一つ

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一つ

「優斗。今日は何にもないし、一階にある居酒屋行こっか。さっき調べたの」 「んんー、ちょいまって」 夫との離婚を機に、今日この町に引っ越してきた私、「春坂 彩子」と、中学二年生の息子、「春坂 優斗」は、夕飯を食べに居酒屋に行くところだった。優斗はスマホに夢中だ。 「ゲームは後でいいから、早く行くわよ」 「うんや、違くてね」 猫を彷彿させる目で私を見上げながら、スマホ画面を私に向けた。 「ほら、この町に都市伝説があるらしいよ。面白そうじゃね?」 そこには、「神山町の怪異群」と書かれており、到底信じられないような化け物たちが事細かく描かれていた。そのサイトのトップに書かれていたのが、鬼首様と呼ばれる神様のようだ。二頭身の真っ赤な体で、大きな顔の口には尖った不揃いの歯がびっしり生えていた。この神様の気持ち悪さに吐き気を覚えた。 「どうせどっかの暇な奴が考えた迷信よ。そんなのが存在してたら、たちまち全国ニュースにのるわよ」 「母さん夢がないなー。エンターテインメントだよこんなん」 優斗はわざとらしく肩を落とし、ため息を吐いた。 「はいはい……。じゃあ行くよ」 「ういー」 母息子二人暮らし。こんな生活がいつまでも続けばいいなと私は思った。劇的な人生なんて、私はいらない。いつもどおりが、一番いい。 春坂家が引っ越してきたのは三階建てのアパートだ。うちは最上階、角部屋の好物件だ。アパートの部屋から出ると、大きなまん丸の月が見えた。月明かりは、春坂家を歓迎するかのように照らしていた。 近所の居酒屋も私たちを歓迎してくれた。どうやら、引っ越してきたことを知っていたようだ。心底驚いたが、田舎じゃ普通との事だ。 「春坂家、いらっしゃーい!」 神山町民衆居酒屋「どうらく」を一人で経営する「神山 あかり」は、クラッカーを鳴らして、軽やかな声で私たちを祝ってくれた。カウンター席に案内すると、ピーナッツとビール、そしてオレンジジュースを持ってきて、私の隣に座った。 「店番はいいんですか? あかりさんは一人経営なんですよね」 「いいんすよいいんすよ! だってお客さんは春坂さんちだけなんですもん!」 あっはっはっと笑いながら、カウンターを叩いた。 「あっそんなことよりですよ! よくこの町に引っ越してこれましたね……」 「えっ? それってどういう意味ですか?」 「春坂さん、何も知らずにこの町に来たんですか? この町では行方不明者が沢山いるんですよ」 「それって、神山町の怪異群ってやつ?」 優斗が閃いたように、あかりさんに尋ねた。 「おっ! 優斗くん正解だよ~! そっち系の話好き?」 「ちょっとあかりさんっ! 優斗をからかわな……「ほんとうですよ? 春坂さん」 あかりさんが私を遮って、食い気味に答えた。冗談ではないことを、さっきの様にハツラツとしていないあかりさんの表情が示していた。 「この町にはね、元々神様がいて、その神様を私たち神山町の住人たちは信仰していたの。この住民達の事を氏子って言うわ。氏子たちが信仰していた神様の名前は「鬼首様」って言うの」 「それって、あの二頭身の!? あいつ、マジで居んの?」 優斗が興奮した口調でまくし立てた。 「それがマジなの。鬼首様はこの土地を守る代わりに、生贄を要求していたの。いわゆる氏神ってやつね。ここの氏子達は、罪人を生贄として鬼首様に捧げていたわ。でもね、ある日、罪人たちが謀反を起こして鬼首様を退治しちゃったの……!」 「えぇー! 罪人たちすげぇ! ならもうこの土地は大丈夫じゃないの?」 「それがね、百年経ったある日に鬼首様は復活したの。しかも、生贄関係なく、無差別に人々を食らいつくしたの」 「えぇー……バットエンドじゃん」 「でも今は出現する場所とか色々分かってるから大丈夫! 出現する時間帯は、新月の日の、夜十時から朝の四時まで。だから新月の日の夜は、絶対外に出ないでね! それでも肝試しに行くアホ共は絶えないんだけど……」 「よく分からないけど、分かりました……」 「あっ! すみません……! これだけは酔ってないうちに話しとかなきゃと思って……」 ころころと表情が変わる人だ。と、あかりさんを見ていて思った。こういう人が周りに好かれるんだろうな。夫に捨てられた私とは大違いだ。 「いいんですよ。 色々伝えて頂きありがとうございます。それじゃあ私は揚げ豆腐を一つお願いします!」 「俺はポテトー!」 「ありがとうございます春坂さん……! はーい! しばらくお待ちくださいねっ!」 さっきの重い空気とは真逆の、和気あいあいとした空気が私たちを包んだ。あかりさんのキャラクターがなせる技だ。 脳内の好きな店リストに、「居酒屋どうらく」を書いておこう。家の荷解きが住んだらまた来たいな。
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