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昼間 3
「わたしにとってのあの日は、黒歴史といえば大袈裟だけど、あまり思い出したい思い出でもなかったから、覚えていることと言ったら、必死で盛り上げようと大袈裟に騒いでみせる賑やかな男の子二人と、どこか冷めた感じででもたまに愛想よくしてみせる気まぐれそのもののみさきと、その組み合わせにはらはらしながらも場違いさを感じていてしかもぎこちなく取り繕ってばかりの自分で、そんな自分にずっと腹を立てていたことくらいなの。だって、そもそもわたしはずっと場違いで、なんでここにいるのって気分だったし、それに……」
彼女は何かを言うことを躊躇うように口ごもり、そして照れくさそうな顔をした。
「馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないけど、わたしにとってあの日一番印象に残ってるのは、お昼に海の家で食べた焼きそばにはいってた豚肉の脂身の嫌な後味なの。わたしあまり好き嫌いはないのだけど、豚肉の脂身はかなり苦手で、本当ならあの日も残したかったの。でも親しくない四人で食べてるのに、残すのがなんだか子供っぽくみえそうで恥ずかしくって無理して口に放り込んだの。そのせいで脂身の味が余計に後をひいてしまって、その日中苦手な触感と味が忘れられなかった。だからわたしの記憶はその海の家で食べた焼きそばに寄っかかってしまっている気がする。そんなものじゃない?ちょっとした気分みたいなものが、味が、香りが、記憶のいろんな要素に影響してるんだと思うわ、実はね。で、あの日の中では、あの嫌な後味の記憶がわたしにとっては一番鮮明で印象深い。でも彼にとっては違うの。まあそれは当たり前ではあるんだけど。みんなで食べた焼きそばのことなんてまるで覚えてないの。だって、彼、その日の昼にみんなで焼きそばを食べた話をわたしがしたら、笑ったのよ?よく覚えてるなそんなことってね。彼が覚えているのは、もっと綺麗なことばかり。少し暗くなるまで待ってからみんなでやった花火のこととか、波打ち際ではしゃいでいたみさきのこと。海水がとても澄んでいて、ごく浅いところで砂みたいな模様のハゼがちらちら見えたことだとか、そんなことを挙げてみせたの」
「わたしと彼はあの日同じ空間で同じ時間を過ごしたのに、時がたってみるとその日はまったく違う日なの。とても同じ一日とは思えない。色も匂いも違う。彼の記憶には綺麗なものだけ若さとみずみずしさみたいなものだけが心に残っていて、たいして親しくもないわたしにわざわざ連絡をとってその日のことを話したいという欲求を止められないくらい特別な一日。わたしにとってはさっきもちょっと言ったように、どこか恥ずかしい、汚点とまでは言わないけど、ちょっと微妙な記憶だわ。しかも豚肉の脂まみれ。自分のあまり好きじゃない面もセットで思い出してしまうような、引っ張り出したくない過去。でも井上くんにとっては違って、彼はあの日の、キラキラした日差しみたいな思い出を、何度も思い出して反芻してより美化していってしまってる気がするの。きっと何度も何度もあの日を振り返ったんじゃないかしら。だからとてもとても特別で、綺麗なものだけで濃縮された一日として記憶されてしまってる。彼の言葉を聞きながら自分の記憶との差にびっくりはしたけど、嫌な気がしたわけじゃないの。人にとってそういう一日があるっていいなって、少し羨ましいような気持ちでもあった。正直、わざわざ病院にお見舞いに来てまでその話をしたがる神経にはかなり引いてたんだけど、それでもなんだか羨ましくもなったわ。そういう一日をもっているってことは、それが虚構だろうとなんだろうと虚像だろうと、贅沢なことなんだろうなって。きっと彼はずっとあの日のことをいつまでたってもキラキラとともにまざまざと思い出せるんだと思うわ。わたしには何度も反芻してしまうような特別な思い出なんてあったかな、なんて考えてしまう」
そう言って彼女は微笑む。わたしはなんと言っていいのかわからず曖昧に微笑みながら言葉を探す。少し狼狽しながら。そしてそのことに気づかれないように。
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