第3話 張り込み・尾行ってのをやってみた

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第3話 張り込み・尾行ってのをやってみた

 翌日の朝早く、すばるはふたたび北けやき台駅前にいた。  制服の上からパーカーを着て、「やや大きめ」と表示のあるマスクをつけ、さらに野球帽も被った。ちなみに阪神タイガースのマークは控えめで目立たないのが気に入っている。当然、変装のつもりだった。  家を出ようとすると、「土曜なのにいやに早いね」と母親が聞いた。 「おしゃれするなら、もうちょっと可愛いのにしたら?持っているでしょう」 「写真部の朝練なんだ。動きやすさが大事」と、答えるとけげんな顔をしながら「いってらっしゃい」と送り出してくれた。夜遅くだとこうはいかない。    ターミナル駅の北けやき台は、土曜にもかかわらずけっこう人がいた。  すばるはうつむき加減に歩いた。この付近に暮らしていたころに比べ、見た目はかなり変わったはずだが油断はできない。  開けた場所に出て顔をあげた。住宅街だ。見覚えある光景が広がっている。 「まあ、こんなもんか」と、声が出た。4、5年ぶりでは大した変化はない。  すばるは小学校5年までこの街にいた。  父親の勤め先の社宅に相当する施設があったためだが、両親はあたりの雰囲気を気に入り、自分たちで家を持つことになった際にも、同じ沿線内の土地を選んだ。だから「はるばる戻った」とかの感慨は薄いのだが、  –––– あの頃はなっちゃんも元気だったし。こんなことになるとは夢にも思わなかった。  などと、つい考えてしまう。  この感情はすばる以外の家族にも共通で、お気に入りのパン屋やなじみの美容院などがあったにも関わらず、全員がこことは疎遠になっている。  –––– でも、今日は事情が違う。なんといってもなっちゃん自身のリクエストだもんね。 「どう、懐かしい?」と、すばるは空中にささやく。反応はなし。どこかでガアガアとカラスの鳴く声がした。住んでいた頃には見かけなかった。  途中、片山と表札の出た家を見つけた。これが昨日の彼女の家か。なるほど、斜め向かいにSAKAGUCHIと表札がある。見覚えはない。  興味を覚え、坂口家に近づく。わりに新しめの3階建だ。表札からは読み取れないが二世帯住宅かもしれない。  敷地に余裕があり、庭先から建屋まで距離がある。出入り口の外側にも植え込みがあって、つつじや椿らしき樹が植えてあった。  土の上には、今朝は特になにもない。そう確かめたすばるだが、無意識のうちにスマホをつかんでいた。不思議な感覚があって、文字が打ち込まれる。 「シンダトリガウメテアル。キットスズメ」とあった。 「坂口さんの家の前に埋めてあるってこと?」と、確認したが返事はない。早朝から人を使いながら不親切な幽霊だ。  すばる一家のいた低層マンションはそのままあった。建物脇の駐車スペースにある車が変わったぐらいだ。  そして、小道を隔ててその隣が岩崎果南ちゃんの家だった。こじゃれた洋風住宅に変わりない。想像していたような寂れたという感じでもない。目立たないよう注意しつつ、いったん前を通り過ぎた。  斜め前にあった年季の入った木造住宅がコンビニになっている。これ幸いとすばるはそこに入って、時計を見た。まだ時間に余裕はある。  一番安そうなコーヒーを購入する。機械が抽出する間も、じっと果南ちゃんの家をみつめていると、ドアがひらいた。別に見られているわけではないが、すばるは少しあわてて体をずらせた。 (お父さんだ)  やってくる岩崎氏をじっくり観察する。変わったのは髪がやや白くなったぐらい。足取りは颯爽として老けて見えない。スタイルも良くて背広がよく似合っている。お腹も出ていない。 (でも…)土曜日は休みじゃないのかな、とすばるは考えた。明らかに通勤スタイルで目の前を歩き去ってゆく。  しばらく思案して「あっ、そうか」と小さく声をあげた。果南パパは、たしか中学校の先生だった。今日は土曜授業のある日だろう。  などと考えてるうちに岩崎氏は胸ポケットからスマホを取り出し、立ち止まって見た。メールだかラインだか知らないが、着信があったようだ。無表情だった氏の顔が笑み崩れたのがコンビニからもわかった。心なしか足取りも軽くなり、岩崎氏は元気よく駅へと歩き去った。 「アヤシイ」と、すばるのスマホもまた勝手に文字を打ち込んだ。 「ガッコウマデビコウ」とあったので、すばるはあわてた。 「だめだよ。今日は私だってまだ学校があるし、ここまでが限界。どうせ、いま勤務してる中学校に行くんでしょ。無理だし無駄」とスマホに話しかける。  怒ったのか、諦めたのかスマホは沈黙した。 「なんとなく雰囲気はつかめたじゃん。一度に全部は無理だよ」と話しかける。すると、また岩崎家のドアが開いて、今度は灰色のブレザー姿の女の子が出てきた。  あのちょいダサ制服は、長姉・美波が着ていたのと同じ。果南ちゃんだ。  前より大人びているが、中学の時に何度か会っていたから、すごく変わった印象はない。たしかモダンダンス部にいて、彼女の学校は県大会で入賞したはずだった。その時は、部活の顧問の先生が「めっちゃ素敵」「ぜんぶ先生のおかげ」などと嬉しそうに話していた。  教師に感銘を覚えた経験に乏しいすばるは、「ひえー、そうなんだー」と驚いた記憶がある。  しかし、今日の果南ちゃんにあの時の明るさはない。 (なんでだろう。メチャ暗いぞ)  もともと果南ちゃんは、すばるやすぐ上の未央と仲は良かったが、雰囲気や趣味嗜好はかなり違った。クセ者ぞろいの真星姉妹とは違って、スタンダードいい子だった。その明るく優しい笑顔をすぐに思い出せる。  ところが、今朝の果南ちゃんの口元には、まるで中年女みたいなしわが寄っている。祖母との不仲でああなった?  慎重に距離を保ちつつ、駅に向かう彼女をすばるは尾行した。果南ちゃんはうつむいたまま歩き、ときおりきっと顔を上げてにらむように前を見た。父の岩崎氏をにらんでるのかな、とも考えた、氏の背中はかなり前方だ。  駅までは大して距離もなく、間も無く二人は改札についてしまった。 「ギリギリマデセッキン」姉からのむちゃぶりに、すばるはなんとかホームに立つ彼女のか細い背中に接近した。  電車を待つその間も、果南ちゃんはスマホにも触れず本も読まず、じっとうつむき加減に立っている。本来なら屈託ないはずの少女が帯びた寂しげな気配に、すばるはすっかり悲しくなってしまった。 (…どこが不良だよ)と、胸の中で彼女の祖母をけなす。孫の孤独に気づかない自己中ババアなんて必要?と思う。  ただ、自分から話しかけるのは逡巡した。いきなり「助けるよ」と近づいてきたただの昔馴染みに、素直にもたれ掛かってくる性格とも思えない。  残念ながら果南ちゃんの高校はすばるとは逆方向である。やってきた電車に彼女が乗るのを見届けてから、すばるも反対側にきた電車に飛び乗って、自分の学校へと向かった。  明るい空を見上げつつ、すばるは思いを巡らせた。  ここは、在籍する学園の中庭に設けられたテラス席である。  いつもの昼ならパンや弁当を持った女の子らですごいことになっているのだが、午前中で授業終了の本日は、飛び飛びしか椅子はふさがっていない。  へんだよな。  朝の悲しげな果南ちゃんも気になるが、父である岩崎氏もなにか雰囲気がおかしかった気がする。なんだろう、この違和感は。  家の前で垣間見た彼の着信、確認、笑顔という一連のしぐさも良い印象は受けなかった。基本的にスマホをいじるおっさんにあまり好意を抱いていないのだが、なんというかスマートな教師が一挙に生臭くなった感じがした。  –––– 考えたら土曜の、それもまあまあ早くに出勤なのに、見送りとかなかった。果南ちゃんのお母さんも不在だったのか?  果南ちゃんのお母さんも仕事を持つが、土日は休みだったはず。  情報が古いのかな。ただ、先日の岩崎祖母の話しでは、少なくとも嫁は病気とかでなくふつうに暮らしているっぽかった。  すばるが気になるのは、彼女の両親に置き換えて考えたためだ。  父が、岩崎氏みたいな休日出勤だとしよう。すばるの母は家にさえいれば、内心面倒くさいと思いつつ見送りぐらいはするだろう。 「ねえ、どう思う?」と近くにいるはずの七瀬に聞いてみた。するとまさかの返事が返ってきた。 「ヨニンモコドモツクッタフウフダモノ。ヨソヨリナカイイ」 「なんだよ、下の話ならすぐ反応するのかよ。そんな暇あったら別のヒントだしなよ。もともとなっちゃん案件だろ。幽体となって尾行とかできないの?史上最強の探偵になれるよ」  また沈黙が訪れた。逃げたか。いや、まだいるに違いない。  むー、と考えた末、迂回策をとることにした。  効果を狙ってぼそっとつぶやく。 「ああ、めんどくさ。こうなったら野尻さんに協力を依頼しようかな。芽衣子に聞けば連絡先はすぐわかるし」  すると、あわてたように手が動いた。「メイワクガケルナ」  焦って打ち間違えまでしている。 「フフン」すばるは鼻で笑った。まだ、惚れてやがる。  野尻さんとはフルネームを野尻祐之介。芽衣子の親戚でもありすばる姉妹も面識があった。実は彼は、学生でありながら一部によく知られた「探偵」なのだ。この冗談みたいな人物を七瀬は尊敬し、真剣にあこがれていた。  けっこう皮肉屋だったくせに彼の悪口だけは許さなかった。もちろん恋心のなせるわざだ。  現世に強い思いを残した者が幽霊になるのだとしたら、七瀬をそうさせたのは家族ではなく野尻さんかもしれない。 「野尻さんの近況、聞いたっけ?」すばるはにやにやと聞いた。「このごろすっごい妖しい家についての捜査を依頼されて、予備調査のために図書館とか回ってるそうだよ。芽衣子の家には今もときどき来てるらしいけど」 「アヤシイイエ。イヌガミケミタイナ?」  おっ、釣れた。「ちがう。建物が妖しいの。カラミティハウスってあだ名があって幽霊屋敷とも呼ばれてる。実は、陽菜のお母さんの会社の持ち物でさ、みんなで写真を撮りに行くことになってたわけ。それが急に…」 「なになに、もしかして私を呼んだ?」 「私も呼ばれた気がする。あんた、このごろますます独り言ひどいよ」    すばると同じ制服を着た女子が二人、足取りも軽くやってきた。すばるの中学以来の仲間、近藤芽衣子と鍛治谷陽菜だった。 「あー、よっこらしょ」と、芽衣子が勢いよく鞄をテーブルに置き、陽菜はもう少し丁寧に同じことをして椅子に腰掛ける。 「さー、昼だ。部活もないし、もう帰ろか。それともどっか寄る?」  芽衣子が口火を切った。この三人のうちリーダー的な存在が芽衣子だった。  元気がよくて好奇心旺盛、機転もきく。歳の近い三姉の未央に言わせれば芽衣子がルパンで陽菜が次元、すばるは五右衛門なのだそうだ。剣道をやってるせいだろうが。 「でもすばる、何か変だ。悩みでもある?」と陽菜が尋ねた。 「よろしい。わたしたちに相談してみなさい。ここならマクドみたいな喧騒には遠く、おまけにタダ」 「ご親切にありがと」  すばるに負けない締まり屋に聞こえるが、陽菜の親はある有力医療法人グループの経営者で、彼女は正真正銘お金持ちのお嬢様だった。  ただし親御さんが厳しく、無駄遣いや贅沢には無縁な育て方をされている。すばるの親など、彼女のつつましやかな振る舞いを聞くたび、「まさしく真のセレブ」と感心する。もちろん、単なるケチではなく出す時はスパッと気前よく出すのを知っているからだ。 「そうだな、なにから話せばいいかなあ」と、すばるは昨日からの出来事を親友二人にかいつまんで説明した。 「気になるけど、これ以上女子高生が聞き込みとかできないよ」と、近くにいるであろう七瀬姉に聞こえるように言う。  興味を引いたのか、二人ともそろって腕組みをした。 「果南ちゃんって、地獄にいるみたいに落ち込んでるんだよね」陽菜がたずねた。 「そ」 「基本的に素行はいいんでしょ」 「まあね。今朝ちらっと姿を見たけど、服装だって乱れてなかったな。あのやぼったい制服をきちっときてた」 「美波さんの後輩かあ。舘野高校、旧制第一中学」 「あそこの制服で膝とか出してるのがいたら面白いな。ぜひ見に行きたい」 「うちの制服もたいがいだけどさ。それより優等生が落ち込むってなんだろう。病気?成績不良」芽衣子はつぎつぎに可能性のある「悩み」を挙げた。「進路で揉めてるってのはどう。たとえばアート系に行きたいのに親は医学部を目指せ、と言ってるとか。あとは家族の不仲とか。彼氏とかの影はないよね?彼氏がもっと低レベルの学校で、最近ギャップが気になり出して…」 「わかんね」 「希望の学校に進めて、両親も揃ってて、たぶん失業とかもしてない。実はそのお父さん、ひそかに仕事やめちゃって求職中とか?」 「そうだったら陽菜、パパママに口きいてあげてね」 「公務員だし、不祥事でもないとやめないのじゃないかなー。はっ」  すばるに調子を合わせて二人も「はっ、不祥事」と目を見開いた。 「可能性はある」すばるはうなずき、芽衣子もうなずいたがすぐに、 「ともかく、いったん本人に戻らない?」と提案した。エンジンがかかったようだ。「シンプルに考えてみよう。学校でいじめられてるとか、部活がキッツイとか、成績がうまく上がらないとかそんなの」  三人はまたしばらく思案した。すばるの右肩に変な気配があるのは、やっぱり七瀬もまた思案しているのだろうか。  すると陽菜がぽつりと、「ひとり、思い出した。私たちより二つぐらい上」と言いだした。「成績も良くて親もお金があって、当人も可愛くていじめられるような子じゃないのに、死にそうに暗い顔してた。その子は」  彼女はいったん二人を見てから付け加えた。「お母さんが不倫してた」  すばると芽衣子はそろって鼻息をこぼした。 「不倫かあ」 「ありえるな。やっぱ、その果南ちゃんもお母さんが不倫中?もしかしてお父さんがそうとか。なかなかのイケおじなんでしょ」 「お父さんの不倫に、家族の中で果南ちゃんだけが気づいてしまい、もんもんと悩んでるとか」 「あー」なんとなく納得した女子たちはそろって空を見上げた。 「で、そのムカつくばばあは自分の息子の不祥事には気づかない、と」 「たとえばさ」すばるは言った。「父親がキャバクラとかにハマってるだけなら、ウゲッ気持ちワルってことで終了かもしれない。でも、もうちょっと深刻な、複雑な背景があるのかもしれないね」  芽衣子と陽菜に気づかれないぐらいかすかに、すばるの指がスマホをなぞった。 「イイセン」とあった。  ちぇっ、やっぱり聞いてるのかよ。  芽衣子が言った。「最初にそのババアの金がちょくちょくなくなるって話、してたよね。それって果南ちゃんが内心の悩みに気づいて欲しくて盗んでるとかないかな。そんなタイプじゃないのか」  すばるは呼吸をおさえ、自分のすぐ隣の気配を懸命にさぐった。  すると、気のせいかもしれないが、かすかなゆらめきがすばるには感じられた。それは「否」との気配を伝えてきた。すばると同じ意見だった。 「どうだろう」すばるは首を傾げた。「分けて考えるべきかも。あのお祖母ちゃんって、それほど丁寧に家族を見てない気がする」 「果南ちゃんに兄弟っているの?」 「そうだった。お兄さんがいたよ」すばるは答えた。「翔平、だったかな。名前はいいのに、あんまりいい思い出ないな。関心もない。あっ、でも」  姉の未央なら知ってるかも、と言った。三姉と果南ちゃんの兄とは、学年が違うものの稽古ごとが一緒だった。最近の情報を入手しているかもしれない。  三人はだれいうとなく立ち上がった。 「他人の不幸は楽しいっていうけど。なんかヘビーだな」 「私たちの勝手な思い過ごしだといいな」  芽衣子と陽菜が口々に言った。すばるも大きくうなずいた。
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