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噴水広場で開かれる市に店を出すだけでなく、卸先のレストランや酒場に届けて回る。その中で、〈ピアティカ〉には長男がいるらしいと小耳に挟む程度だった。
マルティンはオーナー兼料理長として、客はもちろん、店で働く給仕係やシモンのような下働きを相手にも陽気に接する。赤く日焼けした鼻の下に赤髭を生やし、まるまると太った体を揺らして笑う、気前の良い親父だ。
そんなマルティンの機嫌を悪くする唯一の存在、それが長男リカルドだったのだ。
木曜日のシモンはいつものように〈ピアティカ〉の貯蔵部屋に入り、三日分のオレンジを卸していた。
淡い黄色をした石造りの建物の裏手、冷たい部屋に運び込まれた食材はそれぞれ、決められた場所にきちんと並んでいる。
食材の管理をするのはマルティンの妻セラフィナの担当だ。が、今日は彼女の姿がなかった。
シモンは一面の壁に掛けられたいくつもの木製の札を見る。手作りらしく、形がややまばらで、それぞれに食材の名前と簡素な絵が彫られている。
すべて裏面には青色の塗料が塗られており、食材を届けた際にそれを裏返す決まりだ。不足しそうな食材が、ひと目で把握できる仕組みだった。
シモンがそうであるように、この半島に暮らす者の半分以上は、文字の読み方を知らない。シモンにとって文字は記号でしかなく、自身の名前と、売り物であるオレンジを示す綴りだけ憶えていれば充分だった。
いつものように『オレンジ』の札を見つけて木目の見える面から青い面に裏返し、外へ出ようとした。
その時、取っ手がシモンの手をすり抜け、扉が独りでに開いて、ある人物と出くわす形になった。
顔は見えないが、背が高く、がっしりとした体つきの男だ。歳の頃は二十代後半といったところか。セラフィナとよく似た焦げ茶の髪を長く伸ばし、緩やかに編み込んでいる。
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