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 あからさまに不機嫌そうなテノールの声の主は、向かい側斜め前のソメイヨシノの木陰より姿を現した。六連星学園の制服に身を包んだ背の高い男子だった。気怠そうに鞄を左手に抱え、ワイシャツは胸元部分のボタンをしどけなく開けたままにしている。肩まで伸ばされた赤褐色の髪を無造作に後ろで一つに結び、端正な顔立ちが台無しになるほど眉を顰めていた。髪よりも心持ち赤みの強い双眸は俗に言う『龍眼』の持ち主だ。    彼は火を守護する火護一族の直系の長男、名は(りょう)。美桜と同じ歳で彼女の婚約者だ。  「毎年思うのだけど。何故お姉様なんかが春季皇霊祭の舞姫なのかしら? 私の方が相応しいのに」  砂糖菓子のように甘ったるい声が響く。その声の主は、彼の右隣に寄り添う小柄で華奢な少女からだ。彼女もまた六連星の制服に身を包んでいる。事情を知らない者が見たらこの少女と凌が恋人同士だと思うだろう。雪のように白い肌と、薔薇の蕾のような唇、小さな卵型の顔を彩る栗色の髪は優雅に波打ち腰まで流れている。高く上品な鼻梁、緩やかな弧を描く眉、キラキラ輝く明るい茶色の瞳は愛らしい杏眼で、くるりとカールをした長い栗色の睫毛はまるで睫毛のエクステンションを施したかのようだ。一つ年下の美桜の実妹、牡丹だ。彼女はイギリス人だった父方の祖母に似たようで、ビスクドールのように可愛らしい。  美桜は、もう何度も聞かされた二人の言葉にうんざりしていた。  「この愛らしい牡丹の方がどう見てもお似合いだろう。はコノハナサクヤ姫の再来と言われてるんだぞ」 「そうよ、優秀な凌様がどうして醜いイワナガ姫なお姉様の引き立て役をしないといけないの?」 美桜は吐き出すようにして応じた。  「あなたたち、好き勝手に女神様の名前を語るなんて罰当たりよ。奉納舞での篝火の御役目は名誉な事だと思うけど。気に食わないなら火護当主に申し出てしかるべき手続きを取ってから降板すれば良い事よ?」  婚約は、各六守族の力関係が均等になるように星宮と六守族の中から厳正に審査され取り決められる。美桜たちの婚約は、生まれた頃から決められたものだった。  「お前はホント可愛くないな。醜い上に屁理屈ばっかり言いやがって。大体、花属性のお前と火属性の俺なんて相性最悪だろう?」   それには思わず吹き出してしまった。そんな美桜に、ムッとした視線を向ける二人。 「それを言うなら牡丹だって花属性じゃない。それに、私の母は花属性、父は風属性で相性自体は良くないけど二人はずっと相思相愛よ?」  それだけ言うと、プイッと横を向いてそのまま歩き出した。二人が後ろでギャーギャー騒いでいるが付き合い切れない。  愛らしい牡丹はコノハナサクヤ姫、不美人の美桜はイワナガ姫と学園内でも揶揄されている。噂によると、美桜は美少女の妹に嫉妬して虐め暴力を振るう悪女なのだそうだ。更に、凌に横恋慕した美桜は、恋人同士の凌と牡丹を引き裂き、無理やり凌と婚約をした、というデマがまことしやかに流れていた。牡丹と凌が率先して流した噂が原因だ。  「お姉サマって典型的な悪役令嬢よね! 可愛い私は勿論ヒロインよ、うふっ。残虐非道な悪役令嬢に虐められるけど健気に耐え続けるの。でね、ある時ヒーローに救われるのよ。逆ハーエンドもいいわ」 牡丹は上機嫌で語る。流行りの『令嬢』モノのファンタジー作品がお気に入りらしく、携帯を片手に暇さえあれば読み耽っていた。  そもそも、舞姫に指名される条件は完全実力主義で最も適正のある者が選抜される。学力・知性・身体能力の他に優れた人格も求められ為、一族の誰もが三歳の誕生日を境に「影」より監視がつけられるのだ。  その証拠に秋季皇霊祭の舞姫は、咲守一族の傍系……直系当主である美桜の母親の姉の娘、菊乃が務めている。もし相応の実力があったなら牡丹が舞姫に指名されていた筈だ。更に言えば、一度指名されても実力不足と判断されれば容赦なく下ろされる下剋上の世界、いくらでもチャンスはあるのだ。  つまり常に己の言動が密かに見られているという訳だ。それらの事は、物心つく頃にしっかりと教え込まれる筈なのだが。どうやら妹と凌は脳内花畑につきその事をすっかり失念しているようだ。  それでも美桜は牡丹が羨ましかった。両親は、美桜の実力を認めて尊重はしてくれている。だが、愛情は全て牡丹が独占していた。その証拠に、美桜には両親から抱き締められたり頭を撫でられたりした記憶がない。どんなに良い成績を修めても、舞姫に選ばれても、走高跳の全国大会で優勝しても、出来て当たり前とされた。それに、誕生日を祝って貰った事が無い。誕生日が春季皇霊祭と同じ日のせいか忘れられたままだった。八月生まれの妹は、「お誕生日おめでとう生まれて来て有難う」と、毎年盛大に祝われているというのに。  だから美桜は桜が嫌いだった。美しい桜を象徴するコノハナサクヤ姫と呼ばれる牡丹、誰からも愛される妹。対して美桜は、イワナガ姫と陰口を叩かれ誰からも愛されない。その現実を、桜を見る度に嫌でも現実に返らざるを得なくなるから。  とは言うものの、美桜への悪評も含め、一度はしっかりと二人にけじめをつける必要がある。それらをまとめて片付けられる機会を狙っていたのだ。ついでに、不実な婚約者有責で婚約破棄に持ち込みたい。ただ、妹だけを溺愛している両親からは益々嫌われてしまうだろう。ほんの少し胸が痛んだ。  それが、本日の卒業式後のパーティーだった。影からの報告によれば、凌は美桜を断罪した上で婚約破棄を言い渡し、牡丹と新たに婚約する事を発表する計画を立てているらしい。 (呆れた。流行りの悪役令嬢ファンタジーの世界をそのまま実現しようとするなんて……)  二の句が継げぬとはこの事だ、と感じた。
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