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黒岩裕治は仰向けのまま額のケチャップを右手でぬぐい、ゆっくりと上半身をおこした。ちょっといたずらがすぎたかなと思うも、エイプリルフールだしと自分に言い訳をして、ニヤニヤした。
今日は妻の、三十九歳の誕生日だ。普段は料理をしない僕が、お手製のふわとろオムライスで祝ってあげれば喜んでくれるはずだ。卵料理は妻の大好物。機嫌をとるのに持ってこいだ。そう思いついて、実家のキッチンで練習しようと、こっそりベッドを抜け出して早朝から実家に来ていた。もちろん妻の雅美には内緒だ。
チューブのケチャップが蓋で固まっててなかなか出なかった。力任せに握ったらドバッと吹き出して、シンクや白いTシャツに血のように飛び散った。
そのときひらめいた。雨宮響子を驚かせてやろう。僕と会えずに寂しい思いをしているはずだ。裕治は四十過ぎの立派な大人だが、悪戯好きで幼稚なところがあった。そこが母性をくすぐるらしく、昔から女性にモテた。しかも女好きだ。結婚して十年以上になるが、浮気相手には事欠かなかった。
ただ、ここ最近、妻の雅美に浮気がバレているような気配がしていた。直接とがめられたわけじゃないが、十数年も一緒にいれば、微妙な顔色でわかる。なので、雨宮響子に、週末に会うのはしばらく控えようといって、納得してもらった。それもすこし悪い気がして、罪滅ぼしのつもりでサプライズを決行したのが、今朝の、ケチャップまみれの写真だった。
この、浮気相手への罪滅ぼしのいたずらが、とんだ罪作りだった。
裕治の浮気を疑っていた妻の雅美は、ひそかに興信所に調査を頼んでいた。
案の定夫は、勤務先の雨宮響子という若い女と浮気をしていた。
雅美は雨宮響子に電話をかけ、夫と別れなければ訴訟を起こし慰謝料を請求すると告げた。あんたにとられるくらいなら、あの人を殺して私も死ぬと迫った。
雨宮響子はさすがに怖気づいた。急に彼を忘れることなどできない。けれど、数百万の慰謝料など払えない。辛いけど仕方がない。近いうちに自分から別れを告げよう。そう思っていた。
そんな心持ちの今朝、頭から血を流し無惨に横たわる裕治の写真が送りつけられた。きっと浮気のことで、あの気性が荒い嫁と激しく揉めたのだろう。だとしても、彼を殺すなんて許せない。浮気される女にも落ち度がある。なんて身勝手な女なんだ。許せない。わたしが彼の無念を晴らす。
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