずだし、関係継続にもはや意味がないのはここ数年、共通の認識だった。  なのに、スマホ越しがよほど癪に触ったのか、赤岩はこれでもかと教頭をなじった。最後にはとても教育者同士とは思えない罵り合いとなって通話は終了した。情事の終わりというにはあまりに騒々しい幕切れだった。 「モハヤ修復ハ不可能カナ」と評した七瀬にすばるは言った。 「ある意味、ヨシ!って結果だけど、いい歳してバカ過ぎって気がする。ついでに教頭の病気って、私たちの『アレ』が原因の気もするんだけど」 「私モソウ思ウケドマサカ口ヲ挟メナイシ」     岩崎教頭については陽菜からも報告があった。 「教頭が駅で救護室送りになったのは事実。重病じゃなかったはずなのに、以来めっきり動作が緩慢になって、やたら人に終活を勧めるようになったとさ。もともと健康問題には小うるさい人だったらしいけど」  つい先日、すばるもまた彼を見かけた。あれから何度か果南ちゃんの様子を探りに行って、その折のことだ。  プロジェクトを閉じるには、果南ちゃんが落ちつきを取り戻していなければならない。またまた変装(ほとんどコスプレ)したすばると七瀬は、果南ちゃんの表情・物腰などを繰り返し観察(謙作さん遺愛の日本光学製双眼鏡が活躍した)したのち、一時の危険な状態はおさまったと判断した。  ただ、その作業中に会った岩崎教頭には正直、驚かされた。連れ歩く子犬は相変わらずだったが、ナイスミドルぶりが鼻につくほどだった教頭は、二度三度と見直すほどジジくさく変貌していた。  悪いことをしたと思わなくもないが、長年の妻および娘への裏切り行為を考えるならまだ手ぬるい。少なくともこれで当分、女に手は出さないだろうと、すばるたちは前向きに考えることにした。  芽衣子と陽菜の悲鳴じみた歓声が耳朶をうった。かき氷が運ばれてきたのだ。  結局すばるも頼んだので器は3つ。種類はそれぞれ異なるが、果物をふんだんに使い、宝石のように華やかなのは共通している。  ホテルなのを思い出して声を落としつつ、ここぞとばかり少女らはテーブルフォトを試み、ついで氷の山へと挑んだ。  冷たく文句なく美味しく、さすがの多弁な彼女らも会話が途切れた。  静かな店内に芽衣子のもらすうなり声が響く。陽菜はサクサクと軽快な音を立てている。冷たさにしびれる頭で、すばるはまたあの夜を思い出した。  あれ以来ずっと疑問に思っていることがある。赤岩についてだ。  彼女は、愛車のバックミラーに女子高生らしき影を認めたとたん、かねて準備のマスコット=呪具をつきつけ七瀬を金縛り状態にした。ついでに自分も同じ目にあったのは笑えるが、とにかく術は発動した。  しかし、いくら準備したとして、よくそんな芸当ができたものだ。帰途、すばるは七瀬に、「お祓いもできる体育教師なんて、そっちが驚き。呪術高専で教育実習でもしたのかね」と聞いてみた。  少し間が空いて、「噂ノ亡クナッタ生徒ハ本当ニイタノカモ」と返事があった。赤岩のため病んで自殺したとされる女生徒である。どうやら、七瀬が彼女に誤認されたのは間違いないらしい。  実はその少女(の霊)が本当に赤岩に憑いていたかは分からない。それっぽい気配すら感じなかったと七瀬は認める。  だが赤岩には、「教え子の自死」という一生物の負い目を癒し精神のバランスを保つための「何か」が必要だったと姉は説く。霊に備え御守りを集め、祓いを教わって克服を図る行為こそ、その何かだったのではないか。  つけ加えると、果南ちゃんへの歪んだ仕打ちも、この「負い目」が影を落としていそうだ。赤岩の心の中にあった果南ちゃんのイメージは、実際とはかけ離れた「不器用で内気そうな女の子」の姿をしていた…。 「うーん、そんなもんかい」  仮説を聞かされたすばるは肯定も否定もしなかった。なんとなくだが、赤岩が自分と似た「親霊体質」の所有者っぽいと感じていたのもあるし、正直なところ七瀬の論調に同情めいた響きのあるのが気に食わなかった。七瀬は赤岩に近づきすぎ、少しシンクロしちゃったのじゃないかと思ったりした。  なお車内に囚われる直前、七瀬が姿見を使いすばるに警告したことや、その後の赤岩の様子については、「夢中ダッタノデ実ハヨク覚エテイナイ」そうだった。 (とにかく)とすばるは考える。誰かこのもやもやをすっきりさせてくれる人はいないものか。野尻祐之介探偵なら解き明かしてくれる気もするが、それには七瀬のことを打ち明けねばならない。諦めるしかないのだろうか。  全身に冷気を感じはじめたところでセットの暖かい飲み物 –––– 全員フルーツフレバーティーにした –––– が運ばれてきた。芽衣子も陽菜も嬉しそうに受け取った。そのリラックスした顔つきに、すばるはもう一つの気になることを口にしてみた。「可南子って、このまま教師を辞めたりするのかな」    体育館での騒ぎの翌日、赤岩はいったん出勤したものの、気分が悪いと早退したとされる。翌日から学校を休み、かれこれ一ヶ月になる。  モダンダンス部については、赤岩の後輩筋と思しき男女が交代で部員たちの面倒を見ており、今のところ運営面での問題はなさそうだ。  ティーカップを手に、陽菜がゆっくり振り返った。 「休職にはなるかも。でも辞職はない。ソースは勘」 「そうなんだ」  陽菜は、湯気のたつフルーツティーをきどった仕草で口にして続けた。 「実は病状を知りたくて、学校医とかに探りを入れたけれど診断書の内容については口をすべらさなかった。チッ。ちなみに現在、可南子の担当授業は同僚が交代で穴埋め中、臨時講師はまだ。意外に早く復帰しそうって説もあって、おそらく来週早々には結論がでてるはず」  こいつが敵でなくて良かった、とすばるは真剣に思う。芸能マスコミも真っ青ではないか。    聞いていた芽衣子が、「身分は保証されとるよなあ。ただ、学期終わりとかのタイミングで異動はあるかもね。知らんけど」と付け足した。だがすばるの表情のかすかな翳りを見てとると、 「可南子のダメージが軽そうなの、不満?」と聞いた。 「いや、そう、でも…ねえ」すばるは返事に詰まった。 「あの手の女は、忘れた頃にシャアシャアと復活しそうとは私も思う」  芽衣子が言うと陽菜が、「可南子がまたいつか果南ちゃんを傷つけはしないかを気にしてるんだ。すばるって、庇護者的気質が強いよね」 「守りし者か。牙狼の称号をやろう!将来ダメンズにたかられるなよ」 「いいよ。もう」 「あっ」急に芽衣子が両手を叩いた。  カフェテラスにいた複数の客がこちらを見た。芽衣子はこそこそ身を縮めつつスマホの写真を示した。 「血行が改善したら思い出した。これ、ボーナストラック」 「うぐ」すばるはえずいた。こいつも油断ならねえ。  そこには見事正面から捉えた赤岩先生の近影があった。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加