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第2話 ああいえば、こうきた
死んでしまった姉の七瀬が、鏡の向こうにはっきり姿を現したのは、たしか彼女の三回忌あたりだった。
それまでにも、ふとした時に姉の気配や息づかいを感じることがあった。これは家族が死んで間のない人間にはありがちな話だろう。
しかしその日のすばるは、亡き姉が知り得なかったある人物の情報–––– 生前の姉が聞いたら感激で気絶しそうな内容とレベル –––– を知り、「なんで死ななきゃならなかったんだろう」などと考え、感情のたかぶるままに
「なっちゃん、幽霊でもなんでもいい。もういっぺん姿を見せて」などと口走ってしまったら本当に出てきたのには驚いた。
それでもはじめのうち、姉は鏡の中から黙ってこちらを見つめているだけだった。すばるが他の家族を呼ぼうと思いついてようやく、姉は人さし指を唇に当てて首を横に振った。
そのうちすばるは、現在の学校(七瀬姉と同じところだ)の高等部へ無事進学の決まった祝いとして、希望の機種のスマホを買ってもらった。嬉しくて意味もなく触ったり眺めていたりしたら、勝手に指が動き出して言葉を紡いだ。
ディスプレーにはある男性の名前が記され、続いて「ヤツガホシ」とあった。その直前まで親友の芽衣子、陽菜との間で、共通の知人の関わったある盗難事件の話をしていたのだ。
ギョッとして、反射的に「なんで?だれ?」と口走ると、指がまた動いた。
「アナタノシンアイナルリンジン」
一読し、深呼吸したのち、
「…なっちゃん。なっちゃんでしょ。バレバレだよ」
「ヤルナ」
七瀬はミステリーおよびホラーを愛好する少女であった。生前、妹たちを教化しようとしつこく試み、各種のミステリー映画はもちろん「エクソシスト」や「チェンジリング」などの古い恐怖映画についても視聴を強いた。その経験から犯人にピンときたと、すばるは次姉に伝えた。特に後者は死者が生者にメッセージを伝える話だった。
「で、犯人を特定したってことは、つまり相手をそっと監視していて、ついに犯行現場をおさえたとか?」
「スイリシタダケ」
「なんだ。違うのか」
幽霊になったら人からは見えないし、勝手に容疑者の家に入り込んで黙って監視したり、仲間にぽろっと告白するのを聞いたりできるのかと思ったら、少なくとも七瀬にはそんな真似は難しいらしい。
ちなみに、盗難事件はそれから何ヶ月も経ったが、まだ解決したとは聞こえてこない。
「幽霊ってあんがい便利じゃないんだ」
「ダカラスバルトイル」
「それはいいけどさ。でも、なんで私なの?どうせならお母さんかお父さんに話しかけてやりなよ。ぜったいに喜ぶ。涙流して感激するよ。怖がったりお祓いなんて絶対ない」
「スバルジャナイトダメ。ナイショニシテ」
「どういうこと?」
「イツカハナス」
それからだった。エブリディエブリタイムではないようだが、とにかく姉の霊がそばをうろちょろしはじめたのは。
この奇怪な事態を前に、すばるはいちおうは驚き困惑した。
したけれど、ある面あっさり受け入れた。理由として、どんな形でも次姉と会話できるのはすごく嬉しかったことがまずあげられる。三人の姉のうち七瀬は最も気があったし、一番面倒を見てくれる存在だった。多少の恩義も感じている。そしてもうひとつ。
すばるは別に「見える子」ではない。両親や姉たちもそうだと思う。
ただ、すばるの父の大叔父に真星謙作という人物がいて 、その人はすばるの生まれるずっと前に亡くなっているのだが 、今もときどき「お力を貸してほしい」と問い合わせのあるほどの人物だった。つまり見える・見えないの分野に関してである。
父が今も「謙作さん」と敬意を込めて呼ぶその人の本職は写真家だった。決して無名ではなく、写真関係に強い古書店をまわれば運次第で作品集を入手できる程度には有名な –––– ということは一般的には忘れられた –––– 人物なのだが、ある特殊な分野、すなわち超自然現象にコミットしたひとびとの間においては、今も生前と変わらずに知名度のある戦後屈指のビッグネームなのだという。
とはいえ、心霊写真の名人だったとかそんなのではないし、自分からは超自然についての話は滅多に口にしなかった。活動の詳細は分野が分野だけにほとんどわからない。ただ、霊能力者と自称する人々が「お祓い」に失敗、惨事になるところを救ったという話は実際にあったようだ、と父はいう。それを聞き「惨事ってどんなの?」と聞くと、「また聞きだけど、霊能力者たちが自殺を図ろうとしたんだって」と横から母が言った。「じゃあ、霊能力者じゃなくてカウンセラーみたいなもの?」と聞くと、両親はあいまいな返事をした。
それはともかく、体格がよく歳をとっても精悍な感じだった謙作さんと、すばるは似ているところが多々あるのだそうだ。雰囲気とか、たたずまいとか、おおらかなところとか。
すばるもまた、変な経験をした。剣道の試合出場のために上京した際、彼女の珍しい苗字に気がついた見知らぬ年配男性から、
「き、きみ。真星謙作さんと何か関係が」と、興奮気味に聞かれたのだ。即座に「いいえ。そんな人知りません」と答えて姿をくらませたのは、我ながら上出来だったと思う。
ともかく、そんな話があったので、すばるもこの一連の妙な出来事を、なんとなく受け入れた。「ま、そんなこともあるかな」という感じだった。
ちなみに謙作さんは生前所有していたカメラ機材の一部を「君の最後に生まれたお子さんに渡してほしい」と、父に託し、それは現在すばるの手元にある。
二人の老女は、ようやく歩きはじめた。
少し遅れてすばるも立ち上がる。フィルムはまた後日としよう。
そして、「尾行するんだよね?」と、近くにいるであろう姉・七瀬にささやいた。
返答はなし。彼女のことだ、どうせなにも考えてはいまい。
とりあえず、距離を置いてあとを追った。二人は歩行速度が遅く尾行は容易だった。
駅ビルの外に出ると風が冷たかった。
「そういえばなっちゃん。『ふたり』って見たよ。あの時、近くにいた?」
すばるは独り言のように伝えた。亡くなったはずの姉が妹の前に姿を見せる感動の映画だ。
「うちとはぜんぜん違った」と、すばるは断言した。「一番違うのは姉が妹の成長のために活躍するところ。お互いにすっごい美しい思いやりがあって、うらやましい」
ようやくスマホ越しに反応があった。「シルカ」
このふてぶてしさは間違いなく次姉である。急に可笑しくなって一人笑い出した。
すると、前を行く片山が一瞬、後ろを振り返った。岩崎祖母はひたすら前進しているが、ワンブロック歩いて片山はまたすばるを振り返った。
–––– まずったな。
時刻もあって駅前の道路に人は大勢いた。しかし、片山の視線は明らかにこっちを向いていた。とぼけた顔立ちをして、あんがい鋭いのかもしれない。
それに客観的に見ても、大柄かつ顔立ちもはっきり系の自分は印象に残りやすい、とすばるは考えた。いつまでも後ろにいたら、
(いくら老眼でも白内障でも、気になるよな)
三番目の姉、未央(見た目は可愛く口が悪い)からはつねづね、「あんたの制服姿は昭和のスケバン感がある。その格好で竹刀を抱えて歩くなよ」と言われているすばるだ。そんなのがいた時代を生きた老女たちの尾行をこれ以上続けたら、カツアゲと間違われ警察に通報されそうだ。
二人のとった経路から、住まいは以前と同じだと見たすばるは、
「気づかれたっぽいから、今日はこれぐらいにしとく」と、隣にいるはずの姉に伝え、適当な交差点でターンしそのまま帰宅した。
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