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第4話 果南との再会
土曜と日曜のうちに捜査?は多少とも進展した。
まず家に帰ると、すばるはすぐ上の姉の未央に果南ちゃんの兄、翔平のことをたずねた。
未央は三人の姉の中でも特に変わっていて、反応を予測しにくいことこの上ないのだが、久しぶりに果南ちゃんを見かけたが暗かった、家族・たとえば兄が死んだとかそんな話は聞いてないか、と問うとすらすら答えてくれた。彼女も果南ちゃんには親近感を抱いているからだろう。
「あー、翔太、いや翔平か。嫌なやつ。まだ死んだとは聞いてない。さっさと死ねよ。でも、ああいうつまらん男には近寄らんほうがイイぞ、妹よ。わかってるだろうが」
「うん、大丈夫。私は趣味がいい」
翔平は昨年、某地方国立大学に無事合格し、以来家を出ている。音楽を指向していたが結局は教育学部に進んだようだ、あんなのが教師になったら世も末であると未央は嘆いた。
「最近のこと、知らないかな」
「うーむ、顔も性格も好みではないので、特にウォッチしていない」と未央はいう。三姉は一言で表せばオタでアートの人だが、たまたまアイドルばりの外観を有し、表向きは愛想も良い。ために世間が広い。
すばるも姉が、どこかの男子がガチガチになって言い寄ってくるのにやさしく応対するのを見て、その二面性に感心したことは幾度もある。そのあと妹と二人きりになると彼女は決まって、「ケッ。ぶおとこが。分際を弁えろよな」と相手を貶すのだ。
「あ、でも同じバンドだったやつらに目撃情報があった」と未央は言った。
家を離れたあとも地元のバンド仲間(ヘボだと姉は断言した)の所にはちょくちょく姿を見せ、そのせいでときおり消息が伝わってくる。最近も出現したが、
「相変わらずちょいワル自慢をしていたようだよ。教員試験を受けるころに教育委員会にチクってやるかな」
「ちょいワル?」
未央がピアノ教室で一緒だったころから、彼は他愛無い悪事の自慢をよくしたそうだ。万引きやケンカ、よその地域に行ってカツアゲをしたなどというのもあった。彼のひ弱な体躯や運動神経の鈍さを勘案すると、ほとんど全てがホラと思われたが、人のものを寸借して戻さないことも自慢していて、それについては実際に二、三被害者がいた。
「私は注意していたから大丈夫だった。あれから10年近く経ったとはいえ、ああいうのはなかなか治らん気がするぞ」
「そうなんだ。厳しい親への反発とか、そんなのが原因かな」
「かもしれんが、その親の財布からもくすねたとか自慢してたな。そんなだから果南ちゃんとも、あまり仲が良くなかったと思う。たぶん妹の小遣いとかも盗んだのじゃないのかな。あのできた妹が大輪の花を咲かせるための腐葉土と考えりゃ腹も立たないが、このままじゃアブラムシになりかねない。今のうちに始末するべきだよ」
「そ、そんなにひどい?」
「ああ。私は嫌い。とにかくセコい奴、小悪党って感じ。大きな悪をやらかす度胸はない。その果南ちゃんの暗い顔も、貯めてたお金をバカ翔平に盗られたとかじゃないといいけどな」
そのあと、また七瀬からスマホ越しにメッセージがあった。
「ジンジイドウ」
「なにそれ。わかんない」
七瀬は饒舌な長姉や三姉とは違って口下手な面があり、生前から切り口上のきらいがあったが、あの世?に行ってますますひどくなった。
やりとりをするうち、彼女が果南ちゃんのお父さんの勤務先を調べよと言っているのがわかった。彼は公立中学の教員なので、ネット上にわずかだが人事情報が載っているというのだ。さっそく調べると、岩崎氏が1年前から鴫島西中学というところの教頭になっているのがわかった。
「コモンモシラベテ」
「?」しばし意味を考え、「部活の顧問だった先生ね」すばるはうなずいた。時期は違うが、同じ年に鴫島西中学へ異動した体育教師がいた。名前は赤岩可南子。その前の勤務校は、果南ちゃんの出身校と同じ。
果南ちゃんが一時熱心だった部活はモダンダンス。それを念頭に調べてゆくと、10数年は前の市の広報誌の中に赤岩先生の記事を見つけた。生徒が東京のダンスコンクールで3位に入賞し、そのことへの感謝のコメントだった。やっぱり同一人物だ。
しかし、だからといって岩崎教頭と赤岩先生が不倫しているとは限らない。限らないが…。
「木曜日が祝日って、変な感じ」
「住宅会社に勤める親戚がいて、水曜日が休みなんだけど、慣れるとけっこういいよ、って言ってた。アミューズメントとか空いてるって」
「私だと、1週間ずっとボーッとしてそう」
祝日の今日、すばるは芽衣子、陽菜と一緒に、家族連れで賑わう自然公園にいた。
ここは30年ほど前に国際的なイベントの開催された跡地であり、海外の名所を模した建物があり、さらに行くと武道館に音楽堂、アリーナがある。今日はとりわけ開催イベントが多く、ジャージ姿の学生や楽器をかついだ高校生に混じって、スパンコールのついた衣装を着た小学生も走り回っている。
すばるたちは、それぞれデニムとかの気楽な格好をしている。施設と施設をつなぐ位置に人気のある大きな花壇があって、本日はまずそこで写真を撮る予定だった。
「晴れてよかったなあ」
「虫がいっぱいいそうだけど」
「でもスポーツ競技ってさ、特に室内の撮影って難しい気がする」ジャージの集団を見送っていた芽衣子が言った。「この間から試してるけど、ろくなのが撮れない」
彼女は単焦点レンズを装着したカメラを首から下げ、残りはリュックに入れていた。
「あ、望遠ズームの調子どう?」陽菜が聞いた。芽衣子は少し前、プロの使うような望遠ズームレンズを知人に譲られていた。
「まあまあかな」芽衣子はリュックをゆらした。「もうちょっと練習するわ」
「でも、私には重すぎるな。手持ちでビシッと止めろとかいうけど、すばるぐらいガタイがないと難しいよ。プロ用機材って、なんであんなに重いのかな」
「うちの親の知り合いに女の報道カメラマンがいたけど、腰痛持ちだったって」これはすばるだ。「本格的になるほど重くなってゆく。地獄ね。お花のスナップは手持ちで撮れていいよ」
「三脚かついできてすげえ接写してるじいさんがいるぞ」
「老眼だからでしょ」
「おっ」芽衣子がめざとく前方を歩く一団に目を止めた。
「あれ、館野高校のご一行ではないかい」
館野とは、すばるの長姉の母校であり果南ちゃんの高校だ。それぞれが担いでいるギターケースなどへ学校名が大書してある。
「そりゃ名門なのは認めるが、あそこまで自慢したいかね?」
「学校のイベントだしクラブの備品だからじゃないの」
今日は県民の日でもあり、公立学校中心のイベントがたくさんあるはずだと陽菜が言うと、「おー、そうだった」と芽衣子は自分で額を叩いた。
「卓球の大会とか、高校生音楽フェスとかあるんだよね。お向かいの家の中学生がたしかダンスかなんかの大会に出てる。絶対見にくるな、と言ってたそうだけど」
「ウチの学校、今日の話とか全然聞かないのはなぜだろう」
「仲間に入れてもらってないんじゃない?」
「そういやすばる」陽菜が聞いた。「もう剣道の試合とか出ないの?昔みたいに」
「わしらも応援に行ったのう。ちょい臭かったが」
「みなさんニワトリみたいに鳴くし」
「あれは時期的にもう少しあと。それに私は出ない。めんどくさくなった」
「まあ。なんて自分に正直なのかしら、この子」
「ちなみに私の道場の小学生たち、みんなこの前の予選会で負けたから次の大会は…」
「ひえっ、それはなぜ?」
「単純に、弱いからさ」
そう言ってすぐにすばるは、「あっ」と声をあげた。
「どうした?実はすばるだけ仲間外れにして、他のみんなは試合に来てたのか」
「ちがうちがう。あれ、果南ちゃんじゃないかな」
館野高校の一群の端に、すばるたちと同様に大きめの荷物を抱えた女の子が10人ほど固まっていた。その1人が急に立ち止まり、振り返ったのだ。こっちを見た気もしたが、また集団に戻って行った。
「へえ、かわいいじゃん」と、芽衣子がつぶやいた。
花壇にはすでに高齢者を中心に多数のカメラマンがとりついていた。
「年寄りは花よりもスポーツ撮影に行けよ」と小声で文句をいいつつ、すばるたちもさっそく撮影をはじめた。
今日はデジタルなのでフィルム代の心配はいらない。そんなことを考えながら接写可能なレンズをつけたカメラを構える。
今回のレンズは父を介して謙作さんから譲られた古いものだった。ピント合わせはマニュアルだったが、今のところそれがとても楽しく思える。
横では陽菜が、日ごろのイメージに差し障りそうなぐらい下肢を低く踏ん張り、花にとまったてんとう虫を撮影している。ちらっとすばるを見て言った。
「噂の果南ちゃん、キュートだし想像より30倍はモテそう。私が男子だったらぜったい荷物持ってあげて恩に着せるな」
「あの学校、平等意識が強いんだよきっと」
「それはともかく」芽衣子も加わった。「遠目にはみんな仲が良さそうだった。少なくとも果南ちゃんだけ仲間はずれに見えなかったな」
「われわれみたいに、実のところ緊張関係にあるんじゃね?」
「かもしれん。ぬふふ。いつか寝首を掻いてやる!」
「ぐふっ、獅子心中の虫とはどいつじゃ!」
「めんどうだ、ここで決着をつけよう!」
「…すいません、あの」
優しい女の声がした。すばるたちが恥ずかしさに顔を赤くして振り向くと、
「すばるちゃん?あ、やっぱりすばるちゃん」と女の子が弾んだ声をあげた。
「私のこと、わかるかな」
すばるは、すっと息を吸ってからうなずいた。
「…果南ちゃんだよね。もちろん、わかる」
まさか、本人から声をかけられるとは思いもしなかった。
だが、素直に嬉しくなったすばるは笑顔で彼女と向かい合った。
芽衣子と陽菜は、噂話の最中に本人が現れたことに困っていたが、どうやら聞こえてなかったらしいのがわかり、一転してにこやかに見守っている。
「この前、北けやき台の駅で見かけた気がしたんだ。それからすばるちゃんのこと思い出してたら、ついに会えた!」
「げっ、やっぱりそう」
すばるもまた、そうだったと言うと果南は大喜びした。
二人はせかせかと互いの近況を報告しあった。しばらくすると家族の近況報告になったが、果南は七瀬の死を知っているので、すばる一家については、「みんな変わりない?」と聞くにとどめた。
すばるは「うん。単に歳とっただけ」とうなずくと、
「そっちはどう?」と尋ねて注意深く彼女を見つめたが、
「うん、変わりないよ」と答えた。穏やかな表情に変化はなかった。
「ただし、お兄ちゃんとは半年以上会ってないけど」と冷静に付け加えると、すぐにすばるへ質問をした。
「今日は撮影?みなさんすごいカメラ持ってるね。びっくり」
「いちおう、写真部なんだ」
「そうなんだ!」
果南はクラブ名の入った赤いトレーナーを着ている。
「もしかして」とすばるが水をむけると、やはりこのあと音楽堂のステージに立つのだという。彼女は今、軽音楽部に所属していて、高校生フェスに出場のため公園へとやってきたのだ。ただし、
「参加チームが多いから演奏は2曲だけだし、出番はずっとあと」
「果南ちゃんのパートは?」
「コーラス担当。ちなみに他の1年生12人と一緒。練習も足りてないから、見にきてとはとても言えない、どっちかというとスルーして!」果南は笑った。
「楽器は演奏したりしないの?」
「希望者が多すぎてムリ」彼女の本来のパートはベースなのだが、軽音楽部は大所帯だし今回は2年生が主役だしで、ベースを抱えてステージに立つのは早々に諦めたという。「ただ、演目はシティポップだから、コーラスは大切なパートではあるんだよ」と、付け加えた。その屈託のない様子に少し安堵しつつ、思い切ってすばるは聞いた。
「クラブって同級生とか先輩の意地悪とか、ない?」
幼いころの果南は引っ込み思案なところがあり、喧嘩の強かったすばるが用心棒役をつとめていたこともあった。それを思い出していた。
「うん。たしかに先輩には変わった人もいるけど、大丈夫だよ」
「そう、よかった」
「すばるちゃんこそ、学校とか写真部は楽しい?」今度は果南が聞いた。
「この仲間たちを見てくれー」と答えると、二人は調子を合わせてランプの魔人みたいに腕を組んでうなずいた。果南はコロコロと笑った。
すると芽衣子が、「少しいいですか」と話しかけた。
トップ校に在学するあなたは、それだけで平凡な我々には眩しい限りだが、クラブにも手抜きしないとはなおすごい。差し支えなければ秘訣の一端を聞かせてほしい、という意味のことを言った。
質問が思いがけなかったのか、果南は愛らしい目を瞬かせたが、
「別に秘訣とかはないです。油断しないよう気をつけてるだけ、かな」と、まめに努力を積み重ねているだけだと語った。
そして、恥ずかしげにつぶやいたところでは、今のところそれなりの成績順位をキープしているらしい。
かつての果南の気質から、おそらく嘘ではないだろう。
「すごいね、館野でそれ。さすが果南ちゃん」とすばるが感心すると、
「行きたい大学もあるし。でも、美波ちゃんには足元にも及ばないよ」と、すばるの長姉を褒めた。
「あいつは凄かったって、覚えてる先生が何人もいるんだよ。教師側のミスとか曖昧な点をビシビシ指摘して、若い先生を怖がらせてたって」
「ぐへ。調子に乗るからあまり褒めないで」
どうやら、懸念したほど高校生活に悩んではいなさそうだ、とすばるは少し安堵した。「そういえば、どうしてこっちに来たの?」
「まだ集合まで3時間以上あるでしょう。中にいたらドキドキしちゃって、出てきたの。他の会場の見学でもしようかなって」と、果南はほほえんだ。
「おかげですばるちゃんとも会えたし」
「うん」
「これでまた、がんばれるよ」
しかし、すばるは彼女の視線がわずかに自分の後方に流れたのを見逃さなかった。そして、表情をかすめた翳りのようなものにも。
–––– なんだろう。
それは、すばるとは関係なく、果南の内側にある鬱屈が漏れ出たように感じられた。そのとき、すばるの腕と肩、そして首筋に最近お馴染みになった感覚がやってきた。誰かが軽く手を添えてるかのようなかすかな抵抗。七瀬だ。
七瀬もまたさっきの果南に疑問を抱き、確かめようとしている。どんな理屈かはわからないが、昼間の幽霊は目があまり良くないとかで、七瀬はすばるの皮膚感覚を利用しようとすることがあった。
(なんだよ、いきなり。図々しい)と思ったが、人前で払いのけるわけにもいかない。しかしそのためか、
–––– 迷い?果南ちゃんは迷ってる?
そんなことが頭に閃いた。
だが、「邪魔しちゃだめだから、私もう行くね」果南は微笑むと小さな手を差し出してきた。別れの握手のつもりだろう。
すばるもうなずき、笑顔とともに手をさしだす。ところが、肝心の手がぎこちない。二人羽織になったままの姉が邪魔しているらしい。
せっかく握手しようと果南が言ってくれているのだ。すばるは力まかせに手をつきだし、相手のやわらかな掌を握った。
「またね」「またね」
ふいに果南が驚いた顔になった。一方のすばるは、細かなガラス片のようなものが次々に流れ込む変なフィーリングを覚え、棒立ちになった。しばらくのあいだ二人は見つめ合い、どちらともなく笑い出した。果南は言った。
「私の深層心理、すばるちゃんと別れたくないんだ」
「私もだよ」
愛らしい少女は笑いながら手を振り、去っていった。
–––– でも、いまの感覚…。
すばるが果南の背中と自分の手を交互に見ていると、スマホを手に持った芽衣子がポツリと言った。
「あの子、アリーナに行くのじゃないかな。小中学生のダンスコンクールをやってるんだ」
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