さよなら私のメランコリーデイズ

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 兄の方に視線を向けると、聞き逃しそうなほど小さな声で、 「月の夜 ひとしき想い 重ねあう」  と、恥ずかしそうに句を詠んでからまたうつむいた。  まさかの俳句……!!  まさかの五・七・五で、挨拶されるとは思わず、返事をすることが出来ずに私は固まる。  そんな私のリアクションのせいで不安になったのか、兄がまた弟に向かってヒソヒソと何かを告げた。 「お気に召しませんでしたかと、兄が心配してるっす」 「ち、違うの! 挨拶してもらえて嬉しいんだけど、俳句の知識がなくて……それで……。とても嬉しいです。ありがとう!」  私がそう言うと、兄はチラッと視線を上げて、その後ハニカミながらうつむいた。照れているのか、実体化している耳も首元も真っ赤になっている。  なんだか私まで恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちになって、思わずうつむいた。  この気持ちはなんだろう。  まだ恋になる前の、小さな小さな芽が生まれた瞬間のような……キュンの鼓動が、胸の奥から響いた気がする。  気付くと、外の宴会は終わったようで公園に静寂が訪れていた。 「あ、静かになったね」 「では、僕らはこの辺で失礼するっす」  兄弟が揃って立ち上がる。  兄が少しモジモジしながら、弟にまた何かを話している。 「ご迷惑でなければ、また、桜の季節に会いに来ても宜しいでしょうか。と、兄が申してるっす!」 「うん。次に会える時までに、頑張って俳句の勉強してみる」  私がそう言うと、兄は驚いたように顔を上げて、ひどく嬉しそうに微笑んだ。そしてチラチラと視線を泳がせた後、意を決したように、今度は真っ直ぐに私を見つめて笑う。  初めて、真正面から視線が重なった。  満開の桜の木と同じ、人を魅了して止まない美しさと儚さを持つ笑顔。やはり桜は、人たらしだ。そして、その中の者もしかり。 「では、またっす!」  小さく手を振る二人が、スッと公園の桜の中へと消えていった。兄だと説明された方の木から、美しい花吹雪が私のベランダで舞い踊る。  その中で一番濃いピンク色をした可愛らしい花びらが、まるで重力に逆らうかのように、そっと私の手の平に着地した。 「ありがとう。またね」  あまりに不思議な体験に、まだ心がフワフワしている。 「古本屋に、俳句の本あるかなぁ? 普通に買うと高そうだし」  勤労学生のお財布事情は、年中真冬並みの寒さだ。それでも、今宵の私の心はポカポカと温かい。  ずっと、四月が嫌いだった。ずっと、公園の桜の木が嫌いだった。  四月の夜は、私の心に憂鬱を描く。  けれど、不可思議と花びらが舞う夜が、私の憂鬱を弾き飛ばしてくれた。  私は今。  再び巡る桜の季節を心待ちにしている。 <了>
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