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第15話/最終回 エピローグ2・父と娘
芽衣子のスマホに浮かんだ赤岩先生は、高級スーパーの店内を背景に前を見ていた。
お忍び芸能人ばりに帽子とサングラス姿だったが、レンズの色は薄くて表情はわかった。そのうつろな瞳も。
顔は前を向いていても心は別世界 –––– なのがはっきり見て取れた。
(あらま先生。すっかり萎んじゃったね)
と、いうのが第一印象だった。
彼女の姿を見るのはおよそ一カ月ぶり。
アキナさんに助けられたあの夜の体育館以来だった。
無事に七瀬が戻ってからのすばるは、少年少女部の稽古終了に合わせ、さっさと建物を出てしまっていた。七瀬と早く話がしたかったし、赤岩先生の近くにいると一度はおさまった腹の虫がまた騒ぎそうだったためだ。
だから先生のその後は途中までしか知らない。
晶子さんによると、すっかり大人しくなった赤岩先生は、一般部の稽古をぼんやり見学したのち、愛車には戻らず吉村夫が呼んだタクシーで帰ったとのことだった。
「か、隠し撮り、上手だね」すばるが写真をほめると、
「ありがと。たまたま赤岩邸のご近所へ寄り道したら撮れちゃった」芽衣子はすまして答える。
「ふーん。ヤンキースのキャップにトム・フォードのサングラス。ひねりが足りんのう」陽菜が気楽そうに言った。
「けどこんなに小柄だったかな。痩せた?」
すると芽衣子は、
「すばるの、彼女へのわだかまりはなんとなくわかる」と、静かな口調で言った。
「でも、可南子もノーダメージじゃない。教頭との元サヤは、あり得なくはないけど現実味は薄い。結末としてはまあまあだと思うよ。どっちにしても果南ちゃんの苦しみ哀しみは、これで少しマシな方向に行くんじゃないかな」
聡明で勘のいい芽衣子は、果南ちゃんの心を「見た」わけでもないのに、彼女の苦しみの元凶が赤岩だと見抜いている。そしてそれをすばるが知っているのも。こいつも決して敵にはすまい。
自分の真面目な表情に照れたように芽衣子は話題を変えた。
「それより聞いてよ。祐之介が手回しよく鴫島西中に探りを入れてた理由」
すばるのうなじあたりがモゾっとした。たぶん七瀬が身を乗り出したのだろう。
「ご存知のようにヤツはこの頃、怪談とか都市伝説とか超自然系の話を調べてる。今回も目的はそっちで、私たちの件はつけたしだと。正直なヤツ」
「水曜の魔女の調査ってこと?」にこにこと陽菜が聞いた。このネタが気に入ったらしい。
「ていうか、魔女はその一環とみなされる。実は鴫島西中、このあたりじゃ最恐のホットスポットだった。怪異・恐怖譚・心霊現象なんでもアリだって。ぜんぜん知らんかったよ。だから祐之介、たまたま歳上の友人が体育館に通い出したんで、これ幸いと調査協力を頼んだってわけ。ところで、その人物によるとじゃな」芽衣子はまた、しゃがれ声になった。
「先月から、いにしえの怪談に突如としてリバイバルのきざしが見られるというのじゃ」
「よく、わかんないな」イヤな予感がして、すばるはとぼけた。だが陽菜は興味津々の顔をして、
「リバイバル怪談?水曜の魔女より昔の話なの?」
「そう。40年は前に流行った怪談があって、急にまたトレンドに乗った。そのタイミングがバカップルの別れと重なっててさ、もしかして関連あるかも?って祐之介は疑ってたよ」
「ただの偶然じゃね?」すばるは懸命にそっぽを向いたが、
「ある日突然、忘れられた名作に光があたる。シティポップブームみたいなものか!」と、陽菜は続きを促した。
うなずいた芽衣子は、この前の日曜、野尻探偵に会ったと明かし、
「ひとまず可南子の現状まで報告した。ずいぶん手伝ってもらったからね。ひと通り聞いたらヤツ、『今回の一件は、ありがちな話なのに、どこか謎めいた香りがある』とか気取るのよ」
「謎めいた香り!まあ!」陽菜が嬌声をあげた。
「特にバカップルが相次いでダウンしたのを気にしてる。私が『喧嘩別れでどっちも精神的ダメージを負ったってことじゃね?』って言うと祐之介は、『二人の体調不良だが、実はかなり内容が違う。まず教頭が登校中に心疾患を起こし、週をまたいで赤岩教諭が生徒の下校後、パニック発作を起こした。これらは偶然、重なったと見るべきかもしれない。しかし何か裏があると僕の勘が警告音を鳴らす。なぜだろう』って豆大福を前に悩むんだ。『単にあんたの勘が腐ってるだけよ』とやさしく諭したのに聞かなくて」
「それでそれで?」
「ヤツ、『背景にはミッシングリンクとなるファクターXが存在するのかも』なんて大袈裟まで言いやがる。もちろん顔は笑ってたけど、内心は結構マジと思う」
待ちきれないように陽菜が「ファクターXについて、野尻さんはどんな仮説を立ててらっしゃるの?」と尋ねた。
「私、役に立つかもしれない話を知ってる」
「ふむ。そのXこそ、リバイバル中の怪談。具体的には、伝説の『間違い探しのアキナさん』が久々に出現し、不埒な先生どもはアキナさんの超自然の怒りに焼かれた」
言うなり芽衣子はのけぞって笑った。
陽菜も楽しそうに手を叩いてから、
「アキナさん?それはどこの方?」と聞いた。すばるは仏頂面をしている。
「アキナさんは昭和以来の怒れる幽霊でね、学校にはびこる不実不正を許さない。花子さんよりダークヒーロー寄りかな。それで」芽衣子は一拍おいてすばるの目をのぞきこんだ。
「例の『水曜の魔女』が、アキナさんの名を叫んでいたとの目撃情報もある。親しいの?」
「やだ、そうなの。黙ってるなんて水くさい」
ふたりの熱い瞳から逃げるように、すばるはホテルの高い天井を見上げた。
アキナさんともあの夜以来だった。
すばるにとってかなり鮮烈な記憶だったのだが、七瀬はショックのせいか、金縛りにあった前後について「カナリ記憶ガアヤシイ」のだと告白した。
ただ、アキナさんに助けられた経緯はちゃんと覚えていた。
氷の壁みたいなサークル(結界)に閉じ込められた七瀬が一挙に緊張したのは、奇妙な囁きが聞こえはじめた時だった。子供みたいに優しい声が、
「ねえ。あきらめなよ」「みんな忘れて楽しいところへ行こう」などと妖しく誘いかける。
逃げ出そうと図ったが、今度は強烈な眠気が七瀬を襲った。
必死に抵抗しても意識はじわじわ闇へと飲み込まれようとする。
何度も気が遠くなり、(これはヤバいかも)と諦めかけた次の瞬間、
「コノ世ノモノトハ思エナイ怖シイ叫ビ声」が七瀬を叩き起こしたかと思えば、氷の壁をぐわんぐわんと揺らしはじめる。七瀬が呆然としていると、
–––– あと少しだけ我慢して。まもなくだから。
女性と思しき力強い意識が閃いた。叫び声はなおも続いたが、一瞬の静寂ののち、いきなり自由になった。
直後に「ほら、聞こえる?」と、さっきの意識の主が話しかけてきた。
「妹さんたちの声よ。あなたを冥闇から呼び戻してくれた」
それがアキナさんだった。
「つまり、私たちの掛け声を怪獣と間違えたの?」すばるの問いには七瀬は答えず、
「本当ニ気サクデ欲ノナイ方。私モアアアリタイ」とアキナさんを称えた。
「たしかにすごくいい人だった。恩人よね」
最初は冷厳と見えたアキナさんが、実は気のいい親切キャラだったのは、すばるにも次第に飲み込めた。
一段落したあと、七瀬と一緒に女子トイレで挨拶をした際には、赤岩との件について思慮の足らない行動で迷惑をかけたと謝罪する姉妹に、
「私だって人のことは言えない。もうおせっかいはやめようと思いながら、ついやってしまう」などと慰めてくれた。
なお、アキナさんは近年、「おせっかい」を自重しているそうだった。昨今は霊の撮影・公開を目論む輩が増えて落ち着かず、体育館の建て替えを機になるべく人目につかないようにしているのだという。
「だけど、今夜はあなたたち姉妹が気がかりで、つい出てきちゃった。内緒ですよ」と唇に指をあてた。クールな顔立ちがその時だけ笑みくずれた。
すばるが意識を眼前へと戻すと、ちょうど陽菜が赤岩先生の「空白の1日」について熱弁を振るっていた。
既報通り、赤岩先生は別れ話の翌朝から休んだのではなく、いったんは定時に出勤し平常通り仕事をしていた。
それについて陽菜の信頼するエージェント(医薬品卸の営業だそう)が、鴫島西中内のニュースソース(保健室の先生らしい)から得た詳細情報によると、当日の午後遅く、女の悲鳴がしたとの騒ぎがあった。現場は体育館。ニュースソースも呼ばれ、駆けつけると、教職員トイレの前に「すっかり打ちひしがれた可南子がいた」のだった。
「教頭とガチで殺し合った?それとも痴漢?」芽衣子の問いに、「どっちとも違うはず」と陽菜は答えた。
何があったか、具体的な説明をしないままの赤岩先生だが、着衣に乱れはなく肉体的なダメージの痕跡も見当たらなかった。ただ、尋常ではない顔色をして、両手でバッグを握りしめていたという。
「とにかく『幽霊でも見た』としかいえない様子だったため自宅に帰され、以来ずっと休んでる」
(ということは)赤岩先生はアキナさんに「矯正指導」でもされたのだろうか。背中がすーすーするのは、七瀬もこの報告に驚いたのかもしれない。
別れ際のアキナさんの言葉が蘇った。彼女はしみじみと語った。
「こんな姿(幽霊)になると人を脅したり怖がらせたりが容易となり、よくない振る舞いをつい正したくなる。でも、生きている人の心を変えるのは本当に難しい。まして心底から悔い改めさせるなど不可能な気がする。貴女たちもあまり思い詰めないで」
そして、うなだれる姉妹に、
「たしかにあの教師には闇がある。なんとかしたいのもわかる。でも、不用意に近寄ると闇に呑まれる危険を忘れないように。それは、彼女自身が変わることを望まない限り変わらないのではないかしら。とにかく貴女たちはよくやったわ。もう遅いから早く帰ってゆっくり休んで」
そんなアキナさんだから、自発的に赤岩先生を「指導」したとは考えにくい。
もしや、赤岩がリターンマッチを挑んで返り討ちされたのでは、とすばるは思いついた。あのアキナさんの実力なら、百の御守りを突きつけられても一笑に付すに違いない。
でも、そのあと繰り返し体育館に行ったのに、別に何も言ってこないし…。いや、アキナさんが元気なのはわかっている。一昨日、体育館へお供えがわりの箱入り飲料を持って行ったら、
「アリガトウ、オ気持チハ受取ッタカラアトハ妹サンタチデ飲ンデ」と、なっちゃんを通して礼があったしな…。
気がつくと、芽衣子と陽菜がすばるをじっと見つめていた。
「えっ、なに」
「ねえ、知ってる話があったら教えてよ。祐之介も聞きたがると思うし」
「水曜の魔女の秘密をあばこうというわけじゃないから、ヒントだけでも」
ふたりの圧力に気おされかけたすばるだったが、なんとか姿勢を立て直した。
「私が知ってるのは『間違い探し』じゃなくて『間違ってない?のアキナさん』が正しい呼称だということ。あと、たしかにあの夜、体育館で大声をあげたし雷は聞いた」
彼女はいったん言葉を停めた。そして期待に満ちたふたりの友の瞳を順に見ると、
「でも、幽霊とか全く見なかったし気配もしなかった。私だって会いたいぐらいだけど、あそこにはもうアキナさんはいないんじゃないかなあ、すっかり新しくなっちゃったし。ま、礼儀だけは忘れないようにね。それより、お茶のお代わりもらわない?」
オールドローズからの帰途、すばるは夕闇の濃くなった北けやき台駅にいた。
先週、いつもの写真店へ定点観察の折、あたらしくイギリスの白黒フィルムが入ると耳にしたためだが、さっき店に行くと入荷はまだだった。
まあいい。ここしばらくは緊縮財政だから、買うことはできない。
今日に先立ち、岩崎祖母と片山には例の休憩所を利用し手紙を残した。岩崎には、アクセを盗んだのはカラス。金は男の孫が真犯人(余罪多数)と記した。片山には、あんたの孫は優しい子、死んだスズメを悼んでいると伝えた。
どう受け取ったかは知らないが、事実は指摘できたのだから、こっちのプロジェクトはこれで終了とした。
すばるはホームに立ち、また夕暮れを見つめた。
時間も遅いためかこの前より色濃く感じる。達成感は「ほどほど」か。
芽衣子に見抜かれたように、赤岩については不満が残る。だからといって、空想したように残酷な目に遭わせるのはやめておこう。
ふと、肩にかすかな抵抗を感じた。七瀬だろう。今日はずっと黙っていたので、そろそろ何か言いたくなったのだ。スマホを取り出そうとバッグを引き寄せた上腕に、今度ははっきりと人の触れる感触があった。
「えっ」いつものすばるは他人の接近には敏感で、だいたい先に気がつくのだが、今日は違った。
「すばるちゃん」明るい声がした。「ごめん、驚いた?」
「果南ちゃん」振り返って棒立ちになった。ほおを紅潮させた果南が笑っている。
「今日はまた、あの写真屋さん?」
「え、ああ、そう。果南ちゃんは学校の帰り?」
「うん。クラブの子たちと、ちょっと寄り道してたの」
なるほど。逆光で顔は見えないが、少し離れてすんなりした影が立っている。男子だ。
「さっそく彼氏か!充実してるな!」と、つっこもうとしたが、スリム男子の背後に灰色の制服を着た男女が5、6人はいた。それぞれ楽器ケースみたいなのを抱えているし、部活帰りは本当だろう。
短く近況を交わし合い、別れる時がきた。すると、今日は果南のほうからすばるの両手を取った。
「わたし、この前より調子はよくなったよ。きっとすばるちゃんの魔法のおかげ」
その瞬間、小さな光のかけらのようなものがすばるの脳裏にいくつもやってきた。
今回は果南も予期していたのか、しっかりとすばるの手を握りしめていた。しばらくして名残惜しそうに放す。暖かさが残った。
そしてすばるは、手をあげてホームに入ってきた電車に乗った。顔が見えなくなるまで果南は手を振っていた。
「今の判った?」車内ですばるは七瀬に聞こえるようにつぶやいた。
つながれた果南の手を通じて、前と同じように記憶の一部がはっきり見えた。
「手紙、きてたね」と言うと指が勝手に、「イエス」と動いた。
これまでのねちっこい怪文章よりずっと事務的な文体だったし、相変わらず差出人は不明だ。だが、明らかに謝罪ととれる言葉に、もう二度と手紙しないともあった。
つまり赤岩先生が送ったということだ。
–––– 先生、反省のまねごとぐらいはできたんだ。
そんなことをすばるは思った。「たしなめられ、罪に慄いた」てなことも書いてあった。すばる姉妹にたしなめた記憶はもちろんない。
アキナさんだと直感した。アキナさん、少しはこたえたみたいですよ。
「フン。びびっただけだよな」すばるがわざと悪し様につぶやくと、七瀬の苦笑する気配が伝わってきた。
赤岩の所業を知ってしまったすばるには、まだ完全に彼女を許す気にはなれない。それでも、果南ちゃんが屈託ない笑顔を取り戻したのは、良かったと思っている。
今日は夕日が綺麗やし、タイガースもがんばっとる。これぐらいにしといたろ。
自宅の最寄駅に着いた。
朱から濃紺へと変わりつつある空を見上げ、家へと歩きはじめたすばるは、目の前を行く見覚えある背中に気がついた。父だ。
「ん」と口走ると相手も振り返り、「おお」と応じた。間違いなかった。
カジュアルウエアなのは、一度帰宅し、また駅まで戻ってきたためらしい。手にスポーツ新聞を持っている。黒と黄色のユニフォーム姿の写真が見えた。
「今日は早いね。だからわざわざ買いに戻ったの?ネットニュース見ればいいのに」
「気になる見出しがあったのを思い出したんだ。父さんはアナログ派だからな」
そんな会話を交わしたあと、父娘は黙って家へと歩き出したが、こんな時間に末娘の戻ったのがようやく気になったように、
「今日は剣道の日だったのか?」と父は聞いた。
「ちがう。なんちゅうか、お世話になったお返しに、いつものあいつらとオールドローズに行ってきたんだ。話題のかき氷をついに食べたよ」
「そうか、近藤さんと鍛治谷さんか」父はうなずいた。芽衣子と陽菜については、その両親も含めてよく知っている。
「お返しか。それはいいことをしたな。だけどちゃんとおごれたか?オールドローズだろ」
「いいや。気を遣われて、結局私がチョイ多めに払っただけ。また今度なにかでお返しする」
「そうか」父娘はまた黙々と歩いた。
ふいにすばるの胸を、最後に家族でオールドローズへ出かけた日の光景がよぎった。
あの日は七瀬もいた。みんないた。真っ先にホテルに足を踏み入れた父は、壁にかかったターナーの複製画に近づくなり、けだるげなポップスソングを上機嫌に口ずさんだ。娘たちが「ヤメて」と懇願したにもかかわらず、低い声で愛の不在を詠うサビの部分を繰り返した。
あんな元気は現在の父にないだろう。
あらためて父の姿を見て、服装が冴えないのに気がついた。出勤時の背広はそれなりにしゃんとしているはずだが、これはひどい。以前は普段着もおしゃれだったのに、手抜きも甚だしい。
かつての父は衣服にこだわりを持ち、いつも自分で選んだものを身につけていた。今もそのはずだから、彼自身の責任だ。ちゃんと洗濯はしてあるが、当世流行とはデザインおよびサイズ感にかなり隔たりがある。タンスのどこから引っ張り出してきたのだろう。
すばるは言った。「よく見たらダサい格好だなあ。そんなの着てたら、お母さんに愛想尽かされるよ。今どき熟年離婚だってめずらしくないんだから」
「そうかな」
「ぜったい、なっちゃんだって嘆いてる」
「そうかな。見てるかな」
「見てる見てる。すごく近くで。なんだったら、服買いに行くのについていってあげるから。靴とかも。親父ベストは絶対ダメだよ、もっとマシなやつ。きっとなっちゃんも一緒に批評してくれる。あっ、そうそう」
ひらめいて、すばるは父に尋ねた。
「謙作さんって、どんな服を着てたの?まさかの激ダサ網ベストとか?」
「いや」父は首を横に振った。「とにかくダンディな人だった。なんていうか、肩の力が程よく抜けて、余裕のある大人って感じだったな。ハンサムだし足もすごく長かったし、ツイードのジャケットをよく着ていて、クリント・イーストウッドみたいだったさ。一緒に出かけたりするのが誇らしかったな」
「ふーん」
「どうしたんだ、急に」
「いや、思いついただけ」
例の夜、七瀬が連絡を断ったあとのことを、すばるはなぜか思い返していた。
誰かに呼ばれるように教職員トイレへと行ったが、あれはアキナさんが呼んでくれたのだろうか。さらに貫禄のある別の誰かがいたようにも思える。違うだろうか。そう考えてゆくと、体育館の姿見に七瀬を見たのも、彼女やアキナさんとは別の意識が介在した気がしてきた。アキナさんがいち早く七瀬の危機に駆けつけてくれたのも。
今、父と歩いていて、あの日のフィーリングをまた感じたが、もちろんすっかりしょぼくれた父のものではない。やっぱり気のせいだろうか。
少なくとも、なっちゃんみたいなすぐ近くにいる気配ではない。
–––– どこか遠くから静かに見守ってくれているような。
おだやかな夜の風を背中に感じながら、すばるは考えを巡らせた。
父が言った。
「そうだな。今度すばるに頼もうかな、買い物のコーディネートを」
「よし。なっちゃんにも、声かけておくし」
家の近くのカーブミラーまで戻ってきた。鏡の中で腕組みした七瀬がうなずいている。すばるは懸命に笑いを噛み殺す。父がまた言った。
「ならお返し、二人分しなくちゃならないな」
「よくわかってるなあ。それで帰りにオールドローズに寄ってもいい。かき氷、美味しかったよ」
「そうか」何を思ったのか父は含み笑いし、また歩きはじめた。歩幅の広い父のあとを黙ってすばるは追った。七瀬も一緒に。
–––– 鏡の中の・おせっかいな・死んだはずの姉 おわり ––––
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