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僕は自分が間に合っている世界で戦う
『光が森停留所』のバス停前に立った僕は、バス停前から伸びる坂を見上げ幽霊にふさわしい消えそうなため息をついた。
――もしここが本当に五月の街なら、五瀬さんはまだ僕のことを知らないはずだ。
僕は自宅からバスに乗って(幽霊でも頑張ればバスに乗れるのだ!)、七森博士の助手だった五瀬さんのお屋敷に辿りついた。
自宅前で突然、震えだした『渦想チップ』の光が示した方向がこっちのように思えたからだ。
自分の部屋で衝撃の事実に打ちひしがれていた僕は、パニックに陥ったまま外に戻った。幸い「僕」は誰にも侵略されていなかったが、状況はそれ以上に深刻だった。
最大の問題は、僕が帰るべき「身体」が半年後の未来にあり、この世界の「僕」は本来の意識と身体がちゃんと一セットで存在するということだった。
――まさか今の僕がこの時期の「僕」を侵略するわけにもいかないしなあ。
僕の失望はしかし、別の可能性を想像させるきっかけでもあった。僕の意識が『不確定時空』に巻き込まれて過去に飛んだのなら、その前に巻きこまれた杏沙の意識も「ここ」に来ている可能性がある。
問題は、この五月の時点では『アップデーター事件』で知り合って僕らに戦うためのサポートをしてくれた人たちと、誰一人知り合っていないということだった。
しかも、この世界には身体を持った「僕」と「杏沙」が既に存在するのだ。
果たして未来からやってきた見ず知らずの幽霊に、誰が力を貸してくれるだろう?
――本当なら、七森博士の研究室に行った方がいいんだろうけど。
僕は『不確定時空』の研究をしていたのが博士であることを考えると、七森博士ならこの意識だけの時間移動にも理解を示してくれるのではないかと思ったのだ。
――でも、ここでは僕はまだ「杏沙」と知り合ってさえいない。
僕が「杏沙」と知り合った『アップデーター事件』は七月の終わりだ。つまりこの時点では杏沙も博士も真咲新吾なんていう少年のことは一ミリも知らないのだ。
僕がとりあえず五瀬さんのお屋敷を目指したのは、幽霊状態だった僕らに最初に力を貸してくれた人だからだ。……ただ、今回は僕一人で杏沙はいない。
僕はこの半年、様々な困難を乗り越えてきた。でもそれは常に杏沙の存在が近くにあったからだ。彼女の存在が傍に感じられない世界は何て心細いんだろう。
――はたして杏沙もいない一人ぼっちの状況で、五瀬さんは「初対面」の幽霊少年に手を貸してくれるだろうか。
僕は帰るべき十一月があまりにも遠いことに愕然としつつ、坂道を上がっていった。
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