願いが叶う場所

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願いが叶う場所

「おい! 吉田! 明日は場所取り頼むな」  部長からお決まりの指示が飛んでくる。  俺はこの季節が嫌いだ。花見とかいうくだらない行事。気心の知れた連中と楽しむなら、そう悪くないのかもしれないが、俺のような下っ端サラリーマンにとっては苦痛でしかない。早朝からブルーシートを片手に場所取り。ぽつんとひとり、ブルーシートの上に鎮座し、所在なく時をやり過ごす。あの不毛な時間がたまらなく嫌いだ。桜など見たくもない。  今年も例に漏れず、白羽の矢は俺に立ち、ブルーシートの上。新人が入社しても長続きしないウチの会社では、何年経っても若手扱い。下剋上? 成り上がり? そんなもの、夢のまた夢だ。  社長の友人というだけでやりたい放題の部長。いつかその憎き顔面を思いっきりぶん殴ってやる。幾度となく思い描いた胸のすく場面。痺れた足を揉んでいると、妄想をかき乱すように突風が吹きつけた。 「やべっ!」  重石代わりにしていた靴や鞄が転がっていく。  シートから飛び出し拾おうとした拍子に、追い打ちの風がブルーシートを吹き飛ばした。突き上げた風に乗って、非力なシートは高く舞い上がった。魔法の絨毯のように空を飛ぶシートを見上げながらこぼす。 「最悪だ……」  例年、花見客で賑わう都市公園。県内屈指の大きな花見会場が設けられている。そんな公園の端の端、桜も人も見当たらない片隅までシートは飛ばされていた。  クシャクシャに丸めたシートを小脇に抱え、元いた場所を目指す。と、その道中だった。木陰から靄がかったシルエットが現れた。よく見るとそれは、女神を思わせる風貌の女性だった。 「あなたが場所取りで確保していたのは、どこよりも桜が綺麗に見える場所ですか? それとも、願いが叶う場所ですか?」  女神からの唐突な質問。俺の脳裏にはすぐに、懐かしい童話が思い浮かんだ。 「なんかの冗談ですか?」俺は答えた。 「もう一度聞きます。あなたが場所取りで確保していたのは、どこよりも桜が綺麗に見える場所ですか? それとも、願いが叶う場所ですか?」  真剣な眼差しで俺に問う女神。身体から放たれる神々しいオーラに、俺は背筋を正した。  女神の相場とくれば、金の斧か銀の斧じゃないの? 願いが叶う場所? いったいどういう意味だ?  花見の特等席を用意してもらっても、どうせ喜ぶのは部長をはじめとした上席の連中。あんなヤツらのために献身的な選択をする必要なんてない。ましてや、俺になんの得もない。よし決めた! 「俺が確保していたのは、願いが叶う場所です」  それを聞いた女神はニッコリ微笑むと、とある桜の木の下まで俺を導いた。 「お前、今月もノルマ未達だったろ? いつになったら一人前になるんだ、バカヤロウ!」  酒臭い息を吐きながら、部長が俺をなじってくる。オフィスとは違い、酔っ払っているぶんタチが悪い。周りの連中もそれを見てヘラヘラしてやがる。 「まぁ、出来損ない社員のお前だけど、今年の花見の席取りだけは褒めてやるよ!」  そう言いながら、部長は俺の頭をはたいた。  ここは願いが叶う場所なんだろ? いったいどんな願いが叶うっていうんだ? 女神に騙されたのか。それとも、あれは単なる夢だったんだろうか。  早朝の出来事を思い返しながら、桜の木を見上げていると、またしても強い風が吹きはじめた。  木々をしならせる強風に、桜は空を覆うほどの花びらを一面に散らした。 「おいおい、桜が散っちまうじゃないか」  赤ら顔の部長が叫んだその時、どこからともなく、風に乗って飛ばされてきた石片が、部長のこめかみにヒットした。女性社員の悲鳴とともに、ブルーシートに突っ伏す部長。シートの上には、真っ赤な水たまりができあがっていた。俺はそれを見て、薄ら笑いを浮かべていた。  部長は即死だった。いや、正確にいうと、部長はこの世から消え去った。慌てふためく者。スマートフォンで救急車を呼ぶ者。気が動転した社の人間たちをよそに、部長はシートから忽然と姿を消したのだ。  数日後、喫煙スペースに居合わせた同僚が言う。「地中にでも部長の死体が埋まってるんじゃね?」 「まさか……」 「マジになるなよ! 冗談だよ」同僚が俺の肩を叩く。  作り笑いで俺はそれに応えた。 「めっちゃいい場所じゃん」  次の週末、学生の頃に仲が良かった連中から花見に誘われた。あの忌々しき都市公園での開催に二の足を踏んだものの、珍しい顔ぶれが揃うからと背中を押され、参加を決めた。  主催の岩村が確保してくれたブルーシートの上に腰を据える。 「ん?」  座り心地に違和感を覚えた。地面を手でなぞってみると、球状の隆起。まさか、頭蓋骨が埋まってるわけじゃないよな……。 「どうした?」 「いや、別に……」  ソワソワする俺を尻目に、友人たちは口々に話しはじめた。 「しかし、懐かしい連中が集まったもんだな」 「ほんと、あの頃を思い出すよ」 「当時のエピソードは尽きないぜ」 「心配ない。酒ならたんまり買い込んできてるから」 「それにしても、お前と会うのは何年ぶりかな?」岩村が俺に話しかけた。 「十年ぶりかな? いや、もっとか」 「ところで、美咲とはあの後、どうなったの?」唐突に女の名前を出す岩村。  美咲は俺が高校を卒業したあとに付き合った彼女だ。美咲に惚れ込んだ俺は、当時、彼氏持ちだった彼女を奪うようにして射止めた。 「美咲かぁ、懐かしいな。アイツとは一年くらい付き合ったあと、別れたよ」 「フラれたのか?」 「いや、他に女ができたんだ」 「お前から捨てたのか」 「まぁ、そうなるかな」 「なるほどねぇ――」  朗らかに咲く桜を背に、岩村は遠い目をしてボソッと呟いた。 「俺の女を奪ったくせに」  岩村の言葉が合図と言わんばかり、あの日と同じ強風が吹き荒れた。  木々の枝におとなしく留まっていた桜の花びらたちは、それぞれ意思を持ったように解放されていく。あまりにも強い風に散る桜からは、何の風情も感じなかった。まるで降雹(こうひょう)。そして、乱れ舞う花びらに覆われた視界を突き破るように、狂気を帯びた誰かの願い(・・・・・)が俺の頭を目がけて――
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